つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2025年8月からは筑波大学附属病院病院総合内科の講師として診療科の運営状況に一喜百憂したり、自分自身が大学人としてどう生き残るべきかを悩んだりと、遅めの青春を謳歌しています。なお、ここでの記載内容は個人的見解です。

兄貴分

上を目指すというのは、なかなかしんどいものである。コンフォートゾーンの中にいては上達を見込めない。だからこそ、絶えず自分自身をストレッチゾーンに置いておく必要がある。しかし、ずっとストレッチを続けていると、だんだん疲れてきて、少し緩めたくもなってくる。そこで自分自身を叱咤しながら、何とかストレッチゾーンに留まろうとする。上を目指すというのは、結局のところ、それを続けるということなのだろう。しんどくないはずがない。

 

もっとも、ストレッチゾーンにいること自体の喜びもある。ひとつは、何かを達成することだ。例えば、論文を出版したり、受賞したりすることがこれにあたる。コンフォートゾーンの中にいては、なかなかこうした達成も得られない。そう考えると、これぞストレッチゾーンに絶えず身を置いてきた御褒美と呼ぶべきものなのだろう。ただし、こういったイベントが頻繁に起こるわけでもない。ゆえに、この御褒美だけで気力を補給しようとしても、どうしても不足しがちなのである。

 

では、ストレッチゾーンにいる喜びを日々どこに見出していけばよいのだろう。もちろん、自分自身の成長を自分に言い聞かせるのもよいのだけれど、これはこれで相当にストイックで、自分にはちょっときつい(といいつつ、日記をつけるなどして取り入れてはいるけれど)。そうなると、やはり同じようなしんどさを経験しているメンバーで集まり、切磋琢磨するのが一番なのではないかという話になってくる。ちょうど学会や勉強会が、そうした役割を担っているような気がしている。1泊2日あるいは2泊3日。多忙にさらに拍車をかけながらも、定期的に学会や勉強会へ出かけることにはそれなりの意義がある。

 

では、学会や勉強会の中にある人間関係とは、どのようなものだろう。考えてみると、やはり「兄貴分」や「弟分」に会えることが一番大きいのではないかと感じている。学会のワーキンググループなどは、まさにそのような関係性なのだろうと思う。そして最近になって、自分の職場の中にも、そうした関係性を築いていくことが大切なのだと感じる機会が増えてきた。

 

むかし臨床を教えていた後輩に、今度は研究を教えるようになった。手術帰りの先輩に捕まって、そのままランチに連れていかれることもある。そういった場所で、診療科の垣根を越えて病院の現状を語り合い、自分たちがそれぞれの立場で何をできるのかを話しているひと時は、至福と呼ぶべきものである。

 

兄貴分から勧められたラーメンを半信半疑で食べたら、美味しかった

 

しかし、こういった話し合いができるのも、ストレッチゾーンに身を置く人間どうしだからこそである。苦しくても、ただ愚痴るのではなく、それぞれに知恵を巡らせながら頑張っている。そして、その苦しみも、そこで生まれる知恵も、驚くほど多様である。だからこそ話が弾み、時間が経つのも一瞬なのだろう。コンフォートゾーンにいる人間からしてみれば、まったく現実感を伴わない話題ではないだろうか。

 

そういえば、ある先輩がこの病院を「コンフォートゾーンとストレッチゾーンの二極化」と形容していた。まさにその通りだと思う。ストレッチゾーンに身を置く人間どうしが分断されることなく、うまく手を携えていければ、何か大きな仕事ができるのではないか。そんな期待を抱かせてくれるからこそ、兄貴分や弟分との付き合いを大切にしていきたい。

順調も不調もありません

周囲から見ると、自分はどうやら順風満帆に見えるらしい。当の本人としては、「そんなことはない」と言いたくなるのだが、冷静に考えてみれば、そもそも順調も不調もないというのが実際のところなのかもしれない。例えば、論文を数多く書いているように見えても、その陰には何倍ものリジェクトがある(最終的に上振れアクセプトに至った研究の中には20回リジェクトされたものも……)。運よく major revision までたどり着けば、今度はそのわずかなチャンスを逃すまいと、死に物狂いでもがくことになる(査読者への返信コメントで50ページの英文を書いたことも……)。臨床でも、診断が分からないことは珍しくないし、患者さんの急変に振り回されることも少なくない。要するに、何事もスタイリッシュに運んでいるわけではまったくない。常に泥沼の中で足掻いているような感覚がある。まあ、はっきり言ってキツイ。

