つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2025年8月からは筑波大学附属病院病院総合内科の講師として診療科の運営状況に一喜百憂したり、自分自身が大学人としてどう生き残るべきかを悩んだりと、遅めの青春を謳歌しています。なお、ここでの記載内容は個人的見解です。

移植感染症医の研究ホットトピック 講義メモ

我輩の、我輩による、我輩のための備忘録

JAL機内食 その2(羽田からダラスに向かう途中)on 15 Sep 2026

1. 講義全体のテーマ

本講義は、若手移植感染症医の視点から、Transplant Infectious Diseases(TID)の個別トピックを概説するというよりかは、複雑なTID患者をどのようなclinical frameworkで捉え、そのframeworkを教育・研究・キャリア形成にどう接続するかを示す内容であった。演者がTIDを志した背景としては、general IDでは遭遇しにくい珍しい臨床現象への知的関心に加え、TIDチームが自身の家族を支えた個人的経験があったという。将来のキャリアについては、medical educationを軸にしつつ、clinical researchも継続するという方向性が示された。


2. Clinical frameworkと医学教育

講義序盤では、clinical reasoningと医学教育の歴史が簡潔に振り返られた。初期には、症状や身体所見を臨床推論の手がかりとして用いるbedside reasoningが中心であった。その後、1970〜1990年代にはclinical reasoningそのものが研究対象となり、アルゴリズムや意思決定理論、さらにEBMの発展によってpretest probabilityや検査特性を踏まえた意思決定が重視されるようになった。2010年代以降は、dual-process theory、System 1 / System 2、illness scriptなどのcognitive frameworkが医学教育でも重視されるようになり、熟練医が複雑な情報をどのように整理しているかを明示的に教える方向へ進んでいる。演者は、この考え方をTIDに適用していた。

My framework for TID patients

  1. 移植臓器や併存疾患が、どの感染症への脆弱性を生みうるかを理解する
  2. 患者の免疫機能を大まかに把握する
  3. 患者背景や疫学的要因が検査結果にどう影響するかを理解する
  4. その時点で利用可能な最善の治療を提供する

要約すると、Vulnerability → Immune function → Test interpretation → Treatmentという4段階のframeworkである。


3. Framework 1:Vulnerability

Kidney transplant、UTI、frailty

第1の例として、腎移植後の尿路感染症とfrailtyの関係が紹介された。50歳以上の腎移植患者を対象に、frailty scoreと移植後1年間のUTI発症との関連を検討した後ろ向き研究で、frailtyが強い患者ほどUTIリスクが高い可能性が示されていた。また、女性frail患者でリスクが高い可能性も示された。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/tid.70204

フロアからは即座に、閉経が交絡している可能性はどうかという質問が出た(頭の回転の速さに驚いた! これがUTSWのレベル……!)。演者は、後ろ向きカルテ研究のため閉経状態を十分に把握できていないと回答していた。

この指摘は重要で、50歳以上の女性では閉経に伴う低エストロゲン状態、膣内細菌叢の変化、泌尿生殖器萎縮などがUTIリスクに影響しうる。そのため、frailtyそのものの効果と、加齢・閉経・尿路機能などの影響を分離する必要がある。演者は次の研究課題として、frailtyを改善することでUTIリスクをmitigateできるかを検討したいと述べていた。ここでは、frailtyを単なるリスクマーカーとしてではなく、potentially modifiableなvulnerabilityとして捉えている点が興味深かった。


4. Framework 2:Immune function

T-cell mediated immunity(TCMI)for CMV management

第2の例は、CMV-specific cell-mediated immunityの評価であった。CMV-CMIでは、CMVに対するCD4およびCD8 T-cell responseが研究されているが、測定法によって見ている免疫機能が異なる。

①   ELISpot

CMV抗原刺激後のIFN-γ産生細胞を評価する。CD4およびCD8の両方の応答を反映しうる一方、通常の測定ではどちらの細胞集団が寄与しているかを分離しにくい。

②   Lymphocyte proliferation assay(LPA)

