つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

競争ぎらい(ゆとりミレニアル世代の代弁)

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今週の1冊。値段が価値を歪め、社会を壊した —— まぁその通りかと思います

 

論文を毎朝10本読み込んで、得た知識を実臨床の中で検証していく。臨床研究を矢継ぎ早に実施して、ひたすら論文を書いて出していく。抗菌薬のレクチャーなど、教育もバッチリやる。……なーんて生きていると、周囲からよく「強い上昇志向の持ち主だ」とか「出世街道を進もうとしている」なんて言われるのだが、実際の自分はというと決してそんな人間ではないことを明言しておきたい。日々の「ハードな」自己鍛錬についても、7年以上続けて体にこびりついた習慣なだけで、実は周りが思っているほど感覚的にハードではないのだ。どちらかというと、決まった自己鍛錬を毎日していないと気持ち悪いという感覚である。

 

なぜ勉強して臨床能力を底上げしているかといえば、余計な合併症とかを起こしたくないから、つまりは余計な仕事をしたくないからだ(患者さんが院内感染症を1件起こすだけで、1~2時間吹っ飛んでお昼寝できなくなる)。臨床研究をやるのは、単純に面白いから。抗菌薬のレクチャーをやるのは、学生さんたちのコミュニケーションを楽しんでいるからだ。要するに、欲求に非常に忠実な人間なんだな。心身ともに楽に生きたい、知的好奇心を絶えず満たしていたい、だいたいそんな感じ。趣味は「勉強・風呂・昼寝」なんだが、まぁイメージ通りだろう。自己評価、すっごく世俗にまみれている。

 

自分でも随分と我が儘な考え方をしているよなぁと思ってはいるのだが、こういったやり方をすると下手にちょこまか動き回るよりも却って社会の善になる可能性が高いんじゃないかということで、自分では「もうこれでいいや」と開き直っているところがある。例えば、臨床面で力を入れているstewardshipとかchoosing wiselyについては、上手い具合に無駄な医療を削れるので、もちろん自分は仕事が減って楽チンになるんだけど、そのウラでは看護師さんたちの負担を軽減できるし、何より患者さんがしょうもない問題に巻き込まれずに済むというメリットがある(おまけに病院の負担するコストも減るので、結局は製薬会社以外の全ての当事者が得をすることになる)。臨床研究を無邪気にやっていたら、いつの間にか診療科の業績になっているし(診療科を盛り上げるために無理していた時期はあったけど)、医学の進歩にも貢献できるかもしれない。学生さんへの教育に夢中になっていたら、抗菌薬リテラシーのある後進が育っていて、臨床現場を盛り上げてくれている。

 

結局、自分が楽しいと思えることをやっていたら、なんかよく分かんないけど世のため人のためになっていました! —— そんな人生がいちばん幸せなんじゃないかなぁと個人的には考えている。最初から「世のため人のために貢献します!」って意気込むのも良いと思うけど(そういう後輩が実は大好き)、その勢いで20代から100代まで走り切るのって流石にキツいんじゃないかなーなんて感じている。人類の寿命はどんどん延びているわけで、真偽はさておきぼくらが100歳まで普通に生きてしまう可能性というのもあるくらいだから。だったら、短距離走のペースで走るんじゃなくて、マラソンのペースで、時に周りの景色も味わいながら走り続けるのがいいんじゃないかな、なんて思うわけだ。そう、能力を80年伸ばし続けるためにも、健康は超大事だ! もちろん、樋口一葉正岡子規みたいに、極太で短い人生というのも魅力的ではあるけどね。

 

