つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

履歴書を書いてみる

我輩は英国MBAを取得するべくビジネススクールに通っているのだが、スクール主催で履歴書の書き方の講座が開かれていて、少し興味があったので聴講させていただいた。このスクールは情報を外に出してはいけないという内部規定があるので、詳細な内容を書くつもりはない。ここではあくまで感想に留めておくわけだが、非常に勉強になった。

 

実のところ、日本国内で医師を続けるだけなら、履歴書の書き方を磨いたところであまり役に立たないかもしれない。十分な臨床経験の年数と最低限の専門医資格があれば、履歴書に書かれている他の内容はそこまで重視されていないような印象を受けるわけだ。もちろん、海外留学する後輩の履歴書に添付する推薦書を書く機会がよくあって、彼らの履歴書をみると立派に書かれていて感心するわけだが、このクオリティも海外に行くときくらいしか求められていないのかなと思う。結局のところ、日本の医師に求められているスキルは結構狭い範囲のものなのかもしれない。改めて、日本の医療現場は保守的に過ぎるなぁと感じるのである。

 

少し前に行った土浦の洋食屋「大かわ」、人生最高のメンチカツだった

 

さて、履歴書の書き方講座を受けて筆者が思ったこと。まず、履歴書は直近の業績から時系列をさかのぼるように書く必要がある。要するに、過去の栄光よりも今どれだけ活躍できるかが大事であり、それが冒頭から記載されていないといけないわけだ。すると、良い履歴書というのは、読んでいてだんだんと尻すぼみになっていく履歴書である。前半は豪華だが、後半はそこまででもないということだ。逆に、読み進めていくほど充実していくような履歴書は、過去の栄光で得た既得権益にしがみついている無能おじさんのように見えてしまうので、よくないのかもしれない。

 

次に、何をやったか以上に何を実現したかが重視されること。例えば、病棟医長をやっていたことよりも、何名のどのような患者さんを診療してきたかが重視される。管理職であれば、どんな役職をやっていたかでなく、どのような経営をして赤字をいくら縮小したかの方が重要である。実績を数値で明確に示すことで、妥協のない履歴書を書くことができるわけである。もっとも、数値化しやすい指標ばかりが大事だと妄信するのも考えものだとは思うが……。

 

最後に、履歴書は転職などのイベントがなくても随時更新していくことが大切だという話がかなり印象に残った。実は、我輩はこの講座が終わった直後に英語で自分自身の履歴書を作成したのだが、それによって人生のこれまでの流れを可視化することができて良かったと思う。自分で言うのもアレだが、色々な事業に手を出しているせいで、かなりゴツい履歴書が仕上がってしまった(一人で何役こなしているんだと妻から突っ込まれた)。同時に、我輩にどのようなスキルやコンピテンシーが不足しているかも浮き彫りになって、「これを身につけたら、もっと面白いことができそう!」というアタリをつけることもできた。我輩の場合は、語学を底上げして、アートスキルを少し身につければ、できることが一気に増えるのではないかと感じた。

 

履歴書を書いていると、自分の人生の責任をとるのは究極的には自分だという現実を嫌でも意識させられる。貧弱な履歴書は、それまでの無為の証明になりかねない。もちろん、自己責任論が跋扈して他者に寛容でなくなった現代社会に問題はあると思うし、履歴書に書けない実績の中にも大切なものが多くあることは研究生活の中でよく理解している。かといって、自己責任論を完全に否定して他罰的になるのも間違いだと思うところがあって、履歴書は個人が心の中の両者のバランスをとるのに役に立つツールなのかもしれないと考えさせられたわけである。

 

参考:転職Hacks. 初心者向け英文履歴書の書き方

ten-navi.com

そろそろ広げますか、レパートリーも、人脈も

最近はアウトプットの勢いが激しい。感染症関連のコンテンツについては、現在公開中の医学書院の連載以外にも色々と取り組んでいるし、最近になっては、漢方医学の講演会をやったり、Z世代論や社会正義の対談をやったりと、ひたすらにテーマを広げている状態だ。YouTube動画も頻繁に撮影して投稿するし、論文も週に1本は何かしら書いている(大したものではないが……)。こうしてアウトプットが増えると、インプットとのバランスが悪くなってきて、少々危うさを感じてしまうものだ。

 

浅草のロッジ赤石。ゲーム機の上でいただく喫茶に風情あり


筑波大学附属病院の病院総合内科にいた頃にも感じたことだが、アウトプットが多くなると、「ここから先には進めない」という限界の壁がどこにあるかがはっきりと見えてくるものだ。実際、医学書院の連載では感染症診療のある程度レベルの高い内容も今後扱う予定ではあるのだが、あまり高度になり過ぎないようにも気をつけていた。何しろ、自分が経験してもいないことを、あたかも経験したかのように記述するのは詐欺である。「ここから先は書き進めてはいけない」という本能的直感があったわけである。要するに、「ここから先に書き進めるためには、自分がもっと学ばなければならない」という感覚だ。


