つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

絶望の国の絶望の時代のミドルマネージャー

新しい職場でどうにもならない医療現場をどうにかしようとジタバタしている今日この頃、昔からお世話になっている大先輩からメッセージをいただいた。なんでも、茨城県で自分なりに今の医療に問題意識を抱いている若手を集めて「地域医療構想調整会議」なるものをやってみたいとのお話だ。実際のところ、日本の未来は非常に暗い。日本全体の未来が暗いのだから、茨城県のような(コロナ禍以前からの)医療崩壊地域の未来は推して知るべしである。この絶望感と戦うためには、あるいはダメージコントロールを担ったり、あわよくば再生の道筋を歩んだりするためには、確かに現時点で若手とされるメンバーでの横のつながりは不可欠のように思う。実際、「失われた30年」のツケは孤軍奮闘でどうにかなる問題ではないだろうし、自分一人の能力にも限りがある。

 

絶望感なんて言うと大袈裟なというリアクションが返ってくることが多い。しかし、いまの若手にとって、日本の現状はハッキリ言って絶望的だ。というのも、エコノミストによる未来予測の多くは外れるが、人口予測だけは当たるという経験則がある。2020年の人口ピラミッドの時点で老年人口と生産年齢人口のバランスが歪になっているのだが、2040年になると後期老年人口がより一層増加して生産年齢人口のボリューム・ゾーンも一部が前期老年人口へと入り込んでしまうので、ピラミッドの歪さがより一層増した形になってしまっているのだ。そして、いまの初期研修医が大体24歳くらいで、後期研修医が30歳弱(自分もこの層)になるわけだが、2040年だと大体45~50歳くらいになる計算だ。つまり、日本が最も辛いであろう時代に「体が動く人間」としてミドルマネージャーをやっているということになる。これが絶望でなくて一体何なんだ。

 

2020年でもバランス崩壊している人口ピラミッドが2040年には……

 

しかし、絶望的な未来と戦うためには絶望しないことが何よりもの出発点だ。最近、図書館で偶然見かけて手に取った本に安宅和人さんの『シン・ニホン』(NewsPicksパブリッシング)という本がある。この本は、いまの日本が置かれている絶望的な状況を言語化した上で、それに対抗する処方箋を提示してくれている。この国の未来に関わる人は全員読んだ方が良いのではと思ってしまうくらいなのだが、簡単に紹介しよう。なお、フェルミ漫画大学サラタメさん中田敦彦さんなど色々なYouTuberがこの本を紹介しているので、興味があればこういった動画であらすじをさらってみるのもよいかと思う。

 

絶望しかない日本が生き残る勝ち筋が示されている

 

まず、いまの世界のルールに日本が全く対応できていないことの説明からこの本ははじまる。むかし(1950~1980年くらい)は質の高いモノを大量に生産していれば世界を席巻できる時代だったわけだが、いまの世界はAIとデータの組み合わせが価値を生み出す時代だ。かつてはトヨタソニーが世界を席巻していたが、いまはこういったAIとデータの掛け合わせをできるGoogleAmazon、Baiduなどの企業が富を集める時代へと変貌を遂げている。しかし、日本には(1)そもそも活用できるデータが少ないし、(2)電気代が高すぎてデータを処理するにもコストがかかり過ぎるし、(3)データを処理できる人材も稀少である。従って、いまの世界で日本が勝つことは不可能である。

 

ただ、安宅さんがいうには「絶望するにはまだ早い」とのこと。日本は古来から海外の技術を受け入れて換骨奪胎して新しい価値を生み出すことに長けている国なのだから、これから巻き返しを図れば良いのではというのだ。確かに、英国での産業革命の時、日本は鎖国をしていて科学技術との縁が薄かった。しかし、明治維新とともに文明開化した途端、海外の技術を驚くべきスピードで吸収していった。そして、第二次世界大戦を挟んでの高度経済成長である。従って、いまは世界に置いていかれて一人負けしている日本ではあるが、今後「AI × データ」を応用する段階になった時に巻き返しを図るという勝ち筋が辛うじて残されているのではないか —— 要約すると、これが安宅さんの主張である。

