つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

初代からのメッセージ

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"Hypertrophic cardiomyopathy and dilated cardiomyopathy are
presumed to be different entities". という刺激的な一文から始まる論文 

 

2021年9月29日 17:30-19:00 於 筑波大学附属病院 臨床講義室D
※ プライバシーに配慮して固有名詞を一部改変しています。

 

〈以下、講義内容〉

 

こんなにたくさんの方々が会場やwebで参加いただき、ありがたいというか、感激感動です。救急・集中治療科だけでなく、同級生の先生方にも来ていただいていますね。同級生のみなさんが教授になっていたり、要職につかれていたりするのもいいことだなと思っています。

 

お時間をなんと3時間もいただいていて、約33年間の業績をつぶさに説明しようと思っていたのですが、やめました。15分くらいでサクッと終わらせようと思います。自分は徳島出身で、筑波大学には第9回生で入りましたが、地味な学生生活をずっと送っていたんですね。でも、ひとつだけ誇れることがあって、友達と僕のノートのまとまりがよくて、有料で同級生に配っていました。当時のステーキ宮のランチは500円だったんですけど、980円の高いやつもあったので、それをノート代として奢ってもらっていました(会場大笑い)。

 

ぼくは昭和最後のレジデントで、それ以降は近隣の病院を色々と回りました。2000年の8月16日に筑波大学に入ってきて、それ以降は院内で色々と仕事していました。研究としては、研修医の時に心筋症の研究をしていて、循環器に入ってからはβ遮断薬の研究をしていました。集中治療領域に入ってからは主にオノアクト®の研究をしていて、最近はメンバーと敗血症領域でのβ遮断薬使用の研究をしています。教育については、色々なことを色々な委員でやりました。チュートリアルといって、当時は2000年過ぎだったと思いますが、「授業をするな」という話になっていて、「さすがにそれはやり過ぎでは……」なんてやり取りをしていました。あとはクリニカルクラークシップもずーっと委員をやっていましたし、OSCEの内部評価もしていました。院内ではベッドコントロールしていましたが、東大帰りの先生に「筑波大学みたいに1時間もベッドコントロールに時間かけているなんて時代遅れだ」なんて言われて、それで流通系の先生方と対策を練ったんですけど、結局「できません」という結論に落ち着きました(会場大笑い)。こういった色々な仕事は今後全部E先生にやっていただきます、頑張ってください。

 

今日はあれなんですよね、自民党総裁の河野(こうの)一族が……河野(かわの)一族が落選(会場 笑い)。しかも、僕の大好きなゴルゴ13のさいとうたかおさんが亡くなったり、おまけに地震があったり……ぼくこんな講演会、絶対にやりたくなかったんですけど、セッティングしていただいたI先生、ありがとうございまーす!(会場 大笑い)

 

今ではみなさん、肥大型心筋症が末期には心不全になることなんて当たり前に思っていると思うんですけど、昔は肥大型心筋症と拡張型心筋症は全く別個の病気なんだよと思われていて、肥大型心筋症が拡張相に移行することなんてないと言われていたんですけど、そんなことはないんだよということを示して、そういうことをAHAで発表して……当時のレジンデントでぼくだけだったんじゃないかな、それでJACCに論文を載せて学位をいただきました。当時は心不全の治療にもロクなものがなくて、安静・減塩、ジギタリス投与、うっ血が起これば利尿薬を投与して、動きが悪くなれば強心薬、肺が濡れたら人工呼吸器をやるしかなかったです。でも、その後に色々な薬が出てきて、それぞれにたくさんのエビデンスが出てきて、今では勉強するのも大変な状況です。その中で自分はβ遮断薬を扱っていました。……あれ、ミュートになっていますかね?

 

 

(復帰後)後から入ってきたオンラインの皆さん、こんばんは!(会場 笑い)

 

それで、その後に先代の救急・集中治療科の教授からICUに来ない?と言われて移ってきたわけですけど、その頃になるとオノアクト®が手術室だけでなくてICUでも使えるようになっていたんですね。主には心房細動に対して使用するというのを始めました。これは他の先生のデータなんですけど、心筋梗塞にβ遮断薬を投与するとCKが下がって心筋障害が軽減されるというわけです。筑波大学では当時、不整脈が得意だったんですけど、ランジオロールもその頃に使うようになりました。これはアメリカの集中治療学会に出したデータで、最初は周りから信じてもらえなかったんですけど、β遮断薬を周術期で心房細動になった人に投与すると、8割くらいの人が洞調律になったんですね。当時はβ遮断薬に抗不整脈作用はないと言われていたんですけど、今なんかはみんなにとってβ遮断薬で心房細動を洞調律に出来ることなんて当たり前ですよね。あとは低心機能の症例にもβ遮断薬が予後を改善することを示したことなんかもありました。そういったこと関連で小野薬品がスタディを組んでくれて保険適用にもなっているわけです。昔は心不全に対する治療は心臓を働かせる方向性だったんですけど、それが最近は心臓に優しくする方向性に変わりましたね。これからは敗血症に対するβ遮断薬のトピックも出てきますが、これについては後任のS先生に聞いてください。他には心筋のマイクロアレイ法などの研究も行いました。

 

