つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

学問と習慣 (4/4)

継続的に勉強する仕組みを作り出すための工夫を紹介する内容も、今回で一区切りですね。最近、鶏むね肉を如何に美味しく調理するか、試行錯誤しているItoです。鶏むね肉は硬くてパサパサしているので主婦から忌み嫌われがちなのですが、仕込みをしっかりやれば他の部位の肉と同じように美味しく調理することができるので、チャレンジする価値大ありです。

 

具体的には、鶏むね肉1ブロックを長軸方向に2つに切り分けて、塩小さじ1/2、砂糖小さじ1、酒大さじ1を揉みこんでジップロックに放り込んで冷凍すればOKです (冷凍時にブロック同士がくっつかないよう離しておくべし)。鶏むね肉は茨城水準だと100 gあたり65円くらいで買えますし、冷蔵だと保ちませんが、冷凍なら1か月くらい保ちます。食べる際には半日弱かけて常温で解凍し、塩胡椒のシンプルな味付けで焼くだけでも結構美味しいので、苦学生諸君はレタス保存法と一緒によく覚えておくべし。

※ 因みに仕込む時間がない時は、チタタプって唱えながら包丁の峰で細かく叩いて、断面積が大きくなるよう斜めに切を入れれば、柔らか美味しくなりますぜ。

 

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田中清月堂(茨城県土浦市):綺麗で美味しいのに安くて驚いた、感激!

 

安くて健康的な食事の話を続けていきたい気持ちも山々ですが、本題に戻りましょうか。今回は「バインダー法」について紹介。もっとも、「法」というほど大それたものではないのですが……。東大教授からの受け売りです。

 

東大医学部には面白い先生がたくさんいらっしゃるのですが、当時栄養学の教鞭を執っておられたのが、S木先生でした (現・栄養疫学分野教授)。S木先生の講義は、肥満パラドクスなど臨床研究の胡散臭い箇所を指摘して、それを切り口に栄養学を解説するという非常に刺激的なスタイルだったのですが、配布される論文のコピーの右上に必ず5桁の番号が振ってあったんですね。

※ 余談ながら、S木先生から教わった肥満パラドクスの概念を応用して、後年Itoも肺炎パラドクスの論文をPulmonologyからpublishしています。

 

S木先生ご本人が仰るに、「これは僕が論文を読んだ順番に通し番号をつけているんだ」とのこと。逆に言えば、この先生は論文をこれまで5桁本読んでいるということになる。当時のItoも論文を読む習慣はなかったので、「どうすればそんなに論文を読める体質になれるんだろう」と興味津々だったわけです。

 

そんな学生サイドの期待に応えるように、S木先生の種明かしが始まりました。「論文を大量に読めるようになるには、論文をバインダーに閉じればいい、それだけです。論文をバインダーに閉じると、読んだ論文がどんどん溜まっていく。積み重なっていくのを見ると読んだ感じがして楽しくなってくるんですよ」とのこと。それで、Itoも論文を読めるようになりたかったので、その日の帰り道に100円ショップでバインダーセットを購入して、早速読んだ論文をバインダーに閉じるのを始めました。

 

確かに、S木先生の仰る通り、論文が積み重なっていくのをみると、自分が日々強くなっているような気がして楽しい。ドラ〇ンクエストでレベリングするような感覚で論文を読みこなせるわけです。そんなノリで論文読みに夢中になっているうちに、気が付けば論文を読まないと精神的に参ってしまう体質に変わっていたという次第です (この体質は、一度なってしまうとなかなか厄介なものですぜ)。

 

ただ、この「バインダー法」には欠点があります。半年続けると住居が論文に占拠されてしまい、足の踏み場がなくなってしまうのです。大学6年生の終盤にベッドまで論文の山に占拠された時は、仕方なくバインダーの上に寝ていた時期もありました (後で親に滅茶苦茶叱られた)。結局、医師2年目の時に論文の重さで床が抜けた段階で「こりゃ無理だ」と悟り、Itoは「バインダー法」を卒業しました。でも、論文を読む習慣は身に着いてしまっていたので、「バインダー法」なしでも論文は読めるわけですね。良いきっかけでした。