時に、先日の漢方医学の講演会をきっかけに、製薬会社さんからの計らいで大御所先生にご紹介いただくという幸運を得た。実に7~8年ぶりに漢方医学の講義を聴講したが、さすが業界でも高難度とされるだけあって、聴講していて背筋がゾクゾクした。まだ自分が知らない処方がこんなにも多く残っているという事実に、戦慄し、歓喜した。漢方に関しても自分は長らくアウトプットばかりで、それで概ね上手くいっている実感もあったのだが、それでも時々「すっきり治しきれない」という壁にぶつかっていたのだ。今回のインプットをモノにできれば、この壁を打ち破れそうな気がした。そこで、さっそく大御所先生に弟子入りしてしまったわけである。今の自分の実力なら、異なる流派のやり方もコンフリクトを起こさずに吸収できる自信がある。

 

調栄活絡湯など、使ったことのない処方をたくさん教えていただいた


他にもやってみたいことがたくさんあって、現在は様々な分野の知識をインプットしているところである。インプットしていると、突然の閃きがある。その閃きが新規的であることに気がついた時、心底アウトプットしたくなる。バランスをとりながらインプットとアウトプットを同時進行するのが最も身につきやすい。ただ、自分の力量ではアウトプットしきれないような案件もあって、信頼してスキルを外注できるようなパートナーがいてくれたらなぁと思うことも増えてきた。ある程度レベルの高いことをしようとすると、どうしても人脈がモノを言ってくるのが今になってよく分かる。昔はこれが全く分かっていなかった。

 

そういうわけで、目下の課題は、インプットの強化によるレパートリーの拡充と、アウトプットを支援してくれるパートナーの獲得。しかしまぁ、こうやって悩んでいる時こそが、恐らくは人生で最も楽しいひとときなのかもしれないなとも想像するのである。理想としては、人生の最期までこうして試行錯誤を楽しんでいられればなとも思っている。

青色申告は実際のところどうなのか

この時期、我輩が恐れている行事がひとつある。確定申告だ。実際のところ、確定申告自体はさほど難しい作業ではない。紙上で作業をすると面倒くさいのだが、国税庁のHPを利用してパソコン上で確定申告書を作成すると、自動的に計算をやってくれるので、あっという間に終わらせることができる(ただし、e-taxは複雑怪奇なので諦めている)。ただ、それでも我輩は書類仕事が物凄く苦手で、東大感染症内科にいた頃などは書類仕事を巡ってトラブルが頻発していて、医局長や医局秘書さんに何度も助けてもらっていた。そんな我輩にとっては、たとえ世間一般的に難しくなくとも確定申告が鬼門だったわけだ。

 

土浦駅前の天ぷら「八起」。縁起がいいと思った!

 

さて、そんな我輩の確定申告だが、今回は「バイキン屋。」を開業した関係上、さらにややこしい。通常の確定申告から青色確定申告に変わっており、作業量が増えたからだ。せっかくだからこの1年間を振り返る形で、医者が青色申告をしようとすると実際的にどんな感じになるかを紹介しようと思う。

 

まず、「バイキン屋。」を開業したという事実を国に通知しないといけない。青色で確定申告をしようという前年の3月15日までに「青色申告承認申請書」を国税庁に提出しないといけないわけだ。例えば、2024年2~3月に青色申告をしたかったら、2023年3月15日までにこの申請書を提出しないといけない。ただ、この申請書の作成はそんなに緊張しなくてもよくて、書面上で求められている情報を粛々と記載すれば十分だ。なお、我輩は執筆業や講義動画がメインなので、「職業欄」に「医療ライター・教師」と書いていて、「間違ってはいないけど、実際のところどうなの?」と首を傾げてしまうような内容になっている。お咎めはなかったので、これくらい大雑把なのは許容範囲なのだろう。

 

次に開業してから確定申告までの約1年間にやることとして、帳簿をつけなければならない(もちろん、定期的に帳簿をつけておかないと、仕訳が溜まってしまって大変なことになる)。青色申告をして55万~65万円の控除を受けるためには、「複式簿記」で帳簿をつけないといけないのだが、これをExcelでやるのは無謀である。必ず会計ソフトを使う必要がある。一方で、会計ソフトは有料のものが多いのが悩ましい。昔から何度も書いている通り、我輩はキング・オブ・ザ・ケチで、「お金がかかるならDIY」主義からも抜け出せない困った性質なのである。そこで、我輩は「クラウド円簿」を利用した。これは無料で使用できる会計ソフトで、他の会計ソフトほど手厚くはないのだが、「バイキン屋。」のような割と単純な業務形態であれば十分間に合う。

 