CMV抗原刺激に対するリンパ球の増殖応答を評価する。よりCD4 memory responseを反映しやすく、長期的・持続的なCMV免疫を示す可能性がある。

現行ガイドラインでは、CMV-CMIを臨床意思決定に使うことへの推奨は依然として弱く、エビデンスも限定的である。従って、D+/R−、lung transplant、高いCMV viral load、最近のantilymphocyte therapy、免疫抑制強化などを再発リスク因子として優先的に考慮する向きがある。

現代的なアプローチとしては、CMV-CMI単独で判断するのではなく、まずexpert teamが患者全体のリスクを評価し、そのうえでTCMIを追加情報として利用するという考え方が紹介された。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/tid.13864

ELISpotとLPAの結果が必ずしも一致せず、discordant casesも少なくないようだ。また、LPAの方がCMV再発リスクの層別化に有用でかもしれないとのパイロット研究を踏まえての意見。この部分で重要なのは、“CMV-CMI”は単一の免疫指標ではないという点である。ELISpotとLPAは異なるimmune compartment / functionを見ており、測定法によって臨床的意味が異なる可能性がある。


5. Framework 3:Test interpretation

Discordant Coccidioides serology

第3の例は、移植前評価におけるCoccidioides血清学的検査のdiscordanceであった。移植候補者では、Coccidioidesの既感染や潜在感染を評価するため血清学的検査が行われることがあるが、complement fixation(CF)やimmunodiffusion(ID)など、異なるassay間で結果が一致しないことがある。演者は、こうしたdiscordant serologyを示す移植患者が実臨床で一定数存在することを紹介し、移植後に実際どの程度coccidioidomycosisを発症するのか、どの検査パターンが臨床的に意味を持つのかが問いとして重要なのではと述べていた。

重要なのは、単に検査陽性・陰性を見るのではなく、

  • 患者の居住・曝露歴
  • 流行地域への曝露
  • 過去の感染歴
  • assayごとの特性
  • 移植後の免疫抑制状態
  • 実際の臨床アウトカム

を統合して検査を解釈する必要がある、という点である。これはframework 3の “patient or epidemiologic factors may influence the test results” を非常によく表していた。


6. Framework 4:Best available treatment

Emerging non-CMV antivirals

第4の例では、CMV以外の新規・開発中抗ウイルス薬についてreview形式で紹介された。話題として挙げられたのは、

  • HSV:pritelivir○
  • HBV:bepirovirsen○、tobevibart○、elebsiran○、therapeutic vaccines○
  • mpox:tecovirimat×
  • adenovirus:brincidofovir△

などであった。新規治療薬は「新しいから良い」のではなく、臨床試験の結果を見ながら期待と限界を評価する必要があるという点が強調されていた。このテーマについては、演者自身がreviewを投稿中とのことであり、講義内容の一部はその内容に基づくものと思われる。


7. Medical educationへの応用

講義の最後では、4つのframeworkそれぞれを医学教育にどう応用できるかが整理された。

1. Vulnerability

移植前のcomorbiditiesや“transplant window”を教える機会になる。また、移植後の解剖学的変化がどのように感染リスクに結びつくかを教育できる。

2. Immune function

免疫抑制薬の基本的な理解を教えるだけでなく、移植チームとのcommunicationも重要な教育テーマになる。たとえば感染症が問題となった際、 “Can we reduce immunosuppression?” と移植チームに相談するという、専門科間コミュニケーションそのものが学習機会となる。

3. Test interpretation

ここではdiagnostic stewardshipが重要な教育テーマになる。複雑な患者では、しばしば“shotgun testing”が行われがちである。その際にいったん立ち止まり、