 

ここまで、どのようにして学問習慣を確立したかの断片的なmethodsの話をしてきました。ただ、紹介した3つのmethodsをやれば習慣化できるかと言われると、そうとも言い切れない。Itoも色々と試行錯誤してきました。その中で振り返ってみたら、この3つが最も大きな要素だったんじゃないかな……そんな感じで綴っています。結局のところ、諸葛亮が『誡子書』に書いているように「志がなければ学問の完成はない」というところに尽きるんじゃないかと思うんですよ。志あればこそ、こういったmethodsもはじめて生きてくる。

 

わざわざこうしてmethodsを開示したのは、志はあるけれども、それをどう世の中に還元していけばよいか分からず戸惑っているような、学生・研修医諸君のためです。ツノを矯めるような教育に苛立ちを覚え、もっと上を目指したいと願う諸君であれば、Itoの示した3つのmethodsがきっと役に立つでしょう。それでも難しいという方は病院総合内科にいらっしゃい。Itoが必ずや天井を打ち破って見せましょう。

第22回日本病院総合診療医学会学術集会

こんにちは、Itoです。今日は外勤先で80人の外来をこなしながらも、オンラインで第22回日本病院総合診療医学会学術集会に参加させていただいていました。実は、当科をローテしてくれていた研修医の先生が発表してくれていてですね、それを固唾を飲んで見守っていたのでした……

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通常の飢餓性ケトアシドーシスの機序

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当該症例での飢餓性ケトアシドーシス

 

学会2日前にオンラインで研修医の先生と打ち合わせした時点で「まぁ大丈夫だろうな」とは思っていたのですが、本番でも堂々としていて、全くつっかえずにスムーズなプレゼンテーションでした。カンペを使わずに「あの」「その」「えーっと」の出ない立ち居振る舞いはお見事で、時間配分も症例半分・考察半分、非の打ちどころナシでした (座長の先生もかなり好意的で、Itoとしてはホッとしました)。

 

この研修医の先生には学会発表も症例報告 (論文作成) も経験してもらえたので、病院総合内科の面白いところをフルに味わってもらえたかなぁとItoとしては勝手に自己満足に浸っております。やっぱり、ひたすら病棟業務をこなして変わらない日々を過ごすだけでは気分が滅入ってくるんじゃないかと思うんですよね。たくさんの病棟業務を行った報酬としての学会発表や症例報告。そんな感じで臨床を今後も楽しんでいってもらえればと願っています。

 

そもそも何故この研修医の先生が学会発表とか症例報告の世界に足を踏み入れたかにも大きなきっかけがありました。彼の病院総合内科ローテ序盤に上記のケトアシドーシスの患者さんが入院したのですが、妙に重症感があって「なんでたった2日の絶食でこんなに重症化しているんだろう?」とみんなが首を傾げていたんですね。

 

Itoも全く分からなくて文献を調べていたのですが、euglycemic diabetic ketoacidosis (DKA) という疾患概念があるという論文 (Eur J Intern Med 2019) を偶然見つけました。で、Itoが「この患者さん、euglycemic DKAじゃね!?」とか大はしゃぎながら、黙々とカルテを書いていた彼に印刷した論文を放り投げて意気揚々と病棟を引き上げていったわけです…… (実際には飢餓性ケトアシドーシスという別病態でした)


それから5時間後に病棟で彼と合流したら、妙に目が輝いている。何事かと思えば、「Ito先生、この論文、面白いですね!」と言う。オカシイ英語論文を面白いと言ってはしゃぐ研修医なんて見たことも聞いたこともないぞ。しかし話を聞いていると、どうも本気で言っているらしい。そういうわけで、Itoも面白がって、彼をけしかけた上でこの症例を論文化したり学会に出したりせしめたわけでございました。今回の学会を以って、一連のエピソード終了。うん、研修医という立場でここまで成し遂げてしまうのは規格外だと思うんだ。

 

