つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

「イノベーション = 新しい」……それ本当?

経済学の本をある程度読んだところで、最近は経営学の本も借りて読むことが増えてきたが、読んでいて小難しいと思うことが多い。経営学の本は、個別の企業の振る舞いを集めてきて、そこから一般的な結論を導き出す帰納的手法のものが多いわけだが、その個別の企業は理論家の側がある程度恣意的に選ぶこともできてしまうわけで、自然科学でいうところの選択バイアスに注意しながら読まないといけないなと感じてしまう。そういう意味では、経営学の本に書かれている理論というのは鵜呑みにするのでなく、ある程度感覚的に納得できる部分を上手に選んで実践に生かしてみるのが良いのかもしれない。

 

直近で読んだのは、『両利きの経営』(東洋経済新報社)という本である。この本を選んだ理由は、「本屋さんで平積みにされているのを見たことがあった」「そんな本がたまたま借りられずに図書館に置いてあった」という2点のみ。雰囲気だけで、内容を全く見ずに借りてしまった。読んでみた印象としては、経営学の例に漏れず小難しかった。ただ、言わんとすることはあまり難しくないのかなとも感じた(正直に言うと、必読書ではないんだろうなーと思った(スミマセン!))。

 

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革新的に見えて、案外そうでもない本だった……?

 

この本は、どのように企業が安定的にイノベーションを起こし、再現性をもって高いパフォーマンスを実現することができるかを追求した一冊のようだ。その要諦は、「知の探索」と「知の深化」にあるとのこと。「知の探索」というのは既存事業を越えて遠くへと新規事業を開拓していくこと、「知の深化」というのは既存事業を深堀りして磨きこんでいくことを指している。つまり、安定かつ良いパフォーマンスを実現できている昔ながらの事業を維持して深化させつつも、時代の変化に適応できるよう新しい分野へと手を広げていくということである。

 

確かに、根無し草のように新しいことばかり追いかけていっても、資金源などの基盤がなければ、失敗した時にそのまま枯れてしまうだけであろう。また、既にある事業ばかりに力を入れていると、時代の変化に取り残されてしまうことはこの10年の身の回りの変化をみても明らかだ(10年前の自分は10年後もガラケーを使っていると本気で思っていた!)。こういった事態を避けるために「両利きの経営」が必要である……表面的にはそういうことなのだろう。ただ、これだけだと当たり前のことしか言っていないように見えてしまう。

 

しかし、言うは易く行うは難しである。実際的にどのように「両利きの経営」を行うかは、企業文化や世間的な事情などを加味して柔軟に行わなければならないし、この本にもそのあたりが特に詳しく書かれているわけでもなかった。ただ、「両利きの経営」を行うとしたら、ふたつばかり最低限注意しないといけない点があるようにItoには感じられた。

 

ひとつは、「攻防一体」というよりかは「攻防連携」の姿勢で臨むこと。「知の探索」(新規事業)を行う部門と「知の深化」(既存事業)を行う部門とで、行う事業とターゲットとする顧客のいずれかは異なってくるわけで、両部門が同化してしまっていると恐らくは上手く機能しない。それに、「知の深化」(既存事業)の部門が直接「知の探索」(新規事業)に手を出すと、リソースを思い切って割くことができず(どうしても安定している既存事業に優先投資してしまいがち)、結果的に「知の探索」が形骸化してしまうという問題が生じてしまいそうだ。要するに、「知の探索」と「知の深化」はある程度独立して行われなければならない。

 

ふたつめは、「イノベーションを若手の専売特許と思い込んではいけない」ということ。応用が基本の積み重ねから生じるように、イノベーションも既存事業の積み重ねから繰り出された方が圧倒的に有利である。つまりは、もともとあるノウハウを他に転用するということだ。従って、「知の探索」(新規事業)の部門を率いる人間は、ある程度「知の深化」(既存事業)の中に人脈を持っていて、蓄積されたリソースを引き出せる人間であった方が有利だろう。そういう意味で、イノベーションを担うのは若手よりもその集団の中でベテランの立場にある人間である方が好ましく、まとめると「知の探索」と「知の深化」が完全に独立していてはいけないということになる。

 

このように考えていくと、「両利きの経営」が難しい理由は、「知の探索」(新規事業)と「知の深化」(既存事業)の絶妙な距離感を実現するのが難しいからではないだろうか。人が集まるところには例外なく派閥があり、争いがあるわけで、「知の探索」(新規事業)と「知の深化」(既存事業)が協調することも極めて難しいのではなかろうかと思うのである。両者を上手く調整できるようなリーダーシップ……うーん、ちょっと気の遠くなりそうな話だ。

 

さて、病院総合内科はちゃんと「両利きの経営」になっているだろうか。大学病院の三大業務は「臨床」「研究」「教育」とされているが、それぞれの担い手が完全に独立してしまっている医局が多く、大半の大学医局が「両利きの経営」からは程遠い集団になってしまっているようには見える。こういった反面教師を横目に見ながらも、病院総合内科を、既存の臨床業務を大切にしていきながら、そこから新規に研究や教育を伸ばしていけるような集団にしていきたいと改めて感じた次第である。もちろん、身の丈を越えた戦線拡大は疲弊のもとなので、メンバーの余暇を大切にしたいと思っていることも付け足しておこう。