  • なぜこの検査を注文するのか
  • pretest probabilityはどの程度か
  • 結果が陽性・陰性だった場合に何を変えるのか

を学習者と一緒に考えることができる。

4. Treatment

治療選択には必ず背景となるデータが存在することを教える。新規治療薬のエビデンスを示しながら意思決定の過程を共有することは、単なる知識伝達にとどまらず、この領域や患者へのpassionをtraineesに示すことにもつながるという点が強調されていた。


8. 講義を通じた所感

研究として見ると、小規模な後ろ向き研究や進行中研究が多く、交絡因子の扱い、患者背景の詳細、症例数など、改善の余地があるように感じられた。一方で、TIDという専門領域でどのような問題設定がなされているかを知るという意味では非常に有益であった。特に、

  • frailtyを感染症vulnerabilityとして捉える発想
  • CMV-CMIにおいてELISpotとLPAが異なる免疫機能を見ていること
  • 移植前Coccidioides serologyのdiscordanceという実臨床上の問題
  • non-CMV antiviralsの開発状況

など、general IDの診療だけでは触れる機会の少ない知識を得られた。また、本講義の最大の特徴は、個々の知識を並べるのではなく、Clinical observation → Framework → Teaching opportunity → Research questionという形で、自身の臨床・教育・研究を一つのframeworkに統合していた点にある。演者の "I plan to anchor my career in education." "I will continue clinical research." という言葉は、講義全体の構成そのものをよく表していた。TIDの知識を学ぶ講義であると同時に、clinical educatorが自分の専門領域をどのように構造化し、教育と研究へ展開していくかを見る講義でもあった。

HIVのART耐性入門 講義メモ

我輩の、我輩による、我輩のための備忘録

JAL機内食(羽田からダラスに向かう途中)on 15 Sep 2026

1. まずRAMsとは何か

RAMs = resistance-associated mutations。

表記はM184V = WT amino acid → position → mutant amino acid なので、

  • M = Methionine(WT)
  • 184 = RTの184番目
  • V = Valine(mutant)

という意味。

同様に、

  • K65R = Lys → Arg
  • K103N = Lys → Asn
  • Q148H = Gln → His

と読む。


2. RAMsは「どこから来たか」で3種類

① Inherent / intrinsic resistance

ウイルスそのものが元来持っている耐性。

例:HIV-2 Y188L → pan-NNRTI resistance

治療によって獲得したのではなく、ウイルス種として元々持っている性質。

② Transmitted resistance

耐性ウイルスそのものに感染する。

講義で紹介された頻度感:

  • 何らかの耐性:約20%弱
  • NNRTI:10%強
  • NRTI:約6%
  • PI:約5%
  • INSTI:約1%

③ Acquired resistance

ART中にウイルス複製が続き、薬剤選択圧によってRAMが選択される。

背景として、

  • selective non-adherence
  • background resistanceを踏まえると抑制力不足のregimen
  • drug–drug interaction

などがある。

■ 核心は、薬剤圧があるのに、ウイルス複製が続いている状態が耐性選択に最も危険ということ。


3. 「飲んでいる/飲んでいない」の二元論ではない

HIV耐性を理解するうえで重要。

①   ARTが十分効いている

薬剤圧あり
+ ウイルス複製ほぼなし

→ RAMは選択されにくい。

②   中途半端に効いている

薬剤圧あり
+ ongoing replication

→ resistant variantが相対的に有利になり、RAMが選択される。

③   薬剤を完全に中止

薬剤圧が消える。

Fitness costのある耐性variantはwild typeに負け、血中では見えにくくなる。

■ したがって、耐性が選ばれる時期と、耐性が検出できる時期は一致しない。


4. M184VはHIV耐性を学ぶ最高の教材

M184Vは、

  • 3TC/FTCにhigh-level resistance
  • viral fitnessを低下
  • tenofovir susceptibilityを高める方向に働く

という特徴を持つ。3TC/FTC存在下でウイルス複製が続けばM184Vが選択される。しかし3TC/FTCを外すと、M184Vの「薬剤耐性」という利点が消え、fitnessの高いWTが再び優勢になる。その結果、過去にM184Vが存在していても、現在のRNA genotypeでは検出できないことがある。したがって、HIVでは “現在のgenotype” より “cumulative resistance history” が重要となる。