簿記の勉強は、入門書を2周読んだ。簿記2級のテキストとかもあるけれど、そこまで熱心にやらなくて大丈夫。どのような項目があるかが何となく頭に入っていれば、あとは帳簿をつけるたびに仕訳例をgoogleで検索して真似していれば何とかなる。要は「やりながら覚える」のが正解らしい。実際に「バイキン屋。」の帳簿をつけるにあたって使った勘定科目もそんなに多くはなくて、貸方では「現金」「普通預金」「事業主貸」「水道光熱費」「通信費」「接待交際費」「消耗品費」「会議費」「新聞図書費」「雑費」で事足りる印象で、たまに「売掛金」と「旅費交通費」を使うことがあるくらいである。また、借方では「現金」「普通預金」「売上高」くらいしか使わなかった気がする。要するに、そんなに覚えることは多くなくて、その都度調べていれば何とかなってしまう(もっとも、源泉所得税の扱いとか按分のやり方は慣れないとちょっと面倒くさいし、売掛金の概念も勉強しない限りは意味不明だと思う)。

 

帳簿をつけている中で、「経費で落とす」という言葉の意味を理解することができて勉強になった。「バイキン屋。」の経費で落とせるのは、あくまで「バイキン屋。」の事業に関連する範囲であって、欲張ってはいけない。例えば、「通信費」に関しては論文の情報収集などでWiFiを使いまくっているので、その使った分だけ経費で落とすのはありだと思う。一方で、「水道光熱費」に関しては「バイキン屋。」の事業と関係しない部分も結構あるので、我輩は時間按分で控えめに計上している。なお、どの程度の割合を経費で落とすかは個人の裁量に委ねられてはいるが、欲張ると税務署から電話がかかってくると聞いたので、我輩は控えめに、正々堂々と主張できる範囲で計上している(帳簿をつける時は、必ず頭の中で税務署からの電話シミュレーションをしていて、自信をもって "答弁" できることを確認しているのだよ)。あと、領収書・レシートはちゃんととっておかないといけない。我輩は証拠を残すべく、レシートの裏側に誰とどこで食事したかを記載していて、一緒に食事した相手には「万が一、税務署から電話がかかってきたらゴメン」と一言伝えるようにしていた。

 

土浦駅前の古本屋さんは意外と客が多くて、楽しい空間だった!

 

こうして1年が過ぎ、最も恐ろしい青色確定申告をやることになるのだが、やってみると意外と何とかなるというのが感想。というのも、通常の確定申告との違いとしては、「バイキン屋。」での収入が「雑所得」から「事業所得」になることと、「青色申告特別控除額」の欄の記載が増えることの2点くらいしかないからである。あとは、会計ソフトでコツコツつけてきた帳簿を使って、「青色決算書」なる書類を作らないといけない……が、これもそれまでちゃんと帳簿をつけていればそんなに難しくないことが分かった。会計ソフトで全自動でやってくれるのでな。我輩のコツコツ型の性格とは、まぁまぁ相性の良い仕事だ。

 

なお、我輩の今回の確定申告は結構凶悪で、青色申告だけだったら上記の通りに面倒くさいながらも難しくないのだが、これに加えてMBA取得のためにビジネススクールに通っているものだから、特定支出控除というイレギュラーな要素も加わっていた。個人的には、青色申告よりも特定支出控除の方が難しい気がする。何しろ、確定申告書に特定支出控除の欄が設けられているわけではないので……。特定支出控除については、第一表「所得金額等」の「給与所得」の欄をいじり、第二表の「特例適用条文等」に「所法57の2 XXXX円」と注記をつけて、あとは必要書類を何枚か添付すればよいのだが、初めてだと本当に分かりにくくて難儀した。とはいえ、googleでその都度調べながらやっていたら、なんやかんやで仕上げることができて安堵した。いやぁ、インターネットで専門知識にアクセスできるようになったのには大感謝だよ。

 

青色申告のメリットとして、55万~65万円の控除を受けられることが挙げられる。この節税効果は実際に計算してみると飛び上がるレベルの金額になるわけで、副業推進が国策になっているだけのことはあるなと思った。最大額にあたる65万円控除を受けるには、e-taxでの青色申告書の提出が必要とのことだが、我輩にとってe-taxは難し過ぎたので、55万円控除で満足することにした。かくして、例年確定申告のたびにお金をとられていた我輩も、今回は還付金を受けられそうである。

 

そういうわけで、副業での収入が給与(本業である医療行為)での収入の10%を越える場合には、青色申告に切り替えることをお勧めしたい。幸いにして、最近は書店でも青色申告の入門書がたくさん出ているし、簿記の入門書も図書館で借りられる。そして、この作業を通じて社会をもっと知るきっかけを得られたなとも思うのである。