 

当事者として眺める日々の景色は、だいたいこのようなものである。それでも、ときどき少し距離を置いて自分の歩みを振り返ってみると、必ずしも「キツイ」だけではなかったことに気づく。一度 accept された論文は、よほどのことがない限り消えてなくなることはなく、少しずつ積み重なっていく。その過程で、使わせてもらえるデータが増えたり、共同研究をする相手が増えたりもする。臨床でも、患者さんが最終的に回復したり、感謝の言葉をもらったりすることはもちろんある。ただ、それだけではない。ほかの診療科の医師や、別の病棟・部門で働く医療者とつながる機会が生まれ、関係が少しずつ蓄積されていく。自分の診療プロセスにはやや独特なところがある。検査や治療を必要最小限に抑えようとする。検査値をそのまま信じず、患者の文脈の中で読み直そうとする。言葉で意思を表出できない患者さんについても、表情や反応から、本人が何を望んでいるのかを可能な限り汲み取ろうとする。最初は「どうしてそこまでする?」と思われるのだが、積み重ねているうちに「この人はそういう医療をする人間だ」という理解や信頼が徐々に形成されているのは感じる――要するに「覚えてもらえる」とか「困ったときに顔を思い浮かべてもらえる」。

 

こうして考えると、日々ただ "消費" されているように見える仕事も、実際には何らかの形で蓄積されているのである。自分自身の経験値も、ぼけて忘れてしまわない限りは失われない。目の前では徒労に見えたことも、振り返れば必ずしも無駄ではなかったりする。

 

珈琲問屋。その場で焙煎してもらえるので美味しいけど、仕入れも多いからか安い

 

局所的、短期的に見れば、アップダウンは激しい。けれども、少し引いた場所から長期的に眺めてみると、完全に横ばいだったということはこれまでなかった。それこそ「大暴落」と呼びたくなるような出来事にもこれまで何度か遭遇した。それでも結局は、それらもまた、順調なときに得られるものとは質の異なる経験として自分の血肉になっているように思う。そう考えると、目の前にエンドレスに広がっている苦しい状況も、人生の流れの中ではごく自然なものなのかもしれない。いちいち意味を求めたり、成果を急いだりせず、ただ粛々と目の前のことをこなしていく。そうしているうちに、気づけば何らかの結果に結びついている。人生とは、案外そういう類いのものなのだろうという一種の悟りにもつながっている。むしろ、短期的に不調だと感じることが一切ない状態こそが、長い目で見たときの不調を作っているのかもしれない。

超一流

十勝帯広での講演会の後、現地の指導医の先生方と美味しい料理を堪能することになった。その席に「ぜひに」ということで、二人の初期研修医も同席していた。なかなか見どころがある……などと偉そうに言う立場でもないのだが、それでも初対面の指導医たちの会食に飛び込んでくる度胸は素直に頼もしい。チャレンジ精神が萎みつつあるこの国においては、その心がけだけでも相当に有利に生きられるというものだ。

 

会食中、話題は「そもそもなぜ我輩が十勝帯広に呼ばれることになったのか」というところに及んだ。学会で育まれた指導医同士の友情がきっかけ――ということになるのだが、話はそこで終わらず、やがて「初期研修医の先生方にも学会へ参加してほしい」という方向へつながっていった。なぜなら、学会に参加すると、一流、時として超一流に触れる機会を得られるから。自施設の中だけで診療を続けていると、どうしてもガラパゴス化しがちなところがある。そればかりか、その診療分野における共通言語を身につけられないという、致命的な問題も生じてしまう(というか、これが致命的だと認識されていないのも非常にマズイ)。

 

加えて、学会に参加すると、一流ないし超一流のあり方にも多様性があることが分かる。これも大きい。人生は決して一様ではない。そのことを知るだけでも大きな収穫になるのではないか。

 

かくして、この会食の後半は指導医たちが初期研修医にそんなことを力説する会と化していた。本当に初期研修医の先生方にはお疲れさまと申し上げたいところだが、会食の席だけの話で終わらせることなく、ぜひ学会に参加してみてほしい。このブログでも重ねて圧力をかけておく次第である。