それにしても、世の中には色々な研修医の先生がいて面白いですね。極端に素直な人もいれば、極端に天邪鬼な人もいた。そして、どっちも病院総合内科ローテ中に驚くほど伸びて大化けするもんだから、なおのこと面白い。結局のところ個性なんて様々なんだから、ひとたび基本を教えたら、あとはそれを各々がどう発展させていくかなんて自由なんだ。基本の学問姿勢さえしっかりしていれば、あとはそれぞれの得意な方法をやってりゃ、勝手に実力がついてくる。ということで、研修医の先生方には是非、病院総合内科で学んだ学問姿勢をそれぞれのやり方で発展させていただけたらと思っています。怪物じみた後輩たちに負けず、Itoも良い (?) ロールモデルでいられるよう精進し続けていきますぞ。

学問と習慣 (3/4)

上級医が髪を切ってさっぱりしたのを見たのを機に、自分も3か月ぶりに髪を切ったItoです。頭がスース―して軽いのは良いですね。というか、今までがモッサリし過ぎていた。ただ、以前は御徒町の老夫婦に600円カットをお願いしていたこともあって、髪を切るのに1,200円かかるのもちょっと辛いものですね……。茨城県、食材やお花などは安いのですが、外食とか理髪店に関しては東京とあんまり変わらんので、そこのところはご注意を。

 

最近、いいことがありました。感染症のトップジャーナルであるClinical Infectious Diseases誌 (CID) に病院総合内科 2本目の論文がアクセプトされました! 1年で2本CIDに載るのはちょっと運良すぎな感じで、どこかで運を使い果たしていやしないかと心配になってしまいますが…….。どんな内容かというと、脳膿瘍患者に対して痙攣予防が必要か、という議論の論文。筑波大学附属病院 病院総合内科には驚くほどたくさん外傷性クモ膜下出血の患者さんが入院するので (常時3人は受け持っているレベル)、嗜みとして頭部外傷の論文をたくさん読み込んでいたのですが、そこでの知識を生かすことが出来たわけです。脳神経外科のcontroversialな知識を感染症領域に密輸入したような内容なので、純粋な感染症内科医には絶対に書けない論文だと勝手に思っています。……本当は外傷性クモ膜下出血をほぼ全例一般内科で診ている時点で色々とオカシイのですが、そこはツッコミなしで。

 

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寛永堂 (京都府三条) の大納言清澄:黒豆茶と抜群に合います!

 

雑談が長くなりました。どのようにして勉強の習慣を身に着けるかという話題でシリーズものを組んでいましたが、それも4回中3回目に突入です。まぁ、病院総合内科の宣伝をするためのデータをまとめるのに時間がかかりすぎて尺を稼いでいるだけなんですけどね。次々回あたりから路線を戻せればいいなぁと思っています。そのためにも、病院総合内科の患者数を半分以上減らさなければ (汗)。まだまだコロナ禍のあおりをもろに受けている状況です。

 

前回は「振り返りノート」を紹介しました。「振り返りノート」は何か物事を始めてからそれを習慣として定着させるまでの大きなヤマを乗り越えるために有用なツールとして紹介させていただきました。今日紹介するのは、勉強するタイミングのお話です。「朝一番」なんて名前をシリーズ最初のブログで書いていましたが、箇条書きするために半ば強引にネーミングをつけていただけです。

 

改めて説明するまでもなく人間には朝型人間・夜型人間があるわけですが、Itoはゴリゴリの超朝型人間でございます。Itoは臨床論文を相当読み慣れていて、1日に15本 英語論文を読むこともその気になれば出来てしまうのですが、実はそれが可能なのは朝だけで、昼とか夜はとても読むことが出来ません。いちおう昼とか夜でも形式的に読むことは出来るのですが、論文を読んでも文字の上を視線がツルーッと滑ってしまう感じで、実際には読み込めないことが多いのです。何が言いたいかというと、人間には得意不得意があるものだけれど、得意なものが真に得意になるような時間帯があるということです。自分自身のパフォーマンスが1日のうちで最高になる時間帯を知っておくのは悪いことではない

 

