つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

Treatable,されど untreatable

地方病院での総合診療科で勤務していると、入院する患者さんの半分が誤嚥性肺炎である。誤嚥性肺炎が半分、尿路感染症が1/4くらい、その他が1/4くらい。もっとも、誤嚥性肺炎も尿路感染症もいずれも除外診断だから、後から違う病気が判明することも少なくはない。いずれにしても、誤嚥性肺炎の患者さんが非常に多い。

 

誤嚥性肺炎の患者さんが入院する際の家族説明では、白紙に「誤嚥性肺炎」と大きく書いて入院後の説明をすることが多い。ひとこと「誤嚥による肺炎です」と説明しつつ、「誤嚥」と「肺炎」の間に斜め線をひいて「『肺炎』は治せますが、『誤嚥』は究極的には治せません」と明言している(ここで明言するべきか否かは、医師がキャリアの中で悩むポイントのひとつだろう)。もちろん、その「誤嚥」を減らす工夫はいくつかある。例えば、口腔内ケアやACE-Iの使用、ベッドアップ、嚥下リハビリなど。しかし、それでも限界はある。年齢には逆らえないのだ。80歳であれば79歳になることはできず、次は81歳になるしかないのだ。

 

経験上、誤嚥性肺炎を治した患者さんが1~2年後に生きていることはほとんどない(自分が診た患者さんは、可能な範囲でその後もフォローしている)。例外的な患者さんを何人か思い出すことができるのだが、彼らは入院時に一目みて「嚥下訓練で何とかなりそうだ」と確信をもてた極めて頑健な患者さんたちである。従って、誤嚥性肺炎の治療は治療後こそが肝要だと思っている。「この患者さんをいかに救命するか」という視点も持つが、それ以上に「この患者さんの人生の終わりをいかに(患者さん目線で)美しく演出するか」という視点を持つようにしているのだ。その人にとって「人生、生きていてよかった」と思えるような最期とは一体何か。患者さんやご家族と触れ合いながら、そんなことを考えている。

 

人間は死ぬ間際には必ず呼吸不全になる。従って、高齢者医療の場では必ず人工呼吸器を装着するかという議論が立ち現れる。我々にありがちなのは「胸骨圧迫、人工呼吸管理、昇圧薬を使用しますか」といった具合に、急変時の処置を並べてご家族に説明してしまうやり方。しかしながら、ご家族はいずれの処置に対しても明確なイメージを持っていない状態で来院されていることが多い(大抵は急な入院に混乱している)。従って、なるべくイラストでの説明を心掛けるようにしたい。さらに、この説明の仕方だと、この世に「胸骨圧迫、人工呼吸管理、昇圧薬」の3つしか重症化の折の治療法がないかのようにも聞こえてしまうのがいただけない。例えば、人工呼吸管理をせずともその前段階として「酸素を10~15リットルまで吸ってもらう」といった治療法があることを明らかにしておいた方がよいかと思う。

 

「胸骨圧迫、人工呼吸管理、昇圧薬」を用いない場合でも、精一杯治療することには変わりない。しかし、こういった方針になった際に「DNARを取った!」と言う医師が多いのには思わず閉口してしまう。というのも、DNAR = Do Not Attempt to Resuscitateはあくまで医療スタッフと患者さん・ご家族との合意であって、我々医療スタッフが患者さんやご家族から「取る」ものではない。「侵襲的な医療を避けつつも、そうならない範囲で一生懸命治療します」という意味であることを決して忘れてはいけないわけで、「DNARを取った!」と言った医師がどの程度そのことを自覚しているのかは少々不安になる。せめて「DNARの方針になった」という表現が妥当かと思う。

 

高橋 泰. 日本内科学会雑誌 2022;111(11):2271-8.

 

……とまぁ、なぜ唐突にこんなにも終末期医療の話を長々と語っているかというと、「日本内科学会雑誌」(2022年、第111巻、第11号)に興味深い記事をみつけたからである。食事介助から終末期に至るまで、患者さんやご家族のとれる分岐点が2つあることが述べられており、このことを我々はご家族にしっかりと説明しないといけないなと反省したわけである。第一の分岐点は「拒食」である。日本で「拒食」を許容してしまうと、患者さんを餓死させたと非難される可能性がある。その一方で、欧米では「拒食」を認めてそのまま看取りとなるケースも少なくないようだ。第二の分岐点は「嚥下障害」である。つまりは「誤嚥」である。ここで胃瘻を作るか作らないかの選択肢が現れるわけだが、最近は日本では胃瘻を作るのを希望しないケースが増えているように思う(ここ5年間でも変化している気がする)。このふたつの分岐点の話も、できればご家族にできればと考えている。説明用のパンフレットを作った方がよいかもしれないとも思い始めている。肺炎治療の後のことを話すのも、我々の責務ではなかろうか。