つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

生命科学から人生を捉える

つくば市立中央図書館の「返却本コーナー」を結構気に入っている。予約待ちの本がそこに並ぶことは絶対にありえないのだが、人気の高い本が並んでいることが多いからだ。図書館に行くとつい、自分の読みたいジャンルの本棚のところに向かってしまうことが多いものだが、新しい出会いを求める際には「返却本コーナー」に行って、背表紙だけで直感的に「これ面白そう!」と感じた本を手に取ってみると良いことがあるかもしれない。

 

そんなふうにして出会ったのが、高橋祥子先生の書かれた『生命科学的思考』(NewsPicksパブリッシング)である。一見すると、文系から見ても理系から見ても何となく難解そうな雰囲気を醸し出しているこの一冊、正直な感想をいうと最高レベルの名著だと思った。ここ数年で自分が読んだ本の中では『現代経済学の直観的方法』(講談社)に匹敵する読み応えだったわけだ。

 

この本は知名度こそ低いのだが、2020年代のマスト・バイだと確信した!

 

この本の趣旨は、生命科学の知見を通じて人生というものが何なのかを捉えなおしてみるというものだ。先日のブログで「自分にとっての医療行為は、人生を知るための手段であり、メガネのようなものだ」みたいなことを書いたような気がするが、その「医療行為」の部分を「生命科学」に置き換えたような感じだ。従って、この本の全体的な雰囲気としては哲学書に近いものになっている。

 

例えば、ぼくら人間は宇宙規模で考えるとチリ屑のような存在だ。それでもどういうわけか地球上に存在しているわけだが、この事実をどう捉えるか? —— なに、絶望することはない。人類には「主観」という武器があるのだ(弱点じゃない、武器だ)。ぼくら人間の面白いところは、自身の存在を宇宙のチリ屑と知っていながらも、そんな宇宙において何らかの不満を抱いてもいることだ。宇宙はどうでも良い反面、どうでも良くもないのである。不満があるということは、不満が解消された世界を同時に想像しているということでもあり、つまりは理想というものがあるのだ。そして、人類は不満と理想のギャップを想像することができる。この「未来差分」を認識し、その差分を埋めるために課題を設定し、解決に向けて走り出してみる。これが「情熱」に動かされるということなのであろう。

 

「幸福とは、理性によって人間が潜在能力を開花させたときに実現できるものである」という旨のアリストテレスの言葉が本書では紹介されているが、著者は幸福と快楽をかなり厳格に区別しているのが分かる。幸福とは、長期的視点に立って自己変革することで得られるもの。快楽とは、物質などによって一時的に人間が感じられる生体反応のこと。そんなふうに明確に描き分けているのが分かるのだが、両者の違いを混同しては幸福への到達も遠いものになってしまうだろう。このくだりを読んでいると、吉田松陰の「百年一瞬耳、君子勿素餐」(百年の時は一瞬に過ぎない。君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように)という言葉を思い出す(本書では触れられていない)。「目先の快楽は一時しのぎと知れ」というわけである。

 

他に面白いと思ったのが、「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス)をもった人類がどこまで利他的になれるかというくだりである。物凄くあっさりとまとめてしまうが、そもそもなぜ人類は利他という考え方を持っているのかを考える必要がある。人類は、他の動物に比べると道具なしではか弱い存在であり、それゆえに社会を作る必要があった。「人間」という言葉には「間」が使われているが、複数人で集まらない限り「間」なんてものはできないわけで、ここに人類の本質的な要素がある。それで、社会は人類にとって自身を利するものではあるのだが、社会は利他的でないと形成することができない。要するに、利己的であることと利他的であることは全く矛盾しないと、そういう議論が展開されているわけだ。

 

そんな感じで、この本では人生にまつわる諸問題が、生命科学のフロントラインで活躍する起業家の目線から考察されている。知的活動が多少なりとも含まれる現場で働いていて、自分自身の存在意義の問題などでニヒリズムに悩まされるような人にはご一読をお勧めしたい。この本は、間違いなく買い。