Itoは朝5時に起きて、珈琲豆を挽きながら日本語論文を3本読んで、珈琲が入ってから朝6時30分までの間に英語論文を最低3本読むことを日課にしています (そして朝7時に家を出て大学へ)。この「朝5時」の部分ですが、「朝5時」が自分の場合に一番上手くいくことを発見するまでにだいぶ時間かかりましたね。例えば、大学4年生頃は朝3時30分に起きて、5 kmばかりジョギングしてから教科書を読むみたいなことをやっていましたが、教科書のページが進むだけで眠気で頭に意外と入ってこなかったです。つまり、超朝型だからといって、無暗に早起きすればいいという話でもないようです

 

個人差があるところなので、各々が得意な時間帯を見つけてほしいというのが正直なところですが、朝5時から朝7時が大丈夫という人は、この時間帯を味方につけるとかなり強いと思います。というのも、雑音がない。誰も起きていないし、メールも基本的に来ない。出勤までという形で時間制限もかかるので、勉強に締め切り効果を取り入れやすいというメリットもある。最高じゃないですか。それに、太陽より早く起きて日の出直前の青みがかった空を仰ぎ見るのもまた、心が透き通っていく感じがして良いものです。BGMは勿論、加古隆の「青の地平」で。Itoにとって、夜明け前は人間社会の穢れを洗い流せる貴重なひとときなのです。

 

眠気の話が出たので、少し違うお話も。実はItoは患者さんの全身状態が安定している時は15分程度の昼寝を欠かさないようにしています。というのも超朝型なので、昼12時が体感的に16時くらいに感じられて結構バテバテなのです。眠たい目をこすって1時間業務をするのと15分の仮眠で冴えた頭で45分業務をするのでは、後者の方が数倍の成果をあげられるに決まっている。というわけで、(まことに不遜ながら) Itoが病院総合内科に入る前に、科長のK先生に「患者さんが落ち着いていたら昼寝していいですか?」と確認をとっていたこともカミングアウトしておきます。「いいよー、全然問題ないです。眠いまま仕事するのは僕も辛いから」とコメントいただいたので、安心して病院総合内科入りを決意できたわけです (不遜なことを言って本当にすみませんでした!)。もっとも、患者さんの全身状態が落ち着いていなかったり、新患が来そうだったりする時は当然、昼寝時間ナシですけどね。

 

※ あと、昼寝に関しては以下の文献がよくまとまっていますので、参考までにどうぞ。Itoの昼寝観はこの文献に結構影響されています。

 

ということで、学問を習慣化する上では得意な時刻の把握や、上手な睡眠のとり方も重要だと思いますよー、というお話でした。自分自身の1日のバイオリズムをよく把握した上で、絶好調のタイミングで重要なことをこなし、どうでもいいことは絶不調なタイミングにわざとぶつけておく (常にパフォーマンスを最高に、という人がいますが、個人的にこれは100%無理です)。体調と業務を上手くマッチングさせることが、持続可能な努力には大切だと思います。

学問と習慣 (2/4)

茨城県といえば物価が東京や神奈川と比べて結構安いことでも知られていますが、今日は普段98円のハーフレタスが80円で買えて大満足のItoです。茨城に住んでいるとなかなか意識しないのですが、茨城県の物価は本当に破格で、先日が〇研有明感染症の先生に茨城での食材の値段を教えたら驚愕していました…… (笑)。まぁ、Itoとしても、ラ〇ーナ川崎の食料品売り場で馬〇道馬蹄パイ以外の買い物をする気にはなかなかなれないですね。ちなみに、レタスはちゃんと切り口を湿らせたティッシュで包んでラップすることで1週間は新鮮なまま保つので、野菜不足になりがちな独居の苦学生はよーく覚えておくべし!

 

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壺屋(東京都文京区湯島):勝海舟が店仕舞いしないよう説得したことで有名!