5. M184Vとtenofovir:耐性変異同士の相互作用

TAMs(thymidine analogue mutations)が増えるほど、一般にTDFへの耐性は強くなる。一方でM184Vが存在すると、同じTAM数でもtenofovir耐性の程度がやや軽くなる。つまり、

TAMs ↑ → TDF susceptibility ↓
M184V → その低下を一部打ち消す

という関係。これは「ある薬への耐性変異が、別の薬への感受性を高めることがある」という、細菌AMRの感覚ではかなり珍しい現象。


6. HIV耐性は白黒ではない

Stanford HIV Drug Resistance Databaseでは、RAMsの組み合わせから薬剤ごとに、

  • susceptible
  • potential low-level resistance
  • low-level resistance
  • intermediate resistance
  • high-level resistance

と評価する。つまりRAMは「この薬は使える/使えない」の診断名ではなく、残存活性を推定する材料である。特にNRTIではhigh-level resistance ≠ in vivo activity 0 という点が重要。


7. NRTIは「耐性でも残す」ことがある

この講義で最も細菌感染症の感覚と違う部分。NRTIはgenotype上high-level resistanceでも、

  • directな残存抗ウイルス活性
  • RAMによるviral fitness低下
  • 他のNRTIへのhypersusceptibility
  • high-barrier anchorと組み合わせたときの追加効果

などにより、in vivoでは意味のある活性を残すことがある。したがって、耐性だから全部外す、とは限らない。M184V+3TC/FTCが典型例。


8. RNA genotypeはいつやるか

UTSWでは、HIV RNA NAATからreflex resistance testingを行う運用。

主な適応:

Treatment-naive / return to care

transmitted resistance、あるいは過去に獲得した耐性を評価する。

Virologic failure

現在選択されているRAMsを評価する。

重要な条件:

  • HIV RNAが概ね 500–1,000 copies/mL以上
  • failing regimen内服中が理想
  • 中止した場合も4週間以内
  • standard sequencingではRAMがウイルス集団の10–20%以上ないと検出しにくい

だから、RNA genotype陰性 ≠ 過去に耐性なし である。


9. Archival genotype

RNAが低すぎて通常のRNA genotypeができない場合に、host cellに組み込まれたproviral DNAを解析する検査。

典型的には、

  • HIV RNA <1,000 copies/mL
  • しかしART switchの判断が重要
  • 過去の耐性歴が不十分

というときに使う。

ただし講義の重要な注意:

NOT INCLUSIVE!

つまり、過去のRAMsをすべて拾えるわけではない。

したがって、

  • RAMが見つかる → 重要な情報
  • RAMが見つからない → 過去に存在しなかったとは言えない

という非対称性がある。


10. Viral tropism assay:Trofile

Maravirocを使う際に、HIVがCCR5を使うか、CXCR4を使うかを評価する。MaravirocはCCR5 antagonistなので、CCR5-tropic(R5)virusでないと効かない。したがって、maravirocの使用を考えるなら、CCR5 tropism assayを送る。


11. Hayden’s “Ground Rules”

講義の実践原則。

① It is easier to keep someone suppressed than it is to suppress someone.

すでに抑制されている患者の維持は、viremic patientを再抑制するより容易。したがって、suppressed patientとviremic patientでは、同じ耐性でも治療戦略が違う。

② Use composite genotypes

最新のgenotypeだけでなく、過去のすべてのRAMsを累積して評価する。

③ Use Stanford HIV database

RAMの組み合わせから薬剤ごとの残存活性を評価。

④ Evidence-based regimens

理論だけでなく、臨床試験で実績のあるregimenを優先。

⑤ Favor simplicity

Pill burden、投与回数、booster、食事条件などを減らす。Simplicityは利便性だけでなく、adherence改善=耐性予防でもある。

⑥ Assess drug–drug interactions

DDIによって一部薬剤だけが実質的に失活すると、functional monotherapyになりうる。

⑦ Always think about HBV

TAF/TDF + FTC/3TCはHBVにも効く。ART変更でこれらを外すと、HBV flare/reactivationの危険がある。


12. High-barrier anchorという考え方

HIV耐性治療の中心は、まず信頼できるhigh-barrier anchorを探すこと。

代表:

  • BIC
  • DTG
  • boosted DRV

そのうえでNRTIのpartial activityなどを活用する。


13. PrEP後のHIV感染とM184V

症例:22歳男性
TDF/FTC PrEP使用歴あり → dropout → HIV感染

PrEP曝露下で特に問題になるのが、FTC → M184V/I

この場合、DTG/3TCのような2剤療法は避ける。

なぜならM184Vで3TCがほぼ失活すると、実質的にDTG単剤に近づく可能性があるから。したがって、ガイドラインでは、3-drug regimenを用いるとしている。

 

講義での選択:BIC/TAF/FTC(Biktarvy)

BICがhigh-barrier anchor、TAFも活性を期待でき、FTCも完全に無意味とは限らない。


14. DAWNING / NADIAからの教訓

DAWNING

DTG + 2 NRTIsは、second-lineでboosted PI regimenより良好な抑制を示した。

ただし少なくとも1剤のNRTIにgenotypic susceptibilityが必要だった。

NADIA / Paton 2022

かなりNRTI耐性のある患者でも、DTGやDRV/rをanchorにして高率に再抑制できた。

一方でDTG群では少数ながらDTG resistanceも出現。

 

教訓:NRTIがかなり弱くてもhigh-barrier anchorで抑制できることは多い。しかし、functional monotherapy状態でfailureを続けさせてはいけない。


15. 65歳男性:suppressed patient

既知の耐性:

  • ABC
  • AZT
  • FTC
  • 3TC
  • TDF

などにhigh-level resistance。しかし現在、TAF/FTC/DRV/c + DTGで長期抑制。

ここでの問い:simplificationできるか?

→ 講義での答えは、BIC/TAF/FTC(Biktarvy)が候補。

理由は、

  • すでにsuppressed
  • BIC fully active
  • NRTIはhigh-level resistanceでもpartial activityがあり得る
  • 1錠
  • booster不要
  • DDI減少
  • HBV coverage維持

という点。まさに、“It is easier to keep someone suppressed…” の実例。


16. 65歳女性:out of care

こちらは数年間out of care。同じようなpan-NRTI resistanceがあっても、男性とは違う。なぜなら、今から再びsuppressionへ持っていく必要があるから。

 

DHHSの原則:

prefer ≥2 fully active drugs, with at least one high-barrier PI/INSTI

あるいは、

DTG + boosted DRV

など。

→ 講義で実際に使われたのは、Biktarvy + doravirine

考え方は、

  • BIC = fully active high-barrier anchor
  • DOR = additional active drug
  • TAF/FTC = partial activityも利用

という構成。


17. Doravirineの位置づけ

Doravirine(DOR)はNNRTI。特徴は、古典的NNRTI耐性があっても、活性が残ることがあること。K103Nなどがあっても、他のNNRTIより活性が保たれる場合がある。

したがって、“NNRTI resistanceあり → NNRTI全部ダメ”ではない。

Stanford HIVdbでDORの残存活性を確認する。

 

※ 感覚的には、βラクタムアレルギーにおけるaztreonamのように、「同じ大分類だが交差性が独特で、他がダメでも残ることがある薬」という理解が近いかもしれない? 要は、同属の中の異質。