 

ところで、我輩はこれまで、いろいろな一流、超一流を見てきた。そして時折、一流と超一流の境界とはどのようなものだろうと考えている。先ほど多様性という言葉が出たが、思うに、超一流とは唯一無二である。一流は技を極めてはいるが、必ずしも唯一無二ではない。つまり、一流のうちはまだ「どちらが better か」を比べられる世界にいる。しかし、超一流は better とか best とかいう甘ったるい尺度の問題ではない。超一流が立っているのは、different の世界なのである。

 

……まぁ、これだとちょっと抽象的すぎるので、もっと具体的にいうと、「この人はたぶん知識量が多いだけではなく、そもそもの世界の見え方が違っている」「どうすればこの域に達するのか、皆目見当もつかない」と感じる相手がいるということだ。

 

このことを理解するには、超一流を実際に目に焼き付けるしかない。そういう意味で、後輩たちには学会へ一度行くだけでなく、何度も足を運び、学ぶチャンスを増やしてほしい。そんなふうに欲張りに思うことはある。

 

記憶に残る至高のフライドポテト@ふく井ホテル(会食会場)

 

これまで半年ほど寄席に通ってきて、我輩が超一流だと直感した噺家は、柳家花緑、柳家さん喬、柳家喬太郎、五街道雲助である。ほかにも、うまいと感じる噺家は何人か思い浮かぶ。それでも、このあたりの大看板はやはり別格だ。彼らの場合、正直、演目が何になるかはどうでもよい。「この噺家の話芸に酔いに行きたい」と思わせてくれるほどのレベルなのである。落語は噺の筋を追うためにある程度の集中力を必要とする。ところが、彼らの場合、集中しようなどと思う間もなく、気がつけばその世界へと誘われてしまっている。

 

もっとも、こうした大看板の落語を生で聴く機会は、そう多くない。最近になって、半年ぶりに花緑師匠の落語を聴くことができた(なお、人生初の寄席で聴いた花緑師匠の「寿限無」も印象に残っている)。今回の演目は「頭山」という、ちょっと摩訶不思議な噺。ケチな男が、落ちているサクランボを大量に食べたところ、頭から桜の木が生えてきて満開になってしまう。そこへ人々が集まって花見を始め、さらにはさまざまなレクリエーションまで催されてしまうという、なんともシュールな内容である。しかし、現実にはあり得ない光景を観客の頭の中にありありと浮かび上がらせ、しかも自然と笑わせてしまう花緑師匠の話芸には、ただただ驚かされた。久しぶりに「そうだ! 超一流って、こんな感じだったよな!」と思い出させていただいたのである。

 

まぁ別に、超一流を直に知らなくたって生活にまったく不自由はしないだろう。実際、そういう人間の方が圧倒的に多いのだ。ただ、感動のない日常はマンネリ化する。瑞々しい感性が失われ、少しずつ日々が渇いていく。

 

時が経てば、人間は老いていく。しかし、我輩は枯れたいとは思わない。むしろ、時間とともに円熟し、しなやかになっていく。そんな歳の取り方をしたいと思っている。そう考えると、やはり定期的に超一流に触れる機会を持っておこう——あらためて、そう強く思うのであった。

十勝帯広での講演会

講演会で出張する機会が増えてきた。頻度としては1〜2か月に1回ほど。勤務先の出張休暇の制約もあるので、基本的には1泊2日である。「出張と称して観光しているのでは?」という声に対しては、「できる範囲では満喫しているけれど、実際にはそこまで時間的な余裕はない」と答えることにしている。観光地まで足を延ばす時間がないぶん、なるべく宿泊先のホテル環境を充実させるようにしている。街を歩くにしても、コンビニやスーパーマーケットに立ち寄り、品揃えがつくばとは違う様子を楽しむといった具合だ。温泉付きのホテルに泊まり、風呂上がりに地元のスーパーで買ったご当地コーヒー牛乳を飲み比べる。それが、だんだん自分なりの型になりつつある。こんなことをしているうちに、観光に観光名所は必須ではないという認識に達するのである。

 