 

さて、今回のブログの本題は野菜の話ではないですね。学問を習慣化する3つの秘訣のうちの1つめである「振り返りノート」の話です。そもそものきっかけは、大学受験時代にS台予備学校の傘下にある小さな塾で英語を教えているO島先生の雑談でした (Itoが高2の時なので、遡ること実に10年以上……)。

 

曰く、東大を受験する者は全教科を得点源にしないといけないと。だから、全教科を少しずつでいいから毎日勉強することが重要なわけで、やった勉強内容を記録につけなさい。そう言われたわけです。そしてそのO島先生が仰るには、使っていないノートがあれば、それを8等分して1週間分の記録にしなさいというのです。

 

1学年上の東大実戦模試を受け、数学でまさかの10点 (120点満点) をたたき出して理Ⅲ E判定を食らい、Itoも焦りに焦っていたのでしょう。その雑談を聞いた日の夜にノートを引っ張り出してきて、O島メソッドを真似し始めました。今どき見なくなったナカバヤシの安売りノートを折り曲げて……。確かにその日に手を付けていない教科が浮き彫りになるので、意識的に全教科をバランスよく勉強できるようになりました。偏差値もゆっくりとですが、少しずつ上がっていきました。でも、効果はそれだけではなかったのです。

 

ノートが埋まっていくのを見ると、なんか嬉しい!!

 

「自分って今日はこんなに勉強したんだ、明日も頑張るぞう!」って気合が入るんですよ。勉強量の少ない日は「このままじゃヤバイ!」と思って、違う思考回路でも気合が入ってくるし。ここに、Itoのドパミン生成装置その1が完成するわけです (ドパミン生成装置その2はいずれ明かします)。

 

で、この「振り返りノート」を10年続けた結果……

 

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振り返りノート(2021年1月分)

 

1日にやった病棟業務 (手技など) の内容、読んだ英語 & 日本語文献、ラジオ英語講座や資格試験の勉強、ジョギングや歩いた距離などが書かれていて、最近はこんな感じで自己鍛錬の強度を変えることなく続けている感じですね。「通勤強歩」って何だよって思われるかもしれませんが、Itoは交通機関を極力使わないよう心掛けているだけです (ボケーッと歩くのが大好きで……)。

 

このメソッドを色々な人に勧めるのですが、何故か真似する人がいない。まぁ、みんなが真似しないからこそ、今の自分の立ち位置が脅かされにくいという見方も出来そうですがね、ふふふ。

学問と習慣 (1/4)

医師の仕事には勉強が不可欠です。医学は日々進歩していて、5年前の常識が非常識になってしまうことも決して少なくはない。従って、知識のアップデートが常に必要になるわけですが、Itoの場合どのように勉強しているかを少しずつ紹介しようと思います。毎度のことながら偉そうなことをひけらかしていくわけです。ちなみに、和菓子の写真に深い意味はありませんが、しばらくItoの大好きな和菓子の写真もアップしていきます。ブログを色鮮やかにしたいというだけの意図でございます。

 

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つる瀬(東京都文京区湯島):「ふく梅」がお勧め

 

慣れていないと、勉強するのってかなり苦痛なものです。Itoも小学生の頃は、勉強量に応じてテレビゲーム (当時はN64) を何分やらせてもらえるという形で辛うじて (嫌々ながら) 勉強していました。勝手な想像ですが、勉強机に向かうだけでも結構な意志力を要する方は多いのではないでしょうか。

 

でも逆に考えれば、意志力を要さずに机に向かえるようになれば、割と勉強が捗ってしまうかもしれない。ここがミソとなるところで、拡大解釈してしまえば "勉強する習慣が身についてしまえばいい" ということになるわけです。

 

とはいえ、カントでもあるまいし、勉強の習慣をどのように身につければいいのか、という声が聞こえてきそうです。方法論は今後明かしていこうと思いますが、とりあえず今回は習慣化のよさを力説させていただこうと思います。まぁ根拠とかはなくて、Ito個人で上手くいっているやり方を紹介するに留めるんですけどね。

 

そもそもなんで学問しているかというと、それは「自由になるため」です (ドンッ!)。知識が増えれば増えるほど、既存の事物に囚われてしまいそうという考え方もあるとは思うのですが、成功経験や失敗経験とミックスしていくうちに、臨床現場における「裏ワザ」を開拓できて、戦略的・戦術的な自由度が増してくるんですね。創意工夫で自分の周囲を動かしていくのって結構楽しいです。

 