18. Hayden’s approach to ART resistance

Tier 1:DTG/BIC fully susceptible

M184Vのみ

→ Biktarvy

pan-NRTI resistance

  • suppressed → Biktarvy
  • viremic → Biktarvy + doravirine

つまり、BICがfully activeなら、BICを中心にNRTI partial activityを利用。


Tier 2:boosted DRV fully susceptible

Tier 1と同じ発想で、BICの代わりにboosted DRVをhigh-barrier anchorにする。


Tier 3:PI / INSTIがfully susceptibleではない

ここからはsalvage therapy。

目標:

at least 2 active agents

検討項目:

A. Generally include TAF/FTC

耐性があってもpartial activityを期待。

B. DTG or DRV BID?

一部耐性があっても、高用量/BIDで活性を確保できないか考える。

C. Can you use DRV?

PI RAMsが多数あっても、DRVは活性が残ることが多い。

D. Can you use maraviroc?

→ CCR5 tropism assayを送る。

E. “Beg for novel ARVs”

既存薬で2剤のactive agentsを確保できなければ、

  • lenacapavir
  • fostemsavir
  • ibalizumab

などのnovel agentsを検討。


19. 細菌AMRとの最大の違い

今回の講義で最も印象的だった点をまとめると、細菌感染症ではしばしば「耐性ならその薬を外す」

という発想になりやすい。しかし、HIVでは

  • high-level resistanceでも残存活性があるかもしれない
  • 耐性変異そのものがviral fitnessを下げることがある
  • 別の薬への感受性を高めることすらある

ため、耐性薬を意図的にregimenに残すことがあり得る。そのうえで、high-barrier anchorをまず確保し、regimen全体として十分な抑制力を作るというのが基本思想。


20. この講義を一言でまとめるなら

HIV耐性は「どの薬がSかRか」を見る学問ではなく、患者の過去のART歴・RAMs・viral fitness・薬剤間相互作用・現在のsuppression statusを統合して、“regimen全体として十分な抗ウイルス活性をどう確保するか” を考える学問。

 

Hayden先生の実践的アプローチでは、

① high-barrier anchorを探す
② composite genotypeを見る
③ Stanfordで残存活性を評価する
④ NRTIのpartial activityも利用する
⑤ suppressedかviremicかで戦略を変える
⑥ simplicity・DDI・HBVを忘れない

という流れが非常に一貫していた。

 

今回の講義で一番「細菌ばかり診ている感染症医/ホスピタリストの直感と違う」のは、やはり “high-level resistanceでもNRTIを捨てないことがある” という点。ここをM184Vから理解すると、他のART resistanceもかなり見通しがよくなりそう。

はじめての英語雑談!

2026年9月中旬、テキサス州ダラスに渡米していた。目的は、筑波大学附属病院とUT Southwestern Medical Centerとの提携に向けた顔合わせである。臨床と教育、できれば研究での連携も視野に入れた、いわば外交である。もっとも、自分はあくまでサポート役。昔ながらの言い方をすれば「カバン持ち」だ。したがって、一歩引いたところから偉い先生方についていく立場である。それでも、先生方の計らいで米国の医師たちとずいぶん話をする機会をいただいた。ありがたいことである。響きだけ聞くと今ひとつ冴えない「カバン持ち」だが、実はなかなかの役得なのだ。

 

当然ながら、現地ではプレゼンテーションもした。ただし、自分の持ち時間はわずか5分。最初は「この5分で何を伝えるか」と考えていたのだが、途中で諦めた。5分で伝えられることなど、そう多くない。ましてや、こちらは「カバン持ち」である。こちらが一生懸命しゃべったところで、どれほど聞いてもらえるのかも分からない——そこで、一計を案じた。プレゼンテーションそのもので大したことが伝わらなくても構わない。「こいつはちょっと面白いヤツだ」と思ってもらい、その後の雑談で話しかけてもらえる確率を上げる。そして、そこで初めて何かを伝える。そんな方針に切り替えたのである。具体的には、真面目なプレゼンテーションが続く中、自分の発表には感染症科医なら思わず共感してしまうような笑い話を、これでもかと投入した。お得意の落語テイストである。

 

テキサスといえば、メキシコ料理(実は本場とまったくの別物らしい)

