つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

医療の葛藤

医者になってからというもの、日々の仕事が鬱との戦いである。毎朝起きては、自分自身に「今日はやれるか? —— あぁ……今日はまだ大丈夫だ」と自問自答しながら敷布団を折り畳むところから1日がスタートする。幸いにして、初期研修中のごく半年と後期研修中のごく半年という僅かな期間を除けば、憂鬱気分に屈せずに仕事を続けることができてはいるが、それでも鬱の再来を全力で押しとどめるようにしながら日々を過ごしている。

 

医者は、人の命を助ける職業である。言わずもがな人の命は尊いものだ。日本の長寿社会は昔からの医療従事者の努力によって成り立っていると言ってもよいだろう。ただそのことが同時に、日本の超高齢化社会を引き起こしてしまっていることも否定しがたく、社会保障費の増大が日本においては国家最大といってよいほどの問題となっている。とりわけ、2040年以降の日本の未来は悲惨である(未来予測の多くは外れるが、人口予測だけは高い精度で当たる)。そんな2040年、自分は(生きていれば)48歳。(不貞腐れて俗世を捨てていなければ)まさにミドルマネージャーを担っている時期なのである。

 

温故知新。我々の感性と昔の人の感性はさほど変わらない

 

医療行為を行うことは、"いまの" 日本人の命を助けることにつながる(もちろん、日本人以外も含む)。しかしこれは同時に、増大する社会保障費などを介して、日本の命を削ることにもつながっている(かつては違ったのだろうが、いまは……)。さらには、医療を通じて “未来の” 日本人の命を削っている可能性があるとすら言える。"Do no harm to patients" の心構えでいながら、もし自分の知らない場所で人に危害を与えているのだとしたら、これほど恐ろしいことはないだろう。そして、医療現場に立つということは、この葛藤と戦うということでもあるのだ。いま40代、50代以上の医療従事者にとっては、このことはさほど大きな問題でもあるまい。しかし、これから何十年にもわたって日本の未来を見続けていなかければならない立場の自分にとっては極めて重大な問題である。憂鬱にならない方が無理というものだろう。それとも考え過ぎだろうか。

 

そんな中で自分に与えられた課題は、日本人と日本を同時に生かす医療のかたちを提示することだと思っている(片方が潰れたらもう一方も潰れることくらい、分からないとは言わせない)。どうすれば日本の余命を削ることなく日本人を生かすことができるか。感染症診療に起源をもつstewardship活動にひとすじの光明を見出しつつも、それがなかなか世間に認められない苦しみがある。しかし、これを普及させないことには日本も自分も終わるのではないかという懸念がある。目を覚ませ同業者よ、医療資源が国民の血税で賄われているという知識をいい加減常識に変える必要がある。わざわざこんなことを言わないといけないくらいには、医療現場には無駄が多い。同時に、他の方法だって考えねばならない。暗澹たる気持ちに潰されそうになりながらも、患者さんと向き合いながら思考し続けている。

 

全体最適部分最適の葛藤。徳川嫌いの自分でも、いちど医療現場に立ってみれば、徳川慶喜の気持ちが嫌というほどよく分かるのである。せめてひとりの医療従事者として、明らかな傾国の医療を避けるよう注意しなければなるまい。ひとりで頑張っても焼け石に水ではあるのだろうけれど。