つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

臨床現場における効力感をどう引き出すか

臨床現場におけるティーチングはなかなかに難しい。特に自分自身が教える立場であり、かつ教えられる立場であるからこそ、その難しさを肌身で感じるわけである。自分がちょうど30歳手前であり、教える相手の年齢が大体20~25歳。自分も後輩も子供ではないわけで、社会人として丁度いい教育とはどんなものだろうと日々模索しては頭を痛めている(まぁ、個人的な本音としては “education” を「教育」(森 有礼)と訳すのは嫌いで、「啓発」(福沢 諭吉)と言い換えたいけど)。

 

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教育心理学、割と普遍的なテーマなのかも

 

最近教育現場における心理学の本を何冊か読んだのだが、『無気力の心理学』(中公新書)は、若者の間に蔓延する無気力への解決策を幾つか提示してくれる良書だ。この本に書かれている内容は、停滞する現代日本で暮らす上での処方箋になるかもしれない。個人的には、ぼくらと同年代(20~30代)の人間にこそ読んでほしいなと感じた。というか、この本を真剣に読んで解釈できるのってそういう年代の人間だけなんじゃないかなと勝手に思っている。

 

無気力を生じる第一の原因は、「自分の手で現状を変えられない」という認識にあるようだ。例えば、ぼくは病院総合内科の運営にも深く関わっているので、ある程度までは自分の手で職場環境を改善させられる立場にある。このことを自分では非常に幸せだと感じているが、ぼくと同年代の医師の多くは当然そういう立場にはなく、職場でのストレスが結構大きいようだ。

 

自分の手で現状を変えられないために無気力になるというのは、人間特有のものではなくかなり普遍的に見られる現象のようだ。まず人間の例だが、赤子が泣くのは、泣くことによって世界を動かして自分の欲求を満たそうとするからだ。ここで、親がすかさず泣く子の欲求を満たすことによって(おむつを替えるとか、母乳を与えるとか)、赤子は満足して効力感を得る。しかし、親が泣く赤子を放置すると、やがて赤子は「自分が泣いても世界は変わらない」と認識して泣くのをやめてしまうようだ。そうすると親としては非常にありがたいのだが、その後に意欲のない子供に育ってしまう恐れがあるという。

 

イヌやマウスの実験でも、自分の手で現状を変えられないことを教えることで無気力になる現象が観察されるみたいだ。こういった動物集団を2つのグループに分けて、片方(A)はスイッチを押すと電気ショックが止まるケースに、もう片方(B)はスイッチを押しても押さなくても電気ショックが止まらないケースに入れておいて、延々と電気ショックを流すのだそうで。ある程度学習させた上で、両グループの動物を今度はスイッチで電気ショックが止まるケースに入れておくと、グループAは自分でスイッチを押して電気ショックを止めにいくみたいだが、グループBはスイッチを押す気にもならないようである。つまり、「自分の手で現状を変えられない」と学んだ動物は、嫌な現状を回避できる状況になったとしても、自らの手でそれを変えずに甘受してしまう。

 

そういうわけで、無気力は「自分の手で現状を変えられない」という諦念に起因するようだ。だとすると、子供がテストで低い点を取った時には、(変えようのない)能力不足を叱るのではなく、(変えようのある)努力不足を叱るのが良いということになる。もっとも、盲目的な努力万能主義にもご用心。努力万能主義が前面に出過ぎると、それに反発する心理が生じるのも人間。並行して得意分野を探すよう指導したり、具体的な努力の方法を指導したりと、努力一辺倒にならない指導方針で子供に接するのが良いであろうことが提案されている。

 

さらに、無気力を遠ざけて効力感を得るには、他者からの温かいフィードバックが非常に重要であるとのことである。ぼくらは色々な立場の人と学問に対する議論を交わすことがあるが、温かいフィードバックというのはある程度平等な立場での議論によってはじめて成立する。「教えてやろう」とばかりにふんぞり返っている人間に対しては、若手としては非常に議論をしづらいというか、生産的なことよりも相手を満足させる内容を話さないといけないというプレッシャーがどうしてもかかってくる。やはり、生産的な議論は気軽に話せる相手とでなければなかなか出てこないものだ。ということで、後輩たちと生産的な議論を行うためには、相手を捻りつぶしてやろうという姿勢で話し合いに臨んではならない。特に指導者となる立場の人間は、このことを心に刻まねばなるまい。

 

技能の熟達もまた、効力感を得るに必要なエレメントである。何か一芸に秀でてくると、もっと難しい問題に挑戦したくなる。こういったチャレンジの繰り返し、挫折を経ながら成功していくことで、人間は幸せになっていくとのこと。これは一昔前でいうところの「職人気質」というものなのだろう。しかし残念ながら、「職人」は現代社会では全く求められていない。現代社会では一芸に秀でていることよりも、労働力として組織の顔無き歯車になることが求められている。こういったどうしようもない仕様もまた、現代社会に蔓延る無気力の原因なのかもしれない。

 

それにしても素晴らしき哉、この『無気力の心理学』を記した波多野・稲垣両先生の卓見。是非、未来の指導者には読んでいただきたい書籍だ。自分自身が無気力に陥らないよう上手に生きるための指針にもなるかもしれない。後輩たちには、ご一読を勧める。

 

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外勤先すぐ隣の本屋さん、キラキラだ~★(外勤先選択の決め手だった)

 

つぶやき:論文の査読というと、なかなか客観的に評価されることのない「アカデミズムにおけるボランティア」というイメージなのですが、最近 報酬付きの査読を某ジャーナルから依頼されました。どことは言いませんが、内科系であれば誰もが知っているようなインパクトファクター 5くらいのジャーナルです。査読を1週間以内にすることを求められる代わりに、$150くらい報酬を貰えるわけですよ。お金を貰ってしまうと、急いで査読するだけでなく「今後も査読依頼を是非お願いします!」とばかりに普段以上に丁寧な査読をしてしまいますね……(ジャーナル側の思う壺?)。もちろん、依頼を受けて半日以内に査読所見を提出しました。ちょっと不思議な経験だったのでシェア。