 

どうやら、この作戦は奏功したらしい。滑稽噺というものは、案外オチだけでも頭に残る。「日本でdiagnostic stewardshipに強い関心を持っている若手医師」という印象を持ってもらえたようで、滞在中この手の話題が出るたびに「これ、君はきっと好きだよね」「こんなことしたらイトーに怒られそうだ」と声をかけてもらえるようになった。

 

今回の渡米では、「この人をメンターとして仰ぎたい」と心から思える医師に出会えたのも幸運だった(当然のように弟子入りしてきた)。そして、錚々たる先輩方とステーキハウスへ行き、何時間も雑談をすることにもなった……と書くと大した話ではなさそうなのだが、実は自分は英会話がそれほど得意ではない。むしろ、苦手意識は相当なものである。ただ、この2年ほどは国外へ出張する機会がずいぶん増え、妙に度胸だけはついていた。AIの英会話アプリを使って、毎日少しずつ練習もしている。自分では「英会話力そのものは、さほど上がっていないのではないか」と思っていたのだが、蓋を開けてみると、何の苦もなく3時間ほど英語で雑談をしている自分がいた。

 

もちろん、こちらが非英語話者であることを踏まえて相手もずいぶん配慮してくれていたのだと思う。それでも、普通に英語で雑談していた自分自身に後から驚いた。しかも、飲み会である——大の飲み会嫌いの自分が、英語で、しかも心から楽しみながら雑談をしている。そんな光景は、出国前には想像だにしていなかった。

 

そして今回、日本語であれ英語であれ、雑談に必要なのは結局のところ「好奇心」なのだと改めて思った。自分にはどこか、「英語話者はほかの言語にはあまり興味を持たないのではないか」という先入観があった。しかし、米国の感染症科医の先生方は、思いのほか日本語や日本文化に詳しかった。ステーキに乗っている白い謎の物体を指さして、「これは何?」と尋ねると、「わさびみたいなものだよ!」と返ってくる。「ん? わさびをご存じなのか」——そこで、「わさび農園を維持するには大量の水が必要なのだよ。なぜなら……」と蘊蓄を披露する。それだけで、ちょっと知的な会話が始まる。

 

米国で「しんかんせん」と言って通じることにも驚いた。聞けば、米国では電車は一般にあまり好んで利用されず、「テキサスでは車両も3両編成くらいだよ」といった話になる。なるほど、そう考えると、日本の鉄道は彼らの目にはかなり洗練されたシステムに映るのだろう。「しんかんせん」が興味を引くのも分かる気がした。つまるところ、雑談の最初の一言は、「これは何?」「これはなぜ?」で十分なのだ。そして二言目からは、医学以外の知的な底力とでもいうものが試される。この刺激が、自分には実に心地よかった。これぞ普段から貪るように読書している人間の特権である。

 

テキサスといえば、ステーキも

 

ところで、帰国してから杉田敏先生の『現代ビジネス英語』を聴いて、少し驚いた。そこで教材になっている英語が、まさにテキサスで交わしていた雑談と同じくらいのレベルなのである。そして、この教材に登場する日本人 = 井出くんの話し方が、我々日本人にとって実に良いロールモデルなのではないかと思った。つまり、井出くんの会話を100点とするなら、60点くらいでも十分に雑談は成立する。完璧な英語を話す必要はない。相手の話に興味を持ち、自分が知っていることを少し返し、また質問する。その繰り返しでよい。そういう意味でも、『現代ビジネス英語』は非常によくできた教材だと思う。ちなみに、2026年春号には、しれっと我輩も登場しているので、もしバックナンバーをお持ちの方がいれば、ぜひ探してみてほしい。

 