2026年6月は膳所から琵琶湖を眺め、京都大学にいる友人を訪ねた。足を運んだいわゆる観光名所は、友人イチ押しの南禅寺とインクラインだけだった。それでもこれはこれで十分に充実した1泊2日であった。そして7月は北海道の十勝・帯広に来ている。実は北海道を訪れるのは初めてで、距離感も時間感覚もいまひとつ掴めていなかった。そのため今回は2泊3日と少し余裕をもたせたのだが、おかげで街並みを楽しむだけの気持ちの余裕も生まれた。セイコーマートのホットシェフでポテトを買ったり、真鍋庭園で植物を眺めながらアイスクリームを頬張ったりした。いかにも「北海道観光」という華々しさはないけれど、これはこれで実に楽しい。

 

十勝・帯広については、普段の生活のなかで「十勝」の名を冠する食料品をよく見かけるという程度のイメージしか持っていなかった。ところが、実際に現地で食べてみると、食べ物に関しては突出してレベルが高いように感じた。もちろん、洗練された味付けという点では東京の名店に分があるのかもしれない。しかし、十勝・帯広は素材がよい。そして、豚丼を極めている。「豚丼など、所詮は豚丼ではないか」などと侮ってはいけない。豚丼を極めると、簡単には再現しがたい味わいに到達するのだということを思い知った。

 

炭火焼きの旨味、ぱんちょう。帯広の豚丼はバリエーション豊富らしい

 

そういうわけで、我輩の出張の楽しみ方は、かくのごときものである。遠くの観光名所を目指さずとも、身近なところに面白さを見いだすのは悪くない。もしかすると、20代の自分には絶対にできなかった楽しみ方なのかもしれない。

 

だんだんと出張講演が増えてくると、考えることがある。いろいろな土地で講演するべきなのか。それとも、講演する場所をある程度しぼるべきなのか。自分の性格に合っているのは、おそらく後者である。「友達は少なく、深く」という人間なので、なるべく場所を固定し、そこでの付き合いを少しずつ深めていくほうが性に合っている。もちろん、さまざまな場所からオファーをいただき、全国を飛び回るというのも華々しくて魅力的である。ただ、あまりに数が増えると、一回一回の仕事が雑になりやしないかという警戒心もある。なお、日本全国を飛び回っている講演の名手もいるが、彼らは何度講演しても雑にならず、一定以上のクオリティを保っているからすごい。我輩にはちょっと真似できそうにない。

 

落語家にはそれぞれのテリトリーともいうべき場所がある。たとえば緑也さんであれば、流山。場所を決め、そこで定期的に落語を演っている。緑也さんだけでなく、㐂三郎さんや緑助さんにも、それぞれ大切にしている土地がある。そこで繰り返し落語を演じ、土地の人たちとの関係を育てている。翻って医師の講演会では、どうしても「どれだけビッグネームを呼べるか」という考え方に陥りがちである。そこには当然ギャラの問題も発生する。しかし、もう少し「ご縁」のようなものを軸にして講演会がつくられてもよいのではないかと我輩は思う。講演会は知識を伝達する場である。それは間違いない。しかし同時に、知識以上のものが伝わりうる場でもある。知識以上のものが伝わるためには、コンテクストが大切である。同じ言葉であっても、誰が、誰に対して、どのような関係性のなかで語るかによって、その意味は変わってくる。そう考えると、土地や人との信頼関係を少しずつ構築していかなければ、本当に伝えたいものまでは届かないのではないかとも感じるのである。

 

今回訪れた帯広厚生病院は、十勝医療圏を支える三次救急病院である。北海道の教育病院といえば、我輩のなかでは手稲渓仁会病院という認識だった。しかし今回の講演を通じて、帯広厚生病院もかなり教育に力を入れていることがよく分かった。どこまで正確な理解なのかはもう少し吟味する必要があるけれど、手稲渓仁会病院は全国的なブランド力があり、道外出身者が多いのだという。一方、帯広厚生病院は地域医療の最後の砦として、道内出身者からの人気が高いと聞いた——なるほど。茨城県でいうところの、水戸協同病院と茨城県立中央病院との関係に少し近いのかもしれない。茨城県立中央病院のOBである我輩が、帯広厚生病院の雰囲気に魅力を感じたのも、偶然ではあるまい。研修医の先生方を見ていると、どこか自分たちの研修医時代と重なるところがあったのである。

 