デカドロン・サイコシス

偶然にも職場で年末年始の日当直当番に当たらなかったものだから、年末は人生初の透析バイトに手を出しつつも、穏やかな年明けを期待していた。結果としては、まったく穏やかでない形で2024年がはじまってしまった。というのも、1月6日~8日の連休あたりから風邪をひいてしまい、声がほとんど出なくなってしまう災難に見舞われた。

 

ただの風邪なので、実際のところは災難というほどのものでもないのだけれど、普段からスケジュールを過密にしていてまったく休めない仕事の仕方をしていたわけで、その間も内科外来やら救急外来やらの業務を継続せざるをえなかったわけだ。やがては副鼻腔炎を起こし、黒い鼻血が止まらなくなり、後鼻漏で喉の痛みが続き、さすがに参ってしまった。声もかすれてしまった。基本的に風邪程度であれば、薬のお世話にならない我輩も、今回ばかりは薬に頼らざるをえなかったわけだ。

 

いつもは患者さんに処方しているカルボシステインや半夏厚朴湯、自分で飲んでみると結構効いた気がする。嗄声に対しては、上司の勧めがあってデカドロン🄬。人生初ステロイドにして、人生初の免疫抑制剤。副腎不全が怖くてしょうがなかったので、数日でやめておいた。そんな感じで風邪と戦うこと2週間、ようやく9割くらいまで回復してきた気がする。

 

日本外史』はなぜか上巻だけ入手できていないが、中・下巻は読了

 

さて、今年は何を目標にしようか。ボトムラインとしては、心身の健康だ。医者は毎日がサバイバルであり、一日として同じような日はない。毎日が例外であり、個別対応であり、リスキーである。そんな状況なので、何はともあれ、生き残ることを第一の目標にするのは今まで通りだ。その上で、前に進むためにどうするかを考えていかないといけない。

 

そして、現状認識。数年内に確実に起こるであろうイベントから逆算する必要がある。我輩の場合は、1年後に博士号を取得して筑波大学附属病院の病院総合内科を再興するという予定があるから、それまでの間にできる限りの準備を外からでも行っておく必要があると思っている。要するに、2024年は飛躍に向けての準備期間の最終年と認識している。この期間で我輩がどれほどレベルアップできるかが、病院総合内科の将来のパフォーマンスに直結するものと考えている。

 

いまの職場で、更地から診療科が立ち上がって新規勧誘に成功するまでのプロセスをこの目に焼き付けてきたのだが、どんなに有能なリーダーがひとりいても、診療科を創業するのは相当に難しいことがよく分かった。我輩のように能力的に劣る人間であれば、なおさらであろう。すると、やはり右腕になる後輩をちゃんと育てて、自分自身の手元に置いておく必要がある。我輩には優秀な後輩が多いが、皆が極端に優秀で、それぞれの世界へと飛び出して活躍してしまっている。喜ばしいことではある……ただ、そういう人物ほど自分のところには残ってくれないものだ。もちろん、彼らを拘束してはならないこと、百も承知である。だから、2024年は自分のところに残って右腕候補となる後輩をちゃんと育てることに決めた。離れていても遠隔的に稽古をつけることはできる。あわよくば、後輩に実績を積んでもらって、いつでもポストに就いてもらえる状態にしておくつもりだ。

 

病院総合内科の方向性も考え始めなければならない。理念は「医師も患者もコメディカル三方よし」で変わりない。ただ、病院総合内科はまだ「何をするか」を確立できていない。病院総合内科が病院の「雑用係」のようになっている現状をどうにか変えなければ、外から見て魅力的な職場を築き上げることもできないだろう。もちろん、病院総合内科には社会調整などある種の専門性が存在するのであるが、これは周りからはなかなか見えてこない機能だ。既存の「いろいろな背景の患者さんの診療に携わる」という内容を越えた付加価値をいかにして病院総合内科に与えるか。いくつか案を作って病院総合内科の後輩と意見を交換し続けているが、それをこの1年で実現可能な形に落とし込む必要がある。あとは、我輩がいなくなった後に失われた病院総合内科の統率を取り戻すのも大きな課題だと認識している。外交的に複雑な立ち位置の診療科であり、何に対してYesと言い、何に対してNoと言うか、大学病院の全体最適とスタッフの意見を擦り合わせながら意思決定していく必要があると思う。

 

病院総合内科のブランディングもはじめたい。存在を認知してもらえなければ、存在していないのと同じだ。診療科のHPを作るのはボトムラインで、その方法を学ぶ必要がある――これについては、なにも我輩が病院総合内科に戻る時を待つ必要はないだろう。幸いにして、様々なステークホルダーの皆さんのお陰もあって、我輩個人についてはブランディングがある程度できつつあるように思う。執筆業に講演会と、仕事の依頼が飛躍的に増えている。こうしてブランドイメージを得られた暁には、それを病院総合内科に纏わせられればいいなと思っている。

 

