つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

「いき」という、和のエッセンス

原色が三つであることを証明するのは難しい。色の専門家であればなにかしらの知見があるのかもしれないが、少なくとも非専門家からしてみたらまったく想像もつかない。このように数多くのバリエーションの中から数少ない本質を拾い上げるのは極めて困難な作業である。たとえ直感的に本質的な部分を見抜けたとしても、それが本質であることを論理的に他人に説明できないという状況も多々あるだろう。

 

そういった意味で、味覚のエッセンスに「うま味」があることを見出し、その正体がグルタミン酸であることまで突き止めた池田菊苗先生の仕事は偉大なものだったと言える。それまでは「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」だけだった料理の世界に、日本から新風が吹き込まれたのである。日本の料理がなぜ世界でも抜きんでて美味とされるかというと、「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」で勝負する世界に対して「うま味」という新ルールを導入して、この日本ルールのもとで改良を重ねているからだと勝手に想像している。

 

日本が世界に勝つパターンはだいたい決まっている。日本特有のガラパゴス化現象が世界に開かれてみるやいなや、「意外と良いのではないか」と世界中から評価される —— そんなパターンだ。世界のルールそのままの状態で日本が戦っても大抵の場合は勝てないのだが、世界から輸入したあれやこれやを換骨奪胎して、そこに “グルタミン酸” や “職人技” のようなお家芸的な付加価値をつけた上で独自路線を歩んでみる。そうすると、なぜか「勝てている」。日本人受けする形に最適化していたら、気がつけば世界にも受けていたというパターンだ。このあたり日本はなんとも不思議な国だなと思っていて、この手の独特の強みは頭の片隅に置いておいた方が良いように感じている。

 

当直中は、ホットライン片手に貪るように読書している

 

ところで日本文化の独特性を語るにあたっても、何が日本文化の “グルタミン酸” になっているのかを知る必要があるだろう。九鬼周造の『「いき」の構造』は、日本文化(主に江戸文化)の本質的な構成要素に「いき」が含まれていることを証明しようという試みである。「いき」に該当する様々な生活様式や芸術作品を並べてみて、その共通点を言語化することで、「いき」を定義しようというのである。例えば、「いき」は藍色・黒色・灰色が多いとか、「いき」は直線であることが多いとか、曲線が混じると「いき」ではないとか、あれやこれや考察するわけである。

 

令和の世を生きている我々が「いき」を知るには、江戸文化の残り香に思いを馳せるのがよかろう。少し安直に過ぎるかもしれないが、浅草を想像してみるがよい。あるいは、小江戸と呼ばれる川越や飛騨高山、百歩譲って佐原や西新井を想像するのも悪くないだろう。これらの街は、決して「上品」ではない(言うまでもなく「下品」でもない)。かといって、銀閣のような「わび」があるかといえばそうでもない。「派手」とか「地味」という価値観で語るものでもない。しかし、間違いなく「いき」ではあるだろう。九鬼周造がやっているのは、そんな要領で様々な物事に対して「いき」を他の価値観と区別する作業なのである。

 

最終的に、九鬼周造が辿り着く結論は以下の通りである —— 垢ぬけていて(諦めの境地)、ハリのある(江戸武士の意地)、色っぽさ(媚態)。ここに至るまでの論考は、実に難解にして、迫力のあるものである(論考そのものがコンパクトで張りつめていて、「いき」なものになっている)。もちろん、帰納的な方法論を採っているため、「いき」の定義に関して異論があっても不思議ではないのだが、膨大な論考の中に哲学者の意地と緊張感を見出すことができるわけである。こうして、江戸文化が江戸文化たるゆえんも、部分的に言語化されたところに九鬼周造の功績があるように思う。

 

ところで、この『「いき」の構造』を自分は岡倉天心の『茶の本』を読んだ直後に読んだ。まったく違う書物なのに、どこか似た雰囲気を感じ取ったのである。それでよくよく調べてみると、実は九鬼周造の母親が岡倉天心と恋仲だったことがあり、九鬼周造自身も自分に岡倉天心の血が流れているのではと期待していたフシがあったようである。そういった意識がかような文体となって表れていたのかもしれない。『茶の本』にしても『「いき」の構造』にしても、日本文化の本質を伝える作品として、未来永劫読まれ続けることを願ってやまない。