もしご縁があるのなら、それを少しずつ耕していきたいと思った。食事もおいしいし、モール温泉も気に入った。それに、いろいろあってまだ名物のインデアンカレーに行けていない。帯広を再訪すべき理由は十分にある。こうして土地とのご縁を意識し始めると、講演も生半可な出来では決して許されないなあと、あらためて気持ちが引き締まる。それぞれの地域に、自分自身を育ててもらっているような感覚にもなってくる。我輩はまだ医師10年目である。広い意味ではまだまだ駆け出しといってよい。そんな段階で評価していただき、講演に呼んでいただけるのだとすれば、それは一種の「青田買い」ともいえるだろう。青田買いには、当然ながらリスクがある。そのリスクを冒して我輩を呼んでいただいた以上、期待された水準をただ満たすだけではいけない。少しでも期待を上回り、呼んでよかったと思っていただける仕事をしたい。それぞれの土地とのご縁を大切にしながら、少しずつアウトパフォームしていきたいと思っているのである。

ホスピタリストはどこまで伸びるか

病院総合内科のコンサルテーション業務が、少しずつ広がっている。精神科病棟での診療を経験して以来、ホスピタリストが一般内科病棟で遭遇する問題は、実のところ相当に選別されたものであると感じるようになった。さらに依頼元となる診療科や病棟が広がるにつれ、内科学という領域がいかに広大であるかを、あらためて思い知らされている。

 

ホスピタリストが得意とするのは、主として悪性腫瘍以外の内科疾患である。参考までに、米国ホスピタリストのコア・コンピテンシーを挙げると、以下の20余りの疾患・病態に集約されている(Nichani S, et al. J Hosp Med. 2023;18:S1-S5)。

  • Acute Coronary Syndrome
  • Acute Kidney Injury
  • Acute Pancreatitis
  • Alcohol Withdrawal
  • Asthma
  • Cardiac Arrhythmia
  • Chronic Obstructive Pulmonary Disease
  • Community-Acquired Pneumonia
  • Decompensated Cirrhosis
  • Delirium
  • Dementia
  • Diabetes Mellitus
  • Gastrointestinal Bleed
  • Heart Failure
  • Hypertension in Hospitalized Patients
  • Hyponatremia
  • Nosocomial Pneumonia
  • Opioid and Other Substance Use Disorders
  • Pain Management
  • Perioperative Medicine
  • Sepsis
  • Skin and Soft Tissue Infections
  • Stroke
  • Syncope
  • Urinary Tract Infection
  • Venous Thromboembolism

確かに、これらを一通り押さえていれば、ホスピタリストとして日常診療を担うことはできそうである。ここに挙げられていない通常業務として、すぐに思い浮かぶのは、低ナトリウム血症以外の電解質異常やアナフィラキシーくらいだろうか。

 

大学病院でハンバーガーを食べられる……だと!?(なぜか野菜つき)

 

「ホスピタリストは何でも診る」といわれる。しかし実際には、日常的に診療している疾患や病態は、思いのほか限られているのかもしれない。ところが、コンサルテーションの対象を他の病棟へ広げてみると、このリストには収まらない問題が次々と現れる。そこが面白い。

 

例えば精神科病棟では、トキシドロームの知識があるに越したことはないし、心因性の疾患に対する理解が問われる場面もある(つまり、心因性 ≠ 除外診断の世界)。外科病棟では、一般的な周術期管理に加えて、進行がんに伴うさまざまなトラブルへの対応力が求められる。自分なりに症候別の鑑別診断リストを持ってはいるものの、病棟が変われば、そのリストの一部を書き換えなければならないことにも気づいた。しかも、こうした問題への向き合い方は、市販のマニュアルにはほとんど書かれていない。結局のところ、目の前の患者と文献から、謙虚に学ぶほかないのである。

 

要するに、内科病棟の外へ一歩踏み出した途端、診断学という学問が十分には整備されていないことに気づいてしまったということだ。実際、さまざまな病棟で、これまでに何例か「原因不明の〇〇」に診断をつける機会があった。診断が明らかになると、依頼元では驚きが走り、議論が活発になる。一方で、自分たちにとっても、いつもの内科病棟で行う診断推論とは少し勝手が違っていて、手応えがある。

 