最後に考えておきたいのは病院総合内科の運営資金。いまの職場でも診療科の運営資金の調達に躍起になって苦労しているところだが、これは病院総合内科に戻った後も問題になる。どう診療科をデザインすれば財団にとって資金を助成するに魅力的な場所にすることができるのか。科研費や財団からの助成以外の資金調達の方法が可能なのか。金脈というと聞こえは悪いが、その確立も決して避けることのできない課題なのだ。

 

こうしてみると、問題が山積みだが、なんだかワクワクする。もちろん、これはデカドロン🄬の副作用ではないぞ。

論文をたくさん書くには談義

我輩はとある学会の委員会の末席に連ならせていただいているのだが、そこで先日 忘年会なのかそうでないのかよく分からない会合があった。飲酒してもよいと事前に明言されつつも、ノンアルコールビールを用意された先生方もいて、結局 酔っていいのかダメなのかが最後までよく分からぬ。しかしながら、我輩はアルコールが入ると不眠になってしまう。カントの真似で長年かけて築き上げたスケジュール生活にヒビが入るのは嫌なので、決してアルコールは飲まないのだ。その禁を犯して半年ほど前に職場の上司の勧めでアルコールを1杯飲んでみたのだが、やはり数日間不調になってしまったので、飲むとしたらノンアルコールビールに限る。もっとも、養命酒は例外で、体調を崩さないものだから好んで飲んではいるが。

 

理由なくロウソク立てて着火して不思議な匂いに冬を感じる

 

アルコールの話はどうでもよい。大切なのは、その会合で何が話し合われたかだ。論文の生産性を高めるにはどうしたらよいのかという話題。正直なところ、その会合に出ているメンバーが数多くの論文を書いている錚々たる先輩方だったので、そんな悩みが議題に挙がること自体が意外に思えたが、どうも「昨年よりも今年の方が、今年よりも来年の方が多くの論文を出していないといけない」というメンタリティーのようす。だとすれば、論文の生産性を高めたいという悩みも納得できるのである。ちなみに我輩は論文執筆を臨床業務の御褒美や道楽の類だと思っているせいで、生産性を高めたいと思ったことはあまりない。山登りと同じで、効率的にこなせたからといって、必ずしも嬉しいものではないという感覚だ。

 

とはいえ、論文は業績として評価される。「値段」のついた活動といえる。そう考えると、論文を量産するにはどうしたらよいのかという議論も当然のように起こるであろう。さて、この会合で挙がった案は以下のとおりである。

  1.  プロテクション・タイムを設ける
  2.  決まった時間に決まったことを継続する
  3.  楽しんで研究を続ける

割とよく言われることで、いずれも正しいとは思う。ただ、以上のすべてを経験している立場からすると、この3項目が並列されていることに違和感がある。

 

確かに、プロテクション・タイムがあれば、集中して一気呵成に論文を仕上げることができる。慣れない分野や形式の論文を書く時にプロテクション・タイムは重宝する。一方で、慣れた分野や形式の論文を書く時には、救急外来での検査の結果待ちの時間などの細切れの方がかえって上手くいくようにも思う。〆切効果というべきか、電車内でだけ読書がはかどる人もいると思うのだが、細切れ特有の集中力というものもあるのだ。プロテクション・タイムは、そういった細切れ時間に向かない作業を行うためだけに使うべきと考える。

 

ここで、ふたつめのポイント、決まった時間に決まったことを継続するという考え方が生きてくる。プロテクション・タイムは、苦手だけどやらなければならないことに割かれるべきで、そういう作業に入る前には儀式のようなものでもして気合を入れなければならない。その間、集中力をまったく途切れさせてはいけないわけで、「完璧なるプロテクション・タイム」でなければいけないのである。従って、電話が少しでもかかってくる環境であれば、それが研究専従の時間だとしても、プロテクション・タイムと呼ぶに相応しくない。我輩は職場でプロテクション・タイムのようなものを持ってはいるが、残念ながら病棟から30分に1回くらい電話がかかってくるので、難易度の高い作業は行えていない。慣れた研究なら問題なくスムーズにできるのだが、初めてやるタイプの研究はまったく捗っていないという現実がある。要するに、名ばかりプロテクション・タイムではダメだということだ。

 

ここで楽しんで研究を続けるという最後のポイントに移っていくわけだが、これはプロテクション・タイムとは別の議論になると思われる。というのも、先に述べた通り、プロテクション・タイムは不得手で苦手な作業に特化するための時間である。心から楽しめる研究に関しては、プロテクション・タイムをわざわざ設けなくても、食事したり、眠ったりする時間を削ってでも体が勝手に動いてやってしまうのではなかろうか(そして妻に首根っこ掴まれて、食べなさい、寝なさいと怒られるのだ)。楽しんでやれる研究は、無理に研究を効率化しようとしなくても勝手に加速する。問題点があるとすれば、楽しんでやれる研究と苦痛を伴う研究を並行してやっていると、つい楽しんでやれる研究に没頭してしまい、余暇を失い、たとえプロテクション・タイムを設けていようとも疲労困憊してしまって、苦痛を伴う仕事が手につかなくなるということである。