では学問の短期的な目標は何かというと、「昨日の自分よりも賢く」……これに尽きます。もっと言うと、昨日の自分よりも馬鹿にならなければいいくらいの軽い気持ちで構えていればいいと思っています。突発的にたくさん勉強したところで、知恵にならないどころか、嫌になって吐きます。むしろ、毎日ほんの少しでいいから賢くなって、だけどその歩みを止めないことが大切なんじゃないかなと思います [注]。塵も積もれば山となるわけです。

 

[注] 学力が短期的に飛躍することは基本的にないと思って、地道に継続性を重視して勉強するのが良いと思います。ちなみに学力が短期的に飛躍する極めて例外的なシチュエーションとして、お師匠様に師事し始めた時というのが挙げられますが、そもそもお師匠様に見出される過程である程度の学問が必要なので、結局は地道にやるしかないです。結局のところ「学問に王道なし」です。

 

Itoは大学5年生頃から現在に至るまで、英語の文献を1日3本、日本語の総論文献を1日3本、医学書を1日1章分、インプットすることを最低限のノルマにしています。自分で言うのもアレですが、勉強量としてはそこそこだと思っています (もっと凄い人いるけど)。だけど、やっていて苦痛かと言われると全くそうではなく、むしろこのノルマの達成が脅かされる状況下で苦痛を感じることの方が多いんですよね。

 

なぜそんな状況になっているかというと、それは「そういう形で習慣化してしまったから」という理由に尽きます。では、どのように習慣化したかというと、以下の通りになります。

(1)振り返りノート (高校2年生の時から現在まで)

(2)朝一番 (大学5年生の時から現在まで)

(3)バインダー法 (大学5年生の時から医師2年目まで)

 これらの方法論について、今後少しずつ解説していこうと思います (これくらいの内容であればコロナ禍の忙しさでも書けそうということで)。見てお分かりの通り、「振り返りノート」は大学受験生時代、凡人であるItoが何が何でも理Ⅲに合格するために編み出した手法です。また、「朝一番」や「バインダー法」は東大医学部在学中に教授の先生方が実践していた勉強法を真似している中で生まれた方法です。試験勉強という小手先っぽい場面から、アカデミズムの中で生き残らないといけない場面まで、(相性さえあえば) 汎用性の高い方法論だと思っておりますので、少しでも参考になれば幸いです。

筑波大学と本の虫

こんにちは、Itoです。相変わらず、筑波の病院総合内科は病床数オーバーの状況が続いていて非常に厳しい状況ですが、少し精神的にも体力的にも慣れてきつつあるかなという状況です。正確な数値を言えば、病床数上限の丁度1.5倍の数の患者さんを受け入れています (要はリミッターを解除しているわけです)。昼食は……先週1週間のうち半分は食べる時間がありましたので、絶食に強い新人類に進化することは免れたようです (江戸時代は1日2食文化だったので "旧人類" の方が適切なのかな?)。

 

まぁ、もっとも、前線で槍働きをしている人間からしてみれば、病床数なんかよりもマンパワーの方が現場の実情を反映していて圧倒的に大事なんですけどね。管理職目線と現場目線は常にズレるものです。病院総合内科であれば、固定メンバーがあと1-2人増えるだけで戦略も戦術も大きく広げられるのですが、人材不足の感は否めません (実質的に3-4年目医師2人だけの戦力でよく支え切ったもんだよ、ホンマにねぇ)。……とはいえ、筑波大学はまだマシな方茨城県は全体的に人材不足なので、茨城県内から人材を賄う (乱暴な言い方をすれば "奪う") のは仁義に悖る行為だとIto個人としては思っています。Itoは東大の出なので今でも東大生との接点が多いのですが、東京での "綺麗な" 医療しか知らない東大医学部生には是非、茨城県にも医療があって特有の面白さがあることを知ってほしいなと願っています。秋葉原からつくばまで電車で45分だし、関東の他の地方と比べたら比較的手の届きやすい場所なのですが、まだそういう認識までは持たれていないのかも。

 