自分ほど導いてくれる師匠の存在に恵まれている人間は珍しいと思っていて、いままで超一流の先輩をたくさん傍で見てきた。特に四大師匠から学んだことは数え切れないほど多く重厚で、その感謝を示す方法としてはやはり世の中に学んだことを還元していくことだと責任意識を感じることもある。じゃあ、自分がこれまで学んできた師匠と全く同じ栄誉に与りたいかと言うと、答えは「ノー」。なぜか。一番目の英語の師匠を除くと、みんなその日の仕事を回すことに必死に息を切らしていて、決して幸せそうには見えなかったから。みんな極めて有能で、プロダクティビティもずば抜けて高い。ただ、それゆえに次から次へと色々な仕事が降りかかっていて、何だかしんどそうに見えてしまう。まぁ、超人を絞れるだけ絞ってベースラインを底上げしようという日本の社会構造が悪いんだと思っているけど。出世競争が不毛に見えてしまうのは、自分がいわゆる「ゆとり世代」とか「ミレニアル世代」の人間だからというのもあるかもしれない(ついでに、自分より少し年下の「Z世代」≒「脱・ゆとり世代」と話しているとやっぱり考え方が違うよなぁと感じる)。

 

そもそも何のために仕事ってやっているんだろう。たった1度きりの人生は何のために与えられているんだろう(YOLOって言い回しもある)。お前は、結局誰なんだ。優秀な人が目まぐるしく動いているのを見ていると、ついそんなことを考えてしまう。ちなみに自分が働いている理由は、端的に言えば「自分が幸せになるため」。それで、自分にとっての幸せは、余暇を得て知的好奇心を満たすことと、自分の周りが幸せであることの2つが必須条件になっている(ということに気がついたのが医師3年目の後半)。周りから搾り取って、その上で寝そべっていても、なんだか幸せを感じられない。周りが幸せになって、はじめて自分も幸せになれる。だから、少しくらいは努力もして、周りにgiveしないといけないんだって思っている。多少なりともノブレス・オブリージュの気構えを持っていた方が、たぶん幸せになれるんじゃないかなって。

 

出世については、他に出世したい人がいて競合するようであれば、自分は必ずしも出世しなくてもいいかなと思っている。なぜかというと、競争には結構なエネルギーを使うから。もともとが怠慢にできている自分に、そんな余剰エネルギーはハッキリ言ってないんだ。ただ、周りから望まれたら、その時は出世すると思う。「そんな考え方していると出世できないぞ」と言われそうだけれど、それで出世できないならそれはそれで別に構わない。好きでもないことで頑張って出世したところで、その後が地獄なのは目に見えているし、自分が不機嫌な顔していたら周りだって不愉快だろう。社会的にも個人的にも、何にもいいことがないわけ。おまけに部下から「あの上司は無能だよなー」とか「あれがピーターの法則の典型例だ」なんて言われてしまうようでは、もう最悪だ。逆に、好きなことやって、それがいつの間にか社会の善になって評価されて出世につながるのであれば、それはもう最高のシナリオ。社会的にも個人的にもwin-winなら、完璧の文句なしさ(言うまでもなく、この世はそんなに甘くないけれど)。

 

そういうわけで、自分が臨床・研究・教育に励んでいる理由が決して高尚なものではないことをお分かりいただけたのではないかと思う。誰よりも欲求に忠実に生きている、ただそれだけのことだ。けれど、自分自身としては筑波大に来てから凄く幸せな日々を過ごせているし(これまでの人生は一体何だったんだろうというレベルで)、たぶんこういう考え方で人生を過ごした方がみんなも上機嫌になれるんじゃないかなぁって感じることがある。もし、「滅私奉公」とか「自己研鑽として喜んでやる残業」みたいな、世間一般の “普通の” 考え方に馴染めない人がいたら、「こういう考え方をする不届きで傲慢なヤツもいるんだ」くらいに思って参考にしてもらえると嬉しい(個人的には、そういった “普通” に疑問を抱く人にこそ病院総合内科に来てほしい)。日本の労働環境、もう少し考え方に多様性があっても良いと思っているんだよね。

 

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職場近くのWikiwiki、昨年より知名度が上がっているみたいで賑わっていました