つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

医療現場でのロジックの限界

最近よく聞かれる質問:意外と少食ですか?

回答:Yes. 食後の眠気がしんど過ぎるので食事量は控えめ。同じ理由で、お菓子も自分から購入して食べることは殆どない。

 因みに大学時代の同期で「天才」と呼ばれていた某氏は茶碗7-8杯の白米を食べるのがデフォルトで、それくらい食べないとブドウ糖の供給が追い付けないくらい頭の回転が速いのかなぁ?なんて思っていた(一度張り合って同じ量を食べたら体調を崩して後悔した)。

 

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日曜オンコール帰りにつくば駅でカキフライ(700円ちょいでも美味しかった)

 

茨城の県北にある市中病院で初期研修を終えた自分が次の勤務場所に選んだ場所が東大感染症内科だったわけだが、その東大感染症内科では「エビデンスに基づいてロジカルに考えること」を徹底的に叩き込まれた。例えば、悪性腫瘍に対しては腫瘍マーカーという血液検査があって、これを治療に対する反応性を評価するために用いることがある。あくまで、治療反応性の評価であって、悪性腫瘍の診断には使わないという点に注意が必要だ(一部の腫瘍マーカーは例外的に使えるが)。それで、感染症カンファレンスで、ある患者さんに肺がんの疑いがあるという話になったのだけれど、その時に「そういえば主科が腫瘍マーカーを測定していましたね……」と何気なく発言したら、「腫瘍マーカーで悪性腫瘍を診断する時代がいつ来たんですか??」と猛烈な反論に遭ったのをとてもよく覚えている。東大感染症内科では、ちょっとした言葉遣いに対してもとことんロジカルであることを求められており、ある意味、えげつないレベルですらあった。

 

こういったロジックに基づく医療は正統派で真っ当である。しかし、ロジカルに振る舞うことにも欠点がある点に注意が必要だということを強調しておきたい。つまり、ここでいう「ロジカル」というのは「『現代』医療におけるロジックに忠実である」ということに過ぎないという点を見落としてはいけないのである。科学というのは進歩するものであって、現代医療で捉えられていない現象が未来の医療では当たり前の現象に変わっているかもしれない。例えば、敗血症診療を考えてみよう。感染症に伴って体調が目に見えて悪くなって、場合によっては死に至る病気が敗血症である。そういった患者さんに対しては、血液サンプルを収集してどんな病原体が悪さをしているのかを調べながら、同時進行で想定される病原体を叩くことのできる抗微生物薬を投与して対応する。血液サンプルからの病原体情報が絞れてきたら、その病原体にだけ効果のある抗微生物薬へと治療を絞っていくわけだ。もしかしたら、病原体が検出されず、「実は感染症なんて存在していなかった?」という話になって、抗微生物薬をその場で終了してしまうこともあるかもしれない。

 

ところが、最近になって色々と面白いことが分かってきた。血液サンプルを入れた培養装置から病原体が発育しないケースでも、血液サンプル中から病原体の遺伝子が検出されることがあるようなのだ。逆に遺伝子が検出されずに病原体が培養装置で発育することもあるし、培養装置で発育した病原体とは別の病原体の遺伝子が血液サンプルから検出されることもあるみたいなのだ。こういった検査結果の不一致を見るにつけても科学技術はまだまだ発展途上であり、真実の近似値に過ぎないのだなと感じてしまう。このように、ロジックだけで攻めると、科学の不確実性という落とし穴に嵌まってしまうことがある。さて、ロジックに基づく医療の限界を乗り越える手段はあるのだろうか?

 

そもそもロジックの限界を乗り越えて完全なる医療を実施するのは、医学が自然科学である以上不可能である(殆どの患者さんが100%の成功を求めるけれども、絶対無理!)。が、それでもアウトカムを向上させる方法はあるだろう。その方法のひとつが、ロジックに感情をブレンドする方法である(※)。科学という純粋なモノに感情などという怪しげなモノを混ぜるとは何事か!という声も聞こえてきそうだが、まぁ聞いていただきたい。例えば、先程の例の続きで敗血症を「強く疑って」、「救命のために」抗微生物薬での治療を開始したが、血液サンプルから病原体が発育しなかった場合。「血液サンプルから発育しないのだから感染症もなかったんだ」と考えてその場で抗微生物薬を終了してしまう方法もダメではないが、より安全なのは「敗血症を最初に強く疑っていたのだから、血液サンプルから病原体が発育しないとしても油断するべきではない」と考えて、最初に疑った感染症・病原体に準じた治療を続ける方法である。逆に、敗血症を「あまり強くは疑っていない」状況で、「念のために」抗微生物薬での治療を開始したが、血液サンプルから病原体が発育しなかった —— こういう状況であれば、スパッと抗微生物薬を終了してしまうのがよろしい。前者の抗微生物薬を続けるシナリオも、後者の抗微生物薬を終了するシナリオも、決断のプロセスを理詰めで説明できてはいないものの、精神的には納得しやすいのではなかろうか。

※ ここで「感情」と呼んでいるものがある種の「ロジック」に見えてしまう読者がいるとしたら、その読者は検査前確率/検査後確率という内科的な思考様式を持っているということになるので、内科学への適性が相当あると考えて良いと思う。逆説的ではあるが、ロジックの限界を理解した上で敢えてロジックを逸脱することも、ある意味ではロジカルな振る舞いと呼んで良いのかもしれない。

 

ロジックを軽視してやれるほど急性期医療は甘くない。が、ロジックだけでやれるほど生易しいものでもない。人間の命を預かるからには、現代科学の限界に対しても謙虚であるべきで、ロジックから離れ過ぎず、かといってロジックに寄せ過ぎないくらいのバランス感覚で医療現場を楽しむのが良いと考えている。要するに、なるべくロジカルに考えるべきだけれど、直感から来る心の奥底からの叫びにも耳を傾けた方が良いですよ、というお話。