病院総合内科に入院している患者さんの病気の大雑把な統計とか、内科専門医制度との相性の検証とか、色々と書きたい内容はあるのですが、この忙しさの中でデータをまとめられていないので、公開は先の話になるかなと思います。すみません、もっと手軽にItoが書ける内容でしばらくは書いていきます。病院総合内科から新しい論文が続々とアクセプトされている話とか、時事ネタは結構あるんですけどね (実は2021年になってからの3週間で、病院総合内科から4本のPubMed論文がアクセプトされています!)。そういった話は近々綴っていこうかなと思います。それにしても昨年Am J Medにアクセプトされた論文3本のうち2本がPubMedに未だ反映されていないのは何故なんだろう。

 

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つくば文化会館アルス (市立中央図書館 + 美術館)

 

さて、ここから本題。Itoが東大の感染症内科から筑波の病院総合内科に移ってきてからというもの、精神面で充実した日々を送れているのですが (今は辛いけど)、その大きな理由のひとつに、筑波大学への通勤路のインフラが凄い、ということが挙げられます。通勤路に図書館と美術館と博物館が揃っているのって、チート級に恵まれていると思うのです。学生受けしそうな飲食店もたくさんありますし。

 

Itoはほぼ毎日、通勤路上にある市立図書館に通っています。3日に1冊くらいのペースで、医療とは関係ない専門書を片っ端から読み漁っているのですが、これが医療現場という現実から逃避するのに優れた手段になっているところがあります。例えば、昨年の夏は『源氏物語』にどっぷりハマって、瀬戸内寂聴訳 (短歌の訳が凄い) や林望訳を読み比べていました。それまで『源氏物語』を読んだことがなくて、恋愛小説の古典という認識しか持っていなかったのですが、実際に読んでみると感情描写が細やかで、Ito目線では「プライドとは何か?」という物語に見えて面白かったです。秋は司馬遼太郎の『峠』(河井継之助) とか『竜馬がゆく』(坂本龍馬) を読んでいましたね。両方とも青春小説として心を若返らせてくれました。河井継之助の生き方はItoにとっての模範なのですが (物語前半のぐうたらな部分も含めて?)、つくばに来ていなかったら、こういった生き方のお手本になる歴史人物との出会いもなかったことでしょう。

 

そういえば最近読んで驚愕した本があります。長沼先生の書かれた『現代経済学の直観的方法』という本です。この本は "経済学以外は分かるが、経済学だけは分からん" という人向けの本らしく、まさしくIto向けの本じゃないかと思って手に取って読んだのですが、まさしくビンゴ、資本主義社会のグロテスクな一面を見せつけられて "こんな基盤の脆い社会で自分はどう振る舞うべきか" を真剣に考えさせられることになりました。資本主義社会における成長とは何か? 貨幣とは何か? そういった極めて基本的な部分を掘り下げている論考なのですが、この世を動かすカラクリに関してかなり本質的なことが記載されていて、何周も読むに値する稀少な本だと感じました。ちなみに記述は比較的読みやすいですが、朝の冴えた頭でないと読めないくらいには歯応えのある一冊でしたね。分かりやすいけど簡単じゃあない。

 

ここまで読書遍歴の話でしたが、図書館って実はみんなが思っているよりも凄い場所です。これは国文科出身の親戚からの受け売り知識ですが、図書館というのは市民の知的好奇心に可能な限り "応えないといけない" 場所で、そのために多額の税金が投入されている場所、らしいです。「図書館に読みたい本がない!」という意見もあるかと思いますが、それもノープロブレム! まず、図書館は見た目よりも多くの本を持っているもので、書庫に結構な本を持っているので、検索をかけてみると意外と必要な本が見つかることが多いです。また、その図書館に必要な本がなくても、「相互貸借」という最強の制度があるんですね。図書館どうしのネットワークで本をやり取りできるらしくて、例えばつくば市立中央図書館の場合は、茨城県の図書館 (大学除く) にある本なら基本的に全て取り寄せで読むことができます。紛失などに対するペナルティは重めですが、この「相互貸借」制度を知らないと結構損すると思います。もし「相互貸借」ですら借りられない本があるのなら、その時は市のお金で買ってもらえばいいんです (このあたりは市町村の義務らしいです)。ワンダフォー、ですね!