臨床に関しては心不全治療をメインにやっていました。この写真は2000年くらいのLVAS(補助人工心臓)なんですけど、昔これを着けていた人の多くは亡くなりました。唯一助かった子が、この写真の子なんですけど、大雪の翌日に他県の医大に送らないといけないんですけど、ヘリで来てくださいということになって、野球場のグラウンドにヘリを下ろして送ってきました。この子が本当に死んでしまいそうだったんですけど、その医大でLVASを入れて、やがて心移植をして、今ではこの周辺に住んでいますよ(会場 驚き)。ある時、一般市民向けの講演会を行っていたんですけど、若い女性が出てきて、「私のこと覚えていますか」と言うんですよ。「いやぁ、そんなぼく……」と言ったんですけど(会場 笑い)、その時の子でしたね。超感激しました。他には、拘束性心筋症の人が茨城にいて、「救う会」を立ち上げて渡航移植しました。今では大学生くらいかな。本当によかったと思います。そういうわけで、ぼくは心不全の治療に関しては、急性期から慢性期、緩和も時には行っていました。大学病院には珍しく、心不全患者さんを最初から最後まで診ていた医者なんじゃないかなと思います。で、ちょっとこれで、ぼくの業績についてはおしまいにしたいと思いますけど、今度考えるのは、茨城県のことです。

 

茨城県には多くの医療圏があって、急性期医療の機能分担について最近は整理されつつあると思うんですね。常陸太田のあたりは急性期病院に乏しいので水戸あたりに搬送されることが多いんですけど、それ以外の医療圏についてはある程度自分のところでまかなっていけるようになっていると思うんですね。問題となるのは慢性期の方で、慢性期病院の医療圏については全く手をつけられていないのが現状です。茨城県としては、回復期だとか、慢性期だとかの県策定の計画病床数を満たしてはいるんですけど、実際に仕事をしていると転院させようとしている患者さんを転院させられないとか、なかなか回復期病院が受け入れてくれないとかで、現場での実感とは乖離している状況なんじゃないかと思うんです。その原因は、恐らくは日本医療の「在宅を増やそう」という方針にあると思っていて、みなさん、介護って大変ですよね。茨城県は大家族が未だに多いんですけど、それでも共働きだったり、昼間はジジババひとりだけだったり、それで本当に在宅ができるのかという問題があります。医師の確保も進んでいないし、慢性期病院の場合は医師の高齢化が進んでしまっています。ぼくの同級生が中堅として働いているような病院もあって、そういったところは今後どうするんだろうなと思います。

 

ここでちょっと内科のアピールをさせてください。我々が勉強した朝倉内科学の第3版にはこんなことが書いてあります。内科は医の王道であり、広い視野に立った行いである。他の分野を専攻している方もいらっしゃることを重々承知の上で言うのですが、内科というのは医の中心です。まぁ、内科の考え方というと、症状から身体所見をとって、色々な検査を解釈して、診断をして治療をするという一連の流れなんですけど、そこで難しい問題が生じると各専門科にコンサルトして知恵や技術を拝借というわけですね。総合内科的というのは、この一連の流れをしっかりとできることを言うわけです。でも、どうしても今は後期研修医のカリキュラムがサブスペシャリティ中心になってしまっていて、このままだと総合内科の基本的なことをできる人がどんどん減ってしまうんじゃないかなと心配しています。米国型ホスピタリストのように、病棟マネジメントをきっちりできる人が減ってしまうことに、とても強い危機感を覚えています。で、みなさんもこういうニュースを見たことがあると思います。新型コロナウイルスを受け入れると手を挙げたはいいけれども、病院にマネジメントできる医者がいなくて、結局入院させることができていないというニュースですね。補助金をそれで貰っていいの、と。やっぱり、しっかりとした内科医、病棟マネジメントのできる内科医を育てることが大事なのかなと思っています。どうしても、気管支鏡ができますよ、ECMO回せますよ、PCIできますよ、カテできますよ……とってもカッコいいことに若い先生の目が行ってしまいます。病棟マネジメント、例えば退院までの道筋をつけたり、他職種の人とやりとりしたり、そういったことをやっている医者って負け組なんじゃないかと学生さんの目には見えてしまうかもしれないのですが、むしろそういう人こそ病院の幹部候補生として相応しいのではないかなとぼくは思います。今後、内科医はどんどん不足しますが、皆さんにはどんどん内科に入ってほしいですね。

 

今後やることとして、研究面では筑波大学と連携したいですが、同時に心臓リハビリテーションのことを進めていきたいと思っています。教育面では学生教育は今まで通り続けていくとして、あとは県に働きかけて慢性期病院の拡充や整備の方に切り込んでいきたいなと思っています。

 

あとこれは概念的なことなんですけど、「死が医療の負けならば、内科医に勝ちはない」という言葉を何かの本で見かけました。救急医であれば外傷患者さんがいて、血圧上げてICUに入れて……これって達成感があるじゃないですか。大動脈瘤破裂に対して手術を成功させるのもきっと達成感がありますよね。でもぼくは心不全屋さんなんですよ。長い期間にわたって患者さんを診ていると、最終的にはみんなお亡くなりになるんですね。何十例、何百例と見送りました。ぼくって何をしているんだろうという気持ちになることもありました。でも、それはしょうがないんです。むしろ、ぼくは「15年診ていただいて、看取っていただいてありがとうございました」……そういうふうにご家族から言ってもらうことがあるんですが、自分はそういう医者でありたいし、そういった医者を育てていきたいと思っています。勝ち負けは二の次とまでは言いませんが、負けにも良い負け方があると言ったところでしょうか。種田山頭火の句に「咳がやまない 背中を叩く 手がない」というものがありますが、ぼくはその「手」になれるような医者であり続けたいです。

 

21年間どうもありがとうございました。在籍中に支えていただいた全ての方々に、医者だけでなくて、看護スタッフの皆さんやチームの皆さん全員に感謝申し上げます。