 

さて、ここまでの話を踏まえて、自分たち20代の若手、「絶望の国の絶望の時代のミドルマネージャー」候補がいまやるべきことは一体何だろうか。多施設の若手で集まって、それこそ「地域医療構想調整会議」で共有してみたいテーマではあるが、まずは自分なりに考えてみた。

 

ひとつは、様々な個性を持つ後輩たちの才能を認めて、守ることなのではないかと思う。間違っても優秀な後輩たちの進む道を邪魔してはいけない。というのも、自分の周りには以前から筑波大学の学生さんが集まってきてくれていて、ここ最近は他の大学の学生さんも集まってきはじめている状況なのだが、彼らには自分よりも遥かに大きな才能があるような気がしてならないのだ(自分にはAIもデータサイエンスもよく分からなくて、ちょっと眩しい気持ちになる)。いまの日本社会には、才能を持っていると嫉妬を受けて迫害されやすいところがどうしても残っているのだが、彼らが居心地悪くならないようしっかりと守ってサポートするのが自分の役目なのではないかと思う(サポートすると言いつつも、助けてもらう立場なんじゃないかとも感じているし)。そして、こういう形で築き上げた多彩な人脈が、どこかで日本の反撃の原動力にきっとなるのではと考えるのだ。

 

ふたつめは、新しいものにたいするリテラシーを高めること、自己投資である。医学知識であれば、MKSAPを解いたり、最新論文を常に読み続けたりということになるのだろうが、同時に少しでもいいから後輩たちのやっていることを真似して最新技術へのリテラシーを高めておきたい。もちろん、最新技術をバリバリにやれるのは必須でなくて(少なくとも自分には無理っぽい!)、むしろそういった技術を操れる後輩たちをリスペクトして生かせるようなミドルマネージャーになるというのが一番の目的だ。後輩たちを邪魔しないためには、後輩たちの強みを理解することが大切だと思う。

 

みっつめは、金策である。日本は対外純資産を多く持っていたり、国債を日本国民が多く保有していたりするのでそう簡単には財政破綻しないと信じているのだが、それでも円安が進んで輸入品をはじめとする物価が上昇していることには不安を感じている。来たるべき2040年時点で日々の生活だけで精一杯ということになってしまうと、日本を勝ち筋に乗せようという話どころではなくなってしまう可能性がある。まだ日本の政治に不満を言えるだけの余裕がある2020年代のうちに可能な限りの金策をして、後顧の憂いなく2040年を戦える家計にしておきたい。あと、お金に余裕がなくなるとイライラするものだが、イライラしているミドルマネージャーに優秀な後輩たちが集まってくるわけないから、そういう意味でも金銭的余力は大事。むしろ後輩たちを支援するためにも、可能な限り軍資金を集めておく必要があると考えている。もちろん、集めたお金はドルなどに替えておくつもりだ。

 

最後に、先にもチラッと書いたが、とにかく絶望しないこと。戦闘不能にならないこと。2040年時点(45~50歳)でファイティングポーズをとれるくらいには心身健康に過ごすことが大切だと思っている。従って、いま若手に属している人が2040年にミドルマネージャーとして生きる覚悟をしているのであれば、2020~2030年代は無茶して命を擦り減らしてはいけない。とにかく2020~2030年代はほぼ無傷の状態で生き延びて、万全の状態で2040年を迎えないといけない。だから、ストレスがたまっても暴飲暴食してはいけない。喫煙、飲酒で体を傷つけてもいけない。鬱になるほど過労してはいけないし、体を程よく動かすのも忌み嫌ってはいけない。

 

怖い表現を繰り返してきたが、自分にとっての2020~2030年代は、絶望の2040年に向けた準備期間だと思っている。司馬遼太郎の『峠』の前半部分で描かれている河井継之助と同じようなメンタリティだ。「2040年時点で管理職としてまともに戦える状態でいる」というところから逆算して、2020~2030年代はどう振る舞えばいいのか……そればかりを考えている。歴代師匠からは「日本を変えようなんて決して考えてはいけない」と繰り返し警告されているが、それでも少しは夢を見たいから。