 

楽しんで研究をやるコツ? 自分でテーマを決める! これに尽きる。

 

私見をまとめると、研究において大切なのは決まった時間に決まったことを継続することである。習慣の力を使う。それ以外のポイントについては、研究の性質によって異なる。楽しくてしょうがない研究をやれているのであれば、(あるに越したことはないにしろ)プロテクション・タイムはそこまで多くを要さない気がしていて、体調管理をしっかりして、敢えて研究に没頭し過ぎないよう注意する。一方で、苦痛を伴う研究であれば、「完璧なプロテクション・タイム」がそれなりに必要である。そして、楽しい研究と苦痛な研究は同時進行でやらない方がよい。苦痛な研究が驚くほど進まなくなって自己嫌悪に陥るからだ。苦痛な研究を進めている時は、プロテクション・タイムの間だけでなく、それ以外の時間も他のことをなるべく避けた方がよいと思う。もっとも、それ以前の話として、苦痛な研究テーマを選ばないに越したことはないのだが。我輩も現在、苦痛な研究をふたつ抱えているが、これがなかなか進まなくてしんどい。楽しくて自分の価値観でしかなしえないような他の研究に逃避したい。それができれば、量産を意識しなくても気持ちよく量産できるのに。……いやいや、苦手な研究は新スキル開拓のため! 短期的に我慢我慢!

澤口書店

茨城県に長く留まっていると、時々東京に遊びに行きたくなる。東京に観光スポットなんてあるかと言われそうではあるが、茨城県からしてみれば東京は結構楽しめる。では、東京のどこで楽しむか。埼玉県民なら距離の近い池袋が妥当なところで、我輩も大学生時代に和光で寮暮らしをしていた頃は池袋のタカセ洋菓子の喫茶室に入り浸っていたものだが、茨城に住んでいると池袋はあまりに遠くて、どうしてもハードルが高い。長らく池袋に行っていないものだから、最近の池袋駅周辺の発展などもアド街ック天国を見る他に知るすべなどない有様だ。

 

茨城県民にとって、比較的アクセスのよい場所としては、まず上野と浅草であろう。JR常磐線つくばエクスプレス線が通っている。次点として秋葉原。あとは東京 & 有楽町と本郷 & 御茶ノ水といった具合だろうか。新宿や渋谷、六本木などに行くことはまずあり得ない。行くだけで昼になってしまうし、そこから少し物見遊山して夕方になってしまうと、その後の帰路の長さを思っても辟易としてしまう。連休に都営地下鉄のフリーチケットを買って、妻と一緒に2日かけて都営大江戸線を一周回って遊んだことがあったが、それくらい大がかりにやらないと山手線の西半分に足を運ぶのが億劫なのだ。なお、茨城県民にとってアクセスのよい場所としては、他に北千住もあるにはあるのだが、喫茶シャンティに立ち寄る場合を除けば、我輩は基本的には行かない。

 

我輩と妻の聖地はどこになるだろう。外せないのは、堅牢な感じのする歴史と伝統。この時点で秋葉原は脱落する(ただし、オタク文化は割と好きである)。上野は博物館や美術館が魅力だが、少し離れると治安が悪い。浅草は人が多すぎて気疲れする。東京や有楽町は物価が高いのと土地勘がない。土地勘がないとハイセンスな料理屋を見つけるに難渋してしまって、決まってハラペコ妻の恨みを買ってしまうのだ。そういうわけで、我輩と妻の聖地は本郷 & 御茶ノ水に落ち着く。本郷はいうまでもなく東大の所在地なので土地勘があるし、煉瓦造りの壁沿いに散策するだけでも伝統の匂いを感じられてよい。御茶ノ水は12歳の頃から通っていた塾の所在地だから、やはり土地勘がある。世界最大の古書店街として神保町を擁しており、古書の少し埃被った匂いが素敵な場所だ。本郷と御茶ノ水のどちらに行っても、妻を満足させる料理屋や喫茶店を選ぶ自信があるから、タイムスケジュールも安定しやすい。

 

こういった事情で、東京に出る時はほとんどの場合、一瞬は本郷か御茶ノ水に立ち寄っている。どちらかというと、古書店街のある御茶ノ水の方が頻度としては多い。これまでは、すずらん通りを漫然と歩いて古書店街の雰囲気を味わい、旧・三省堂書店文房堂にお邪魔して目を楽しませた後、ミロンガ・ヌオーバかラドリオのどちらかでお茶してから帰っていた。ところが、最近になって「これでは神保町の魅力をちゃんと満喫できていないのでは」と思うようになり、すずらん通りや周辺の古書店の一軒一軒に入店して、古書を手に取って眺めるようになった。なぜこれまでそうしてこなかったかというと、古書店の店長から話しかけられるのが何となく怖かったからだ。しかし、実際には店長から話しかけられることはほとんどなく、ゆったりと過ごすことができる。