とはいえ、何か特別なことをしているわけではない。足しげく患者さんのもとへ通い、話を聞き、身体に手をあてて診察する。どうにも腑に落ちないことがあれば、文献にあたる。そして、時間の経過とともに変化する所見を追いながら、この作業を愚直に繰り返す。オーセンティックな内科診療を続けていれば、最終的に診断にたどり着けることはできる。ただし、一般内科病棟の診療とは、少しだけ頭の使い方が違う気がする。診断が明らかになった後で、症例を最初から振り返ってみると、新たな気づきがいくつも見つかるのだ。

 

コンサルテーションでも古典的な内科診療を実践しているはずなのに、そこで得られる感覚はかなり新しい。

 

病院総合内科には、まだ驚くほど大きな伸びしろが残されているのだろう。その可能性がどこまで広がっているのかは、自分にもまだ分からない。

世界の広がり

病院総合内科でコンサルテーション業務に本格的に着手してから1か月が経った。その中で、随分と人間関係が広がったように感じている。まず、主な連携先である精神科の先生方と気軽に会話する機会が増えた。自分はもともと人の名前と顔を覚えるのが得意ではなく、このことで随分と苦労してきたのだが、さすがに精神科の先生方は覚えた。看護師さんのことも、ちゃんと覚えていきたいと思っているところである。

 

——と、ここまではいかにも「業務上の連携」という感じだが、実際には精神科病棟を散歩するような感覚で歩いているので、患者さんとも仲良くやっている。すれ違う時に挨拶をして、少しばかり雑談していく。「この間の台風の日の出張、大丈夫でしたか?」と患者さんから聞かれて、「あれ、そんなこと話していたっけ?」という気持ちになったこともある(なお、実際には台風で出張自体がなくなってしまった)。まぁ、こうして患者さんと他愛のないやり取りをするのも、悪くないものである。精神科病棟がひとつの街みたいになっていて、自分は患者さんから見て「近所のおっちゃん」という感覚なのだろう。

 

もちろん、精神科病棟でしているのは雑談だけではない。仕事としての医療も、ちゃんとやっている。自分らしく引き算の医療をしていることが多い。精神疾患そのものに対する治療薬には手を出さないが、それ以外の治療薬については「これは減らせるのではないか」と気づくことがかなり多くて、薬剤師さんと連携しながら、うまく減薬できたという実績を少しずつ積み重ねているところである。こうすることでポリファーマシー関連の加算も取れるので、病院経営にも多少は貢献できているのだろう。

 

ただし、まれに足し算の医療になることもある。その過程で、たくさん勉強し直さないといけない場面も出てきた。例えば、痛風の治療は決して難しいものではない。そう思っていたのだが、真面目に勉強し直してみると、意外とアップデートすべき知識が見つかる。そして、それをベッドサイドで試す貴重な機会が得られている。普段は外来でやっている痛風治療を、入院中の患者さんに対してじっくり行えるのは、なかなか良い経験だと思う。患者さんがどんな気持ちでこの疾患と向き合っているのか、いつもの診療では見えてこない側面が見えてくるのである。

 

つくば駅前の餃子祭り。いまはビールが美味しい季節なのだ!

 

こうした変化は精神科病棟に限らない。最近は研究や教育の場でも、人とのつながりが妙な形で広がっている。例えば、昔からいろいろな大学の学生さんを教えてきたが、最近は4人ほどの大学生にアカデミアでの歩き方のようなものを教えている。もっとも、彼らの方が自分よりも地頭が良いので、実際には教えているというより、こちらが教わっているような要素の方が大きいかもしれない。

 

それはそうと、そういった学生さんを別の指導者に紹介する機会があった。その方が主催しているオンラインカンファレンスに、学生さんと一緒に出席したのである。すると偶然、自分が以前から学びたいと思っていた別の指導者も同席していた。その場で「教えてください!」とお願いしたところ、快くご了承いただけた。これは本当にうれしかった。学生さんを紹介する場だったはずが、自分自身のソーシャルネットワーキングまでできてしまった。これ以上ない幸運である。偶然とはいえ、学生さんの存在がこのご縁をつないでくれたのかなと思うと、感謝しかない。

 

