最近出版された『経営者』(新潮文庫)、気になって書店で時折立ち読みしていたのだが、たまたまつくば駅前の図書館に単行本が置いてあるのを見かけたので、借りてガッツリ、楽しく読ませていただいた。とはいっても、自分のようにバブル経済の時期を知らない人間にとっては難解な部分もあったわけだが……。なかなか辛口の本で、たくさんの経営者が取り上げられているのだけれど、評価されているのはごく一部の経営者だけだった。漠然と自分が感じとったのは、カネのニオイがプンプンする(あるいは、機械的に業績を上げるマシンと化しているような)企業は長期的には上手くいかなくて、逆に公益を考えてそれを地道に実践する企業が生き残っていけるんじゃないかということ。近江商人の「三方よし」とか、企業の成果や収益を社会に還元していくとか、そういった会社が時代を越えて生き残る。
辛辣ではあるのだが、まっとうな価値観が述べられていて読んでいて少しホッとする一冊だった。自分が一番素敵だなと思ったのが小倉昌男(ヤマト運輸)の記事で、運輸省や三越に対する反骨的な姿勢がかっこいいだけでなく、「最後は人間の品性ですよ」とインタビューに答えるところなど、本当に素敵な人だと思った。小倉昌男には著書もあったと思うので、機会があれば是非読んでみたい。少しだけ引用しよう。なんとなく渋沢栄一流の「論語と算盤」っぽさを感じないだろうか。
小倉は筋金入りの「市場主義者」である。しかし、ソフトバンクの孫正義はじめ草創期のインターネット関連企業の経営者がくりかえし口にした「時価総額経営」とは明らかに一線を画する。それどころか、株価に全てが収斂する経営を「ナンセンス」と言い切る。
小倉昌男の市場は、なによりもまず、「人が生きて生活する社会」であり、共同体である。それぞれの場所、それぞれの時に応じて、その共同体の成員にとって、必要なサービスは何か、必要なものは何かということから発想する。
(中略)
小倉昌男が考えつづけ、そして実践しつづけたテーマは、資本主義は公益に資することができるのかという問題だった。それは、英国の最後の古典派の経済学者にして、ジョン・メイナード・ケインズの師匠でもあったアルフレッド・マーシャルが提起した「経済騎士道はあり得るのか」というテーマでもある。古くて新しいテーマである。
この本では、日本の経営者が陥りがちな失敗についてもしっかり追究されている感じがあって —— 例えば、家族的経営がいつの間にか身内贔屓にすり替わっていないかとか、そういったところは自分も気をつけていかないとなと痛感した。自分が経営者になるというわけではないのだが、やっぱり現場では多かれ少なかれリーダーとして振る舞わないといけない場面もあるだろうから、こういった経営者としての心構えも知っておかないといけないなと思うわけである。
……とまぁ、最近読んだ重量のある本の解説だけで今回の記事を締めくくっても良いのだが、宣伝をちょっとだけ。2022年6月に医学書院から出る「medicina」が感染症特集「抗菌薬の使い方」で、自分も縁あって「腸管感染症」の項目を執筆させていただいた。正直なところ、この特集の執筆陣が業界のレジェンドばかりで恐縮のあまり筆が進まなかったこともあったのだが、ベテランの先生方の胸を借りるつもりで書かせていただいた。「medicina」は学生時代から愛読していることもあって、今回2回目の単独執筆の機会をいただけたのはとても嬉しい。
この「medicina」に関して余談を少しだけ。まず、今回の「medicina」は珍しく筑波大学附属病院から2本の記事が出ている。自分の書いた「腸管感染症」と、感染症内科のT先生の書かれた「嫌気性菌」。自分が最初にオファーをいただいた際に、T先生が「嫌気性菌」の担当とも知って、「お題が『嫌気性菌』だと、どういう風に書けば良いんだろう? このテーマ、自分だったら結構難しいかも?」なんて思っていた。出来上がったT先生の記事を読んでみて膝を叩く。「検体採取についてめちゃくちゃ詳細に書いてあるじゃない!」—— 構成力がやっぱり凄いなぁと頭が下がる気持ちだった。実際、嫌気性菌は検体採取のところで差がついてしまうのだが、この部分は実地診療ではおざなりになってしまいがちだ。
なお、自分の記事(「腸管感染症」と題して下痢を語っている)はというと、他の記事よりもかなり穏健な内容に仕上げているので、もしかしたら面白みに欠けるかもしれない。実は2020年7月の「medicina」でも「旅行者下痢症」の項目を執筆しているので、医学書院のオフィスから「下痢の専門家」と勘違いされていないかは少々心配である。白状すると、自分の担当患者さんの下痢を止めることに関してはそんなに上手くないという自己評価だ。そんな下痢ベタの書いた下痢の記事ではあるが、もし書店に立ち寄った折には手に取っていただけると嬉しい。