つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

資本主義下のchoosing wisely

産業革命以来、世界は主に資本主義というシステムによって動かされている。正確に定義する自信が全くないのでWikipediaを貼り付けると、資本主義とは「生産手段の私的所有と利益のための運用を基本とする経済システム」とのことで、「私的所有」と「利益」がキーワードになっていることは言うまでもないだろう。ぼくらが仕事に向かうのは、生活の糧となるお金を稼ぐためだ(そうじゃない人もいるだろうが)。もう少し突っ込むと、みんなが自分の利益のために頑張ることで世界が成長し、もちろん頑張った人は豊かになるのだが、そこまで頑張っていない人も成長の恩恵を受けて結果的に豊かになる(トリクルダウン仮説;実際にはそうなっていないが) —— そんな風に利己主義を是認するところが資本主義にはある。

 

資本主義の反対語としては社会主義というのがあって、これは「平等で公正な社会を実現するために国が生産手段を保有し、資源や労働の分配も国が決める経済システム」である。例えば、岸田首相の「成長と分配」というスローガンの前半は資本主義的で、後半は社会主義的ということになるわけだ。もっとも、日本はもともと税金が高く、生活保護受給者の方が最低賃金ラインで働いている人よりもお金を貰っているところを見ると、資本主義の体裁をとった社会主義国家と考えてもよいのかもしれない(このあたりは人によって意見が違うと思う)。一般に、同じ資本主義国家でも、米国は資本主義的、欧州は社会主義的な傾向があると言われている。

 

さりとて、ぼくらは資本主義というシステムの中で生きている。「脱成長」という言葉がブームになるあたり、社会主義的な発想が今後見直されていくことになるとは思うのだが、それでも世界を作る土台が資本主義なので、資本主義に則った行動をとった方が、当面の間は生存に有利なように見える。資本主義に則った行動とは、自己研鑽で新しいスキルを身に着けて労働市場の中で優位を確立していくとか、労働者としてだけでなく経営者としての目線をもって仕事するとか、そういった振る舞いだと個人的には考えている(社会主義だったら正直どっちも要らないよね)。資本主義の中で生じた新自由主義的な考え方は行き過ぎなのではと思っている人も結構な数いるとは思うが(現に環境問題などの外部不経済が生じている)、実際的に大きな流れに逆らうのは難しいのだ。

 

資本主義の中では、売上高や利益の伸びが評価される仕組みになっている。従って、大量に生産して大量に消費することが良しとされるところがある。しかしながら、当然世界の資源は有限なわけで、従って需要も供給もどこかで頭打ちになってしまう。資本主義を続けるためには、需要と供給を無理やりにでも拡大しなければいけないという理屈になる。供給については歯止めの効かない科学の進歩が勝手に拡大し続けてくれる。需要については「なくても死なないけど、あったら便利」というニーズを「生きるためには不可欠」というニーズへと変えていく必要がある。分かりやすい例としては、スマートフォンが挙げられる。スマートフォンが出現した当初は必需品でもなんでもなかったはずなのに、いつの間にか(2015年頃を境に)なくては生活に困る類のものになってしまった。ここまで書くと、「技術が進歩しているのに何故かぼくらは忙しくなっている」という疑問に対する答えも薄々察せられるのではないかと思う。要は、資本主義というのは(世界は有限であるにも関わらず)規模の拡大という呪縛から逃れられない仕組みなのだ —— 泳ぎ出したら止まれないマグロのように。

 

少し話題を変えよう。ぼくの医療現場におけるひとつの理想は、choosing wiselyやstewardshipを通じて無駄な医療を削ってコンパクト化することで、「医者も患者もコメディカルも全員が最小限の苦労で最大限の幸せを手にすることのできる医療現場」を実現することである。短くは、「コンパクトな医療」(compact medicine)と呼んでいる。この意見には時々「そんな考え方があるのか、面白い」みたいなリアクションで賛成してくれる人もいるのだが、基本的にはあまり受け入れられていない考え方だ。圧倒的なマイノリティに属している。とはいえ、なんでこの上手くいきそうな考え方が市民権を得られないんだろうと疑問に思い続けてきた。そんな中でハッとする論文をNew England Journal of Medicineの中に見つけたので紹介したい。要旨をまとめると、資本主義下では医療費を削るというインセンティブが働きづらいため、余計な医療を推し進める方向にどうしてもなりがちで、現行のchoosing wiselyが流行らないのも致し方なしという内容だ。

 

In a capitalist economy oriented toward growth, more has always been more, and newer has always been better. In this context, parsimony is a hard sell. In addition, cognitive biases such as the therapeutic illusion that leads us to overestimate benefits and underestimate harms are present in both doctors and patients.

—— Rourke EJ. N Engl J Med 2022; 386(14):1293-5.

 

なるほど、ぼくにとっての理想の医療は時代に思い切り逆行しているからマイノリティになってしまっているのかと納得した次第である。だけど、「コンパクトな医療」が成長を否定するものでは決してないことを理解してほしい。というのも、根拠のない医療行為を削る(≒ 根拠のある医療に集中する)ためには、猛勉強が必要なのだ。慣習を打ち破って、要らないものに対して「要らない」と明言して推し進めるためには、文献を大量に読み込んだ上で議論を制する必要がある。それに、「コンパクトな医療」の対義語は「高火力の医療」になると思うのだが、本当に必要な「高火力の医療」に絞るのであれば、「コンパクトな医療」も同時に実現可能だ。「必要なものは必要で、不要なものは不要」—— 難しい話では全然なくて、ただそれだけのことなのだ。ぼくが問題視しているのは、メリットのない医療行為が「デメリットがない」という理由だけで漫然と行われている現実なのである。

 

さて、ここまで色々と思っていることを書いたわけだが、「お前は資本主義と社会主義のどっちの味方なのかよく分からん」と言われてしまいそうだ。自分自身ではどちらでもないと思っていて(資本主義の中で生まれ育っているので資本主義寄りの人間ではあるか)、ただ「良いものは良いし、悪いものは悪いとハッキリ言うだけの人間」という自己評価だ。どのみち、ひとつの考え方に拘泥して極端に走ってしまうのはいただけない。資本主義も社会主義も欠点だらけなんだから、もう自分なりの主義でいいんじゃないか。大切なのは、とにかく勉強し続けて、色々な考え方を身に着けていき、世界を自分なりに解釈して自己変革し続けていくことだと思っている。

 

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いずれも違う路線だが興味深く読み応えのある本だった