つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

新歓の宴会

2024年4月を境に、いまの職場のレギュラーメンバーの数が倍になった。常勤に講師仲間が1人増えただけでなく、後期研修医が新たに5人入ったからである。それまで常勤4人で回していた診療科が、気がつけば10人になっており、後期研修2年目の後輩なんかは少し暇を待て余しているようにすら見える。まぁ、それまでが忙し過ぎたので、暇を持て余すといっても、標準レベルか、あるいは少しハイポな程度なのだろうけれど。何はともあれ、にぎやかになった。

 

自分はというと、臨床業務の負担がだいぶ減って、自分の臨床の腕が鈍らないよう症例一例一例を大事にするスタンスに切り替えるようになった。特に外勤先での医療を今まで以上に大事にしないとまずいと感じるようになって、余力がある限りは鑑別診断を詳細に詰めるようにしている。不定愁訴ドクターショッピングの患者さんにちゃんと向き合わないといけないと自分に言い聞かせながら診療をするわけだ。自分に言い聞かせないとそういう診療ができないところは自分の弱みだと思っているが、弱みが足を引っ張らないくらいには素直に向き合わないといけない。

 

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さて、このように臨床業務が減ってくると、常勤先では暇になっている様を想像されるかもしれない。実際に、年度初勤務にあたる2024年4月2日は明確に暇を持て余していた。「日中は何をしていたらよいのだろう?」、「これから自分はここでどうしていたらよいのだろう?」……こんな具合に不安を抱え込んでいた。確かに、臨床研究のデータ抽出など、やることは無限大にあるのだが、1日中パソコンに向かってデータを打ち込み続けるのは、目が痛くなってしまうので無理な相談だ。そういうわけで、やることはあるけど、連続業務が難しい内容ということもあって、暇になる。そんな感じだったのだ。

 

ところが、4月3日になると状況が一転して、前年度をはるかに上回る忙しさに急転換した。やれることがあまりに多過ぎることに気がついてしまったからである。つまり、前日の暇というのは、やることが多過ぎて思考停止していたがゆえの錯覚だったというわけだ。多少なりとも実績をあげていくと、交友関係が広がってくる。視界に新しい付き合いの人物が入ってくるのだが、揃いも揃って常人離れしていて「自分はこれで本当に大丈夫なのか?」と不安を掻き立てられる。これをすごくポジティブに表現すると「刺激を受ける」。これまでも確かに実績はあげてきたが、もっとできることはたくさんあるのだ。際限のない資本主義的発想に絡めとられているような気がしないでもないが、実績をあげればあげるほど不安定な感覚を覚えてしまうのである。

 

我輩は「仕事場でも昼寝を欠かさない」と公言するサボり魔を自認しているのだが、ワーカホリックと言われることがある。当の本人としては、仕事する必要性があるのだし、仕事せずにはいられないというだけのことで、要は普通に生きているだけのつもりではあるが、言われてみれば仕事以外のことに時間を割いているのはほぼ寝ている時だけなので、ワーカホリックというのもあながち間違いではないのかもしれない。しかし、常に目の前に課題がある以上、どうあっても仕事してしまう。仕事の内容がバリエーションに富んでいるせいで、仕事をしているという認識が薄れているというのはあるかもしれないが、常に何かをしてはいるし、それが何年も前から平常運転だ。

 

ワーカホリックといえば、やはり今の常勤先の教授がその権化といってもよいかもしれない。既に実績もたくさん持っているし、権力も十分にあるし、世間に誇れるだけのものをたくさん身につけているのに、なぜあそこまで仕事をし続けるのか。これ以上、何を求めるのか。このあたりはなかなか理解しかねた。ただ、最近になって分かってきたのだが、実績をあげればあげるほど不安定な感覚 —— 実際に不安定なのか、それとも錯覚なのかは分からないが —— につきまとわれるので、何か仕事をせずにはいられなくなる。我輩にはじめて感染症診療を教えてくれた師匠からは、「大人にならないと分からないことがたくさんある」なんてよく言われていたけれど、こういった心理状態もそのうちのひとつなのかもしれない。教授は実績が桁違いに多いものだから、プレッシャーも半端なものではないのかもしれないなと勝手に想像している。

 

そんな教授があんなに嬉しそうな顔をしているのをみたのは初めてだ。後期研修医が5人入ったということで歓迎会を開いていたのだが、その時の教授の喜びようが本当に分かりやすくて、後で講師仲間で話題になったくらい。まぁ、飲み会の詳細は割愛しておこう、我輩は飲み会が大の苦手なのでな。ただ、その時の様子をみていて感じたことだが、やはり実績だけを重ねていって突き抜けても、不安定感から解放されることはないのだろう。周りに人が集まって、慕われて、そこで初めてキャリアにおける自己実現ということで心の安定感を得られるのだろうな、と。結局のところ、実績はアイデンティティを確立するの手段のひとつに過ぎないわけで、このことを認識しながら実績を積み上げていくのが健全なのかもしれないと改めて考えさせられたのである。実際に、病棟や外来で悩む後期研修医の先生方に対する教授の振る舞いをみていると、これが教授にとって最大の生きがいになっているのだろうなと感じる。情けは人のためならずとはよく言ったものだ。すると、我輩の自己実現はどのような形になるのだろう。どこで開花するのだろう。目の前に積もる課題を前に思いをはせるのである。