つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

やっぱ "No. 2" が大事なんだろうな

コロナ禍はまだ続いており、新型コロナウイルス感染者数もいったん落ち着いたかと思えば、この1~2週間で再度増加に転じている状況だ。クリニックなどで内科外来をやっていると感染者数がまた増えてきたなという肌感覚があるし、院内の小クラスターも以前のように頻発するようになってきている —— コロナ禍はいまだ収束の兆しを見せてくれていないわけだ。そんなコロナ禍の中で自分が感じたものとして、「政治家」「専門家」「一般市民」の三者はここまで分かり合えないものなのかという絶望感がある。

 

自分は敢えて分類するなら「専門家」のグループに所属していて、当然「政治家」や「一般市民」のために仕事するわけだが、このグループに所属していて感じたのは「政治家」や「一般市民」に対して同業者が抱く負の感情である。感染のリスクを冒しながら最前線でやっているのに、「政治家」の無策や「一般市民」の傲慢がその努力を無にしてくる —— そんな負の感情を同業者から感じることが少なからずあった。まぁ、自分も例外ではなく、そういうマイナス思考が浮かんではそのたびに「いかんいかん!」と自分を叱りつけているのだけれど。

 

ただ、当然ながら負の感情は、「政治家」や「一般市民」が「専門家」に対して抱いていてもなんら不思議じゃないわけで、「専門家」がそういった感情を全く知らずに黙々と仕事をやり続けるのも危ういのではないかと個人的には感じている。「一般市民」が「専門家」の言葉のどのあたりを信用できないのか —— まぁ、このあたりは科学コミュニケーションの問題として教養学部などでよく取り上げられている。自分が気になったのは、「政治家」からは「専門家」がどう見えていたのかというところ。どうして菅政権と分科会はあそこまで上手くいかなかったのだろう。とりあえず、あの時、菅政権の中で何が起こっていたのかは時代の一員としてちゃんと知っておきたい……。

 

神保町のミロンガ・ヌオーバ。行きつけの喫茶店

 

菅前首相が2022年4月に不妊治療の保険適用が決まった旨をTwitterに投稿したのを見たあたりから、自分の所属する「専門家」グループから敵視されていた菅政権が一体何だったのかをますます知りたくなってきた。菅政権は短期間で結構多くのことをやっている。実績の多さを見ると、その是非はともかく、菅前首相が実行力に裏打ちされた仕事人間だったということだけは分かる。仕事熱心な「政治家」と仕事熱心な「専門家」はどうして分かり合えなかったのか[注] —— そんなことを考えながら図書館で見かけたのが、『孤独の宰相』(文藝春秋)だ。

 

 

非常に読みやすい本で、菅前首相の人間関係にまつわるエピソードが豊富に含まれていて面白い一冊だった。詳細は割愛するが、言行録の数々は自分の中での菅前首相のイメージと概ね合致しているなという印象だった。朴訥で、飾り気がなくて、仕事中毒。自分がどう周りから見えているかは全く気にせず、とにかく仕事を達成できればよいというスタンスに徹していたことが、敵を作る大きな要因だったというところで解釈一致。そして、「早く行きたければ一人で行け」という言葉を体現したようなワンマンっぷりが、菅政権の実行力の源であり、脆弱さの原因でもあったのだろう。

 

菅政権の是非を論じるつもりは一切ない。まだコロナ禍は終わっていないし、経済の話なんかは10年後とか20年後とかに振り返ってはじめて分かることだって多い。だから、いまは評価できない。そもそも政治や経済には詳しくないから、評価するのもおかしな話だ。ただ、菅政権から自分が学びたいと思ったのが、組織における "No. 2" の重要性だ。第二次以降の安倍政権との対比で「菅首相に『菅官房長官』なし」という言葉があるのだが、どんなに心身が頑丈でも、大きな仕事をする組織のトップは "No. 2" の存在なしでは務まらない。決断するトップの思考を諫めながらサポートしたり、トップの代わりに非難の矢面に立ったり、そういった "No. 2" の存在が必要なのだ。菅政権がよき "No. 2" に恵まれていたら、もしかしたら「政治家」と「専門家」の対立もあそこまで酷くなかったのではと思うところもある。

 

趙の恵文王には藺相如がいた。曹操には荀彧や郭嘉がいた。羽柴秀吉には竹中半兵衛黒田官兵衛がいた。徳川慶喜は「直言の臣」を求め、傍らに平岡円四郎を置き、渋沢栄一を登用した。大きな仕事を成し遂げるリーダーの傍らには、例外なく優れた "No. 2" がいる。だったら、もし自分と理念が一致するリーダーが現れた時には、その人物が志を遂げるためにも、自分が進んで "No. 2" を買って出て補佐しないといけないのだろう。 もし万が一、自分がリーダーになってしまうような時には(あんまり想像したくないけど……)、前もって優れた "No. 2" を傍らに抱えておかないといけないだろう。たとえどんなに優れた人物でも、ひとりで大事業を成し遂げるには困難がつきまとう。このことを普遍的な真理として、心に刻んでおこうと思った次第である。

 

[注] 恐らく「政治家」は「専門家」に、目的地(五輪開催)に必ず辿り着くという前提で次善の方法を指南してもらえることを期待していたのだろう。逆に「専門家」は「政治家」に対して、最善の方法(人流抑制)を用いるという前提で目的地を次善のものに変えることを促していた。このあたりの齟齬が不和に関係していたのではと勝手に思っている。実際のところは直接の当事者ではないので分からないけれども。。