こうして世界を広げている中で、自分は本当に無知なんだなあと感じている。ただ、それは自分自身の無力に絶望するような感覚ではまったくない。むしろ、自分はまだ世界の面白さをほとんど知らないのだなぁ、自分自身の伸びしろは相当に残っているのだろうなぁという高揚感の方が大きい。もちろん、挫折も多いし、ストレスもある。それでも、昔の自分と比べれば、長い目では右肩上がりで来ていることも分かっている。だから最近は、「挫折感 = 青春している」くらいに、少し客観視するようにもなってきた。論文のrejectメールに対して「いやぁ、青春だねぇ!」と笑い飛ばせるようになるのである。

 

数日前にテロ対策のトレーニングコースに参加した時などは、救急隊、機動隊、自衛隊の方々の見識に触れて、ただただ圧倒されるばかりだった。けれど、あまりにも圧倒されすぎて、むしろ自分の無知を清々しいとまで感じてしまった。知らないということは、その瞬間に少し賢くなっているということと同義なのだと思う。

 

周りから「まだ真価の3割も発揮していない」と言われることが時々ある。3割ということは、単純計算ではポテンシャルが3.3倍くらいあるということになる。しかし、自分自身の感覚としては、3.3倍では済まされないぞ!とも思っている。少なくとも、自分がすでに知っている世界だけでも、自分の手が届く範囲の3.3倍どころではない広さがあるからである。そう考えると、自分はこれからまだまだ大きく成長できるのだろうという期待があって、いまこの瞬間の青春を噛み締めている。

やっぱり興味のない論文は読めない

病院総合内科で他科コンサルテーションを本格的に始めて、2週間弱が経った。まだ院内での知名度は高くない。それでも、今のところ1日1件程度は依頼がある。やはり、こうした役割には一定の需要があるのだと実感している。ちょっとした発熱。ちょっとした電解質異常。ちょっとした食思不振。病院の中には、そうした「小さな困りごと」があふれている。それらをひとつひとつ解決することが、患者さんのアウトカムをどれほど改善するのかは、正直なところまだよく分からない。ただ、他科の先生方がそれぞれの専門分野に集中できるよう、少しでも安心感を提供できるのであれば、それだけでもこの業務には十分な意義があるのだと思う。

 

依頼内容は多岐にわたるが、対象となる患者さんの背景疾患はそれ以上に多様である。これまでほとんど意識したことのなかった遺伝性疾患や先天性疾患とも、自然と接点が生まれている。そうなると、当然ながら勉強しなければならない。毎日ルーチンとして読んでいる論文に加えて、目の前の患者さんを診るための論文を1〜2本ほど余分に読むようになった。読まずに診療すれば、思わぬ落とし穴に足を取られそうだからである。それに、このコンサルテーション業務には教育というミッションも含まれている。まっさらな状態で診察に向かうより、一定の予備知識を仕入れてから患者さんに向き合った方が、チーム全体の学びは深くなる。そのためにも、論文を読み込み、自分の言葉に変換しておく作業は欠かせない。

 

共栄堂のスマトラカレーの苦みは、知的作業と相性がよい

 

ところで、自分が苦手としてきた論文のひとつに、Lancetの総説がある。取り扱っている疾患はかなりマニアックなことが多く、内容も非常に詳細である。どちらかといえば、その領域の専門家が読んで面白いと感じるタイプの総説だと認識していた。自分の中では、NEJMの総説とは対照的な存在であった。ところが今になって、そのLancetの総説を重宝するようになりつつある。傾向として、遺伝性疾患や先天性疾患に強いからである。患者さんを診察する前の予習として読むのだが、不思議なことに、これが恐ろしく読みやすい。これまで面白さがさっぱり分からなかったテキストが、「患者さんを診る」という予定が入るだけで、急に面白くなってしまう。実に不思議なものである。

 

ここにきて、論文はベッドサイドでこそ読むべきものだという教訓を再発見している。後輩の先生方に「勉強用」と称して論文をランダムに配ったところで、なかなか読んでもらえない。これは、多くの指導医が納得するところだろう。しかし、ベッドサイドで実際に診た患者さんに関する論文であれば、少しだけ勝率が上がる。要するに、自分事になった瞬間に、「読めない」が「読める」に変わるのだ。そして、この現象は自分自身にも例外なく当てはまるのだと、改めて思い知らされた。これから自分が臨床の腕を磨き続けるためには、貪欲に立ち止まって問い続けることが大切なのだろう。そのためには、自分が慣れていないフィールドに今後も飛び込み続ける必要があるということだ。