つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

歴史探訪、人生をめぐる諸問題

最近、衝撃的な書籍を読む機会があった。『生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅』(フィルムアート社)である。非常に地味で、自分の知る限りでは表立って日本で取り上げられたこともなかった本だと思うのだが、この本の存在があまり知られていないのは勿体ないと感じたので紹介したい(なお、今回も「だ・である」調で書いていて、Ito個人の見解であることを予め断っておく)。

 

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現在と未来を読み解くには、過去を掘り下げるのが良いだろう

 

人生を考える上で、決して避けることのできない問題が幾つかある。愛の問題、家族の問題、仕事の問題、お金の問題、信念の問題など、枚挙にいとまがない。古代ギリシアの哲学者から現代を生きるぼくらに至るまで、みんながこういった問題と格闘してきた。そう、数多くの人々が、こういった人生における諸問題を真剣に考えて考察してきたのだ。悩んでいるのはぼくらだけだと思うのは大間違い。昔の人々もこういった問題に対して各々回答を導き出しているわけで、その思索の積み重ねをぼくらが追体験しないのは勿体ないと思うのだ。この本は、人生における諸問題に対してどう先人たちが格闘し、どのような結論に至ったのか/至らなかったのかを紹介してくれる名著である。ぼくらの悩みに対する答えは教えてくれないかもしれないが、どうアプローチしうるかは教えてくれるので、悩みの多い人ほど読む価値があると思う。

 

例えば、愛の問題。現代においては「愛」は「愛」でしかないが、昔は「愛」というと「エロス(恋)」「フィリア(友愛)」「ルードゥス(戯れ)」「プラグマ(成熟愛)」「アガペー(無私の愛)」「フラウティア(自己愛)」の6つに大別されていたという。これらの6つの言葉を現代語に翻訳するのは極めて難しいが、それぞれの概念をぼくらが全く理解できないかというと、案外そうでもない。現代における「愛」は、ボキャ貧の問題に直面していると言ってよく、それがLGBT問題(「フィリア」を「愛」と認めない態度)などの歪みの遠因になっているのではないかと改めて感じた次第である。ぼくらの身近なところで言えば、10年くらい前の大河ドラマに「天地人」というのがあって、その主人公である戦国武将・直江兼続が「愛」の字の兜を被っていたことは良く知られているが、あれを見て気恥ずかしく思った人がいるのであれば、それも「愛」のボキャ貧に起因する問題だ(あれは民に対する「アガペー」を指している)。一口で「愛」と言っても色々な「愛」のかたちがある。昔から現代に至る過程で失われたものを取り戻すことが、現代を知る第一歩なのではないかと改めて感じた。

 

昔から現代に至る過程で失われたものというと思い浮かぶのが、「分断の時代」というキーワードである。COVID-19流行前から人種差別問題が激化して米国でBLM問題(Black Lives Matter)が顕在化していたし、COVID-19流行直後にはアジア人への偏見が大きな問題になったこともあった。国際情勢に目を向けると、中国とロシアの軍事行動が活発化しており、米国もアフガニスタンから手を引かざるを得ない状況になっていて、(日本国内にいると平和しか視界に入ってこないが)もはや一触即発の状況にあると言ってよいだろう。気がつけば、この2020年前後で世界が大きく分断されてしまったように見えるのである。

 

この分断をどうリカバリーするかの方策が全く見えてこないところが現代における頭痛の種なのだが、それでも立場を異にしてきた人々が和解した歴史があるということは知っておいて良いだろう。黒人(今ではBIPOCと呼ぶのが適切か)差別の結社の元指導者であるCPが心を入れ替えて公民権運動など黒人サイドの運動に参加したという逸話がとても印象に残っている。なぜCPが考えを改めたのかというと、実際に黒人の親友を持って、自分と黒人とで共通点が多いことに気がついたことが大きなきっかけだったようだ。そもそもCPが結社に入った理由が、貧困であった。黒人によって仕事を奪われて……という被害意識があったようだ。しかし、黒人もやはり貧困に苛まれている立場である。生活が苦しいという共通点を実際に会うことで確かめ合うことで、CPは黒人も同じ人間であることを理解することができ、はじめて自身の肩書きを乗り越えることができた。

 

日本の歴史に例を採るとすれば、戦国武将の立花宗茂島津義弘のやり取りが有名だろうか。立花宗茂の父親は高橋招運という名将で、島津氏と戦って戦死した経緯があったので、立花宗茂島津義弘は仇敵同士であった。その両者が、関ケ原の戦いではともに西軍として参戦し、敗走した。その際に、兵数の少ない島津隊を見つけた立花家の家来が、宗茂に「今が好機」とばかりに仇討ちを進言した。その時に宗茂が「敗軍を討つは武家の誉れにあらず」と激怒したことは、一部の歴史好きの間ではあまりにも有名である。このことをきっかけとして、立花宗茂島津義弘は信頼し合う間柄となり、ともに領地のある九州地方まで船路を共にしたとされる(この逸話は、海音寺潮五郎の『武将列伝 江戸篇』に生き生きと描かれているので、興味のある方は是非ご一読を)。

 

こういったように、立場を異にしていても、実際に会って、腹を割って話して、お互いに色々と問題を抱えて苦しんでいる人間であるということを確かめ合うことで、何とか相互理解に結びつくことがある。今後はこういった付き合いのやり方が、今まで以上に重要になってくるのではないだろうか。自分と異質の人間と触れ合うことを恐れない——これがこの「分断の時代」を生きる上では大事なのではと思うのである。

 

他にも、この本には「時計による人生の支配から逃れる」とか「どこまで簡素に生きられるか」とか、「旅行ガイドに支配されずに世界を見る」とか、そういった「自由に生きるためのヒント」がたくさん散りばめられている(ぼくらが時計や旅行ガイドに支配されて生きているなんて、普通に生活していたら考えもしないだろう!)。これはまさに、「生き方の大博覧会」とでも呼ぶべきもの。Itoは図書館でこの本を借りて読んだが、さすがに何度も読み返すべきと感じたので1冊買うつもりである(少し硬派な本なので、繰り返し読むほど味が出てくるだろう)。現代社会からの支配を脱し、自分の人生を生きたいのであれば、こういった形で先人たちの行動や施策を追体験することも大きな手掛かりになるのではないだろうか。