 

古書店めぐりを何度かやっていると、古書店ごとの特徴もだんだんとつかめてくる。売っている古書のジャンル別に分かれているといえば確かにそうなのだが、むしろ古書店ごとにセンスが異なっているというのが表現としては妥当なのかもしれない。我輩と妻は古書店の好みが一致していると見えて、澤口書店がお気に入りである。澤口書店は歴史や哲学の書籍に強いのだが、専門書というよりは一般向けの教養書を多く扱っている。門外漢の人間にとってはハードルが低い。明治時代から昭和時代までのベストセラーで、今は絶版になってしまっているような書籍も探してみるとちらほら見つかるのが素晴らしい。小泉信三森有正の本が集まっていそうなイメージである。

 

2023年12月の古書店街散策では、中村正直の『西国立志編』を見つけたので購入した。明治時代のベストセラーは、いまは「超訳」で出版されていることが多いのだが、我輩から言わせてもらえば「超訳」など無用の長物である。「超訳」ではもとの出版物の息遣いを感じることができないし、言葉の選び方に品がない。だから、可能な限りもとの文章で読むようにしているのだ。『西国立志編』も、「超訳」であれば容易に手に入るが、残念ながら元の文章を読む機会がなかなか得られない。そういうわけで、購入した次第である。千円もしなかったが、保存状態は極めて良かった。他には、ハマトンの『知的生活』も見つけたので購入したかったが、一度に買いすぎると積読になってしまうので控えた。

 

学問のすすめ』と並ぶ明治時代のベストセラーだが、内容はストイック

 

澤口書店では、500円以上購入すると飲み物を1杯サービスしてもらえるらしい。我輩は『西国立志編』で1杯、妻もキリスト教関係の建築物の書籍を購入して1杯。書店の2階で「007」の古いポスターと神保町の街並みを眺めながら温かいカフェオレをいただいた。思うに、古書はよいものだ。最近は読者の質が下がったと見えて、先の「超訳」とか刹那的な娯楽としての書籍ばかりが出版される。出版社も経営が苦しいだろうから、そこは致し方ない。しかし、かような書籍が読者の心を奮い立たせることはないのだ。その点、昔の学者の執筆した書籍は傑出している。講談社現代新書の最初期の出版物を見よ。とにかく日本語が美しい。知識の披露に留まらず、魂が込められている。一冊読むと、知識だけでなく洞察まで得られるような傑作が多い。翻って、いまの新書本は、一冊に詰め込まれた知識量こそ多いものの、知的な雰囲気を感じにくくなっているのが残念である。知識を並べれば知恵に昇華するというわけでもないのだ。

 

我輩が想像していた以上に、アカデミズムにおける古書店街の果たす役割は大きそうだ。知識人層の心を満足させされる書籍は、通常の書店よりも古書店にこそ眠っているものなのかもしれない。古書店街があと何十年存続するかが日本の知識人層を測るバロメーターになるといったら、さすがに言い過ぎであろうか。

サーティーワンおじさんの自慢ごと

何歳になっても、誕生日を迎えるとそれまでの1年を振り返る癖が抜けない。この1年を形容するとしたら、「交友関係に恵まれた年」ということになるのだと思う。これまでの自分の人生で、他の人の人生よりも何かが優れているというのはあんまり自覚しない。優遇されているとも思わないし、不遇だとも思わない。ただ、ひとつだけ自慢があるとすれば、自分のこれまでの人生は人間関係面で異様ともいえるほど恵まれている。大学5年生の頃までは人間関係面でもさほど恵まれていなかった気がするが(明確に師匠のいた中学生時代を除く)、それ以降の人間関係は他に類を見ないほど恵まれていると確信を持っているのだ。

 

2~3週間に1回はケバブを食べる。ラム肉が好きすぎるのだ。

 

最初に恵まれた人間関係は、師弟関係であった。人生でもかなり人格に影響する中学生時代を濃厚な師弟関係のもとで過ごしていたものだから、大学入学以降の師弟関係不在の教育システムとはまったく適合しなかったわけだが、大学5年生頃から東大病院に当時在籍されていた先生方から個人レッスンをしていただくようになってからは、医学を面白いと思えるようになったし、色々とダメな自分を少しは肯定できるようになった。初期研修医時代は師弟関係不在の状態に戻ったが、そこでいったん独学中心の生活に戻って、独学の限界を実感できたことも有意義だった(同時に、当直への恐怖心のせいで鬱な時期でもあった)。独学の限界を知っているからこそ、師匠の存在の不可欠を悟ることができたのであり、後期研修医がはじまるとともにまた新たな師弟関係のもとで勉強できたのもよかったと思う。新旧の師弟関係の中にはいまでも続いているものがあり、遠慮なく叱ってくれる師匠がいるからこそ箍を緩めることなく研鑽し続けられる。ありがたいことだ。