 

通勤路に図書館と美術館と博物館が揃った筑波大学附属病院 病院総合内科に、知的好奇心旺盛な医学徒よ、是非来たれ!! (特に茨城県外から来る人は大歓迎です!)

年始を迎えて

遅くなってしまいましたが、あけましておめでとうございます。このブログで病院総合内科で研修する楽しさとか、面白さとか、そういう内容を伝えたいと思っているのですが、今日ばかりはちょっと気持ち的にしんどいので、少し愚痴らせてください。

 

この年末から年始にかけて、COVID-19流行の勢いが一層強まっており、筑波大学附属病院も病床を確保できなくなっている状況になっています。他の科は分かりませんが、少なくとも病院総合内科はキャパシティ上限の1.5~2倍くらいで今は動いている印象です。もともと医療資源の乏しい茨城県においては、医師や看護師の数が病床に比してかなり少ないということもあって、こういった爆発的な需要の増加に弱いという面があるんですね (COVID-19が流行しようがしていまいが、常に崩壊の危機と隣り合わせなのが茨城県の医療事情でした)。

 

それで正直なところを申し上げると、自分自身が生き延びることで精一杯という状況です。この2週間で昼食を食べる時間は全く捻出できなくなりましたが、昼食を抜いているうちに1日2食に慣れつつある自分がいます。人間怖いもので、水と根性で空腹を満たすこともできなくはないようです。そして、目一杯に、自分の身体を伸ばしに伸ばしながらの医療なので、診療の質はだいぶ落ちているなという実感があります。"本当はもっと上手くやれるのに" と思いながらも、それを実行するだけの余力がない悔しさを感じることが多くなってきました。

 

忙しさが極まってくると五感もだんだんと麻痺してくるもの。その一方で、仕事を終えて病院から一歩出ると、冷たい風が頬を撫でるのをありありと感じることが増えてきました。今までこんなに自然が心に刺さってくることなんてあっただろうか?「国破れて山河在り」……そうか、これこそがまさにその心境か、と。今はまだ "戦時中" で、杜甫の「春望」の時のような "敗戦後" ではないのですが、とても勝てる戦いとは思えないという諦念が先に来てしまっているのでしょう。それだけ、量で圧倒されてしまっているというわけです。

 

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つくばエキスポセンター前

 

それでも最近、嬉しいことがありました。東京でも爆発的にCOVID-19患者数が増加していて、東大感染症内科時代のお師匠様とも音信不通の状況が続いていたのですが、ようやくお互いの安否を確認することができました。先にも述べましたが、生き延びるだけでも精一杯なこの状況なので、お師匠様が病気になることなく何とかやっていることを聞けただけでもとても嬉しかったのです (医療現場はそれくらい絶望的な状況です)。久しぶりに将来に向けての意見交換もして、その流れでお師匠様厳選の論文を20本ばかり送っていただいたのですが、どの論文も背筋がゾクゾクするほど面白い。この数日は、送ってもらった論文を読み返すことで元気をチャージしています。

 

あともうひとつ嬉しかったこと。今日は珍しく、電車ではなく妻の車で家に帰ったのですが (20時頃)、道中の飲食店がことごとく暗くなっていましたね。戦っているのは医療従事者だけではないんだと感じることができて、非常に心強かったです。今まで医療従事者、特に救急関連の部門だけの孤軍奮闘だと思っていたので、少し気持ちが明るくなりました。

 

そして最後に、一般市民の皆様へのお願い。

頼むから何もしてくれるな。

何か物質的なものを援助しようとか、そういうのは要りません。ただ、大人しく家で過ごしていただければ、それが医療従事者への最高の支援になります。逆に、医療従事者が一番絶望 (と怒り) を感じるのは、発熱している患者さんのカルテに「△△へ旅行してきた」「集団でワインを飲んでいた」といった、明らかに感染しそうな行動が見えた時です。くれぐれも、医療従事者の気持ちを踏み躙るようなハイリスクな行為は控えていただければと思います。よろしくお願いします。