つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

心の奥底に一杯の茶

「怠慢」といえば、自分ほどこの言葉が相応しい人間は他にいないだろうと常々思う。生まれてからずっと怠慢な生き方を続けてきていただけに、このことには自覚的であり、新しい職場に赴任する際には「自分は怠慢である」と繰り返しアピールすることを忘れないようにしている(自分の極度の怠慢を受け入れる度量のない職場には絶対に就職しないと決めている)。実際、ともに働いたことのある同僚から「この男は怠慢である」と言われることも珍しくはない。もちろん、自分が他の人間に対して怠慢だと感じることもなくはないのだけれど、そんな相手に対しては心の中で怠慢勝負を仕掛けてみて、毎回空想上の勝利を収めてしまっているひどい有様だ。

 

なぜ自分が怠慢なのかの理由もある程度はハッキリとしている。生まれも育ちも、サラリーマン的な勤勉と完全に無縁だったからだ。もっと言ってしまえば、芸術家的な価値観の中に生まれ、芸術作品に囲まれながら育ったということが少なからず影響しているのだと思う。なにせ片方の実家は美術館だ。「創る」というキーワードはあっても、「働く」というキーワードが完全に欠落してしまっている。従って、自分の根本的なところには「勤勉」という価値観があまりないのかもしれない。斎藤兆史『努力論』(中公文庫)に書かれている逸話はとても好きなのだが、この感情も自分が本質的なところで持ち合わせていない要素への憧れから来ているような気がしている。

 

こんな価値観のせいで、自分はどうしても「働く」ということに慎重になってしまいがちだ。「働く」のはとりあえず良いにしても、この行為が10年後、20年後、いや、50年後にはどう結実するものなのか —— たった一歩を踏み出すだけでも、そんなことを考えてしまう性質だ。まことに困った性分で、毎日をニヒリズムを羽織るように生きている。おまけに、この黒ずんだ白衣はなかなか重たいもので、油断すると簡単に鬱に押し潰されてしまう。下手をすると、総合診療科の医局で潰れたまま朝のカンファレンスに出席できなくなる危険性すらある。そう、自分にとって医者であることは、常に鬱との戦いなのだ。

 

かようなメンタリティの人間が、喧騒と焦燥の医療現場で働き続けるにはどのような心持ちで過ごすべきなのだろうか。例えば、この少子高齢化社会においては医師求人も多いわけで、アルバイトの機会には非常に恵まれている。お金を稼ごうと思えば、体力の許す限りはいくらでも稼ぐことができてしまう。そういうわけで、ゾンビのように荒稼ぎする医者も決して少なくはないのだけれど、自分だったらそこで敢えてお金を稼ぎにいくという選択肢を外してしまう。つまり、休日を余暇として扱う。そうするだけで、喧騒と焦燥から少しだけ距離を置くことができる。これによって、心の奥に沈着を蓄えるわけだ。もちろん、外界に臨機応変することは大切なのだが、内面を外界に振り回されるようなことがあってはならない。

 

この1週間は重量のある読書ができて心を満たすことができた

 

それに関連してか、最近 岡倉天心の『茶の本/日本の目覚め/東洋の理想』(ちくま学芸文庫)を読んだのだが、これがなかなか素晴らしい本だった。昔の本ということでハードルは高かったのだが、思ったほどには難解でなく、現代に至るまで読み続けられているだけのことはある。岡倉天心の生きた近代は、日清戦争前後の歴史から分かる通り、東洋が西洋から軽蔑を受けていた時代である。岡倉天心の一連の著作は学術的な要素を多分に含みながらも(注釈)、そういった価値観に対して痛烈な批判を行っているところに胸を打たれるところがあった。東洋発祥の茶の文化を、西洋は模倣したではないか —— 「東洋の人間は、西洋の猿真似ばかりをして、東洋を忘れることなかれ」という当時の岡倉天心のメッセージが心に響いてくるようだ。この力強い言葉は、令和の世でも決して色褪せることはないだろう。

(注釈)日本文化のあらゆる要素に東洋全体の要素が組み込まれているとのことで、「東洋はひとつ」というキーフレーズが導かれている。ただ、戦時中はこれが曲解されてしまい、「八紘一宇」のプロパガンダとして利用されてしまった。

 

どんなに忙しくても、心の奥底に一杯の茶を湛えるようにしたい。なぜ自分が働くのかといえば、自己実現のためであり、自分と世界の幸せのためであることを忘れないようにしたい。働くことを自己目的化しないよう細心の注意を払うようにしたい。自宅で執筆活動をするときも、夜の虫の声を愛でるくらいの心の余裕を持ち合わせるようにしたい。かくして、「怠慢」な自分もはじめて「働く」スタートラインに立てるのである。

 

執筆中に気がつけば、我が家に迷ったクツワムシ(こう見えて意外とよく飛ぶ)