 

後期研修がはじまってからしばらく後、師弟関係が続きつつも、それが少し希薄になっていた時期があった。ただ、この時期は間違いなく後輩に恵まれていたと思う。自分の勤める診療科をローテートした後輩に対しては、もちろん診療科のカリキュラムとして教えていた面もあるのだが、慕ってくれる意欲的な後輩に対しては「秘蔵っ子」のつもりで問診や身体診察の繊細な部分とか、論文の読み方や書き方などを叩き込んだ。自分が教えた後輩たちは、いまはそれぞれの診療科で華々しく活躍しているところだ。中にはNEJM・JAMA系列に論文を載せて既に名を轟かせている怪物もいれば、なかば独立してコンスタントにトップジャーナルに論文を発表している努力の天才もいる。要するに、自分の教え子は、例外なく教えた自分よりも優秀なのだ。そんな彼らが、忖度からか、たまに自分に相談を持ってきてくれる。才覚の劣る自分の助言が果たして役に立つものかと疑問に思っているが、こうして自分のことを忘れないでいてくれるのはありがたいことだ。同時に、自分も背中を見せられないなりに実力がないとみっともないよなぁとは思う。

 

師匠に恵まれていた時期、後輩に恵まれていた時期を経て、現在の職場に赴任するに至って1年と少しが経つ。この1年で恵まれた人間関係は、交友関係であろう。後輩たちよりも見劣りするとはいえ、自分も多少の実績は積み上げてきたつもりだ。その中で、自分よりも少し年上の先輩方からお声がけいただける機会が増え、師弟関係とはまた異なる関係、いわば交友関係が一気に広がった。医療業界での交友関係も広がって、学会などの場での出会いが増えているところだが、それ以上のスピードで医療外の交友関係が広がっている。不思議なもので、人間関係を大切にしながら実績を少しずつ積み上げていくと、思わぬ人物を紹介してもらえて連鎖的に人間関係が広がっていくのがこの世のならいのようである。普通に医者やっていたら絶対に接点がなさそうな業界ともつながれていて、金銭だけでなく人間関係にも複利効果が働くのかと驚いてしまうのである。こういった経緯があって、特定の業界にアプローチしたい時に誰に声をかければ良いのかというのが、ある程度自分の中で出来上がりつつあるように思う。

 

ちなみに、医者と関係の深い企業と言えば製薬会社だが、こちらの関係性はそこまで強いものはない。むしろ、他の医者と比べると関係性が弱いくらいだが(実際問題、あまり強化しすぎると論文執筆時のCOIが問題になる……)、こちらも最近になって恵まれはじめているように思う。昔は営業一辺倒で宣伝ばかりするMRさんしかいなくて辟易としていたのだが(ゆえに、基本的にMRさんは嫌いである)、最近は薬を愛してやまないタイプの風変わりなMRさんが来ることがあって、そのオタクトークを聞いていると結構楽しい。自社の薬の宣伝をまったくせずに、競合他社のも含めた薬の歴史とか構造式とかの話をガンガンしゃべってそのまま帰ってしまうMRさんまでいて、「本当に薬を愛しているんだなぁ」と感じられて良いと思う。もっとも、あまりにも自由奔放すぎるものだから、彼らがクビにならないかは少々心配でもある。

 

そういうわけで、この1年を振り返ると「交友関係に恵まれた年」であり、いままでをすべて合わせると、師匠・少し年上の先輩・後輩に尋常ならず恵まれていることになる。数年前までは正真正銘のぼっち族だったものだから、いま自分が素敵な人たちに囲まれているのがちょっと信じられないくらいだ。ただ、人間関係に恵まれているということは、同時にそれに伴う責任も果たさなければならない。つまり、人間関係を維持できているのは、自分に対する信頼が蓄積されているからであって、その蓄積がなくなった瞬間に人間関係が崩壊してしまうことも肝に銘じておかねばならないと思っている。ここでの信頼をもう少し具体的に表現すれば、「いまの」自分の実力に対する信頼というよりは、「将来期待される」自分の実力に対する信頼なのだろう。謙虚に研鑽し続けること、着実に成果を出し続けること、そして、能力を劣化させずに少しずつでも伸ばし続けること(認知症にならないこと?)。言い換えると、素敵な人たちに囲まれているということは、自分自身もそれに見合う素敵な人にならないといけないのだと思っている。そういうわけで、自分の人生は自分自身のものであると同時に、応援してくれるステークホルダーの皆さんのものでもあると認識しながら、変わらず精進を続けていきたい。