こうして渡航経験を重ねるたびに、「英語で話せること」が少しずつ増えているのを実感する。英会話ができるようになると、今度は「もっとこれを話したい」「こんなことを説明できるようになりたい」と、話したい内容そのものが具体的になってくる。すると、日々の英語の練習にも身が入りやすくなる。国外出張は、時差ボケで体力を思い切り持っていかれる。それでも、それを補って余りあるほど経験値が入ってくる。そう考えると、極度の億劫屋の自分でも「また海外に行きたい」と思えてくるのである。

兄貴分

上を目指すというのは、なかなかしんどいものである。コンフォートゾーンの中にいては上達を見込めない。だからこそ、絶えず自分自身をストレッチゾーンに置いておく必要がある。しかし、ずっとストレッチを続けていると、だんだん疲れてきて、少し緩めたくもなってくる。そこで自分自身を叱咤しながら、何とかストレッチゾーンに留まろうとする。上を目指すというのは、結局のところ、それを続けるということなのだろう。しんどくないはずがない。

 

もっとも、ストレッチゾーンにいること自体の喜びもある。ひとつは、何かを達成することだ。例えば、論文を出版したり、受賞したりすることがこれにあたる。コンフォートゾーンの中にいては、なかなかこうした達成も得られない。そう考えると、これぞストレッチゾーンに絶えず身を置いてきた御褒美と呼ぶべきものなのだろう。ただし、こういったイベントが頻繁に起こるわけでもない。ゆえに、この御褒美だけで気力を補給しようとしても、どうしても不足しがちなのである。

 

では、ストレッチゾーンにいる喜びを日々どこに見出していけばよいのだろう。もちろん、自分自身の成長を自分に言い聞かせるのもよいのだけれど、これはこれで相当にストイックで、自分にはちょっときつい(といいつつ、日記をつけるなどして取り入れてはいるけれど)。そうなると、やはり同じようなしんどさを経験しているメンバーで集まり、切磋琢磨するのが一番なのではないかという話になってくる。ちょうど学会や勉強会が、そうした役割を担っているような気がしている。1泊2日あるいは2泊3日。多忙にさらに拍車をかけながらも、定期的に学会や勉強会へ出かけることにはそれなりの意義がある。

 

では、学会や勉強会の中にある人間関係とは、どのようなものだろう。考えてみると、やはり「兄貴分」や「弟分」に会えることが一番大きいのではないかと感じている。学会のワーキンググループなどは、まさにそのような関係性なのだろうと思う。そして最近になって、自分の職場の中にも、そうした関係性を築いていくことが大切なのだと感じる機会が増えてきた。

 

むかし臨床を教えていた後輩に、今度は研究を教えるようになった。手術帰りの先輩に捕まって、そのままランチに連れていかれることもある。そういった場所で、診療科の垣根を越えて病院の現状を語り合い、自分たちがそれぞれの立場で何をできるのかを話しているひと時は、至福と呼ぶべきものである。

 

兄貴分から勧められたラーメンを半信半疑で食べたら、美味しかった

 

しかし、こういった話し合いができるのも、ストレッチゾーンに身を置く人間どうしだからこそである。苦しくても、ただ愚痴るのではなく、それぞれに知恵を巡らせながら頑張っている。そして、その苦しみも、そこで生まれる知恵も、驚くほど多様である。だからこそ話が弾み、時間が経つのも一瞬なのだろう。コンフォートゾーンにいる人間からしてみれば、まったく現実感を伴わない話題ではないだろうか。

 

そういえば、ある先輩がこの病院を「コンフォートゾーンとストレッチゾーンの二極化」と形容していた。まさにその通りだと思う。ストレッチゾーンに身を置く人間どうしが分断されることなく、うまく手を携えていければ、何か大きな仕事ができるのではないか。そんな期待を抱かせてくれるからこそ、兄貴分や弟分との付き合いを大切にしていきたい。

順調も不調もありません

周囲から見ると、自分はどうやら順風満帆に見えるらしい。当の本人としては、「そんなことはない」と言いたくなるのだが、冷静に考えてみれば、そもそも順調も不調もないというのが実際のところなのかもしれない。例えば、論文を数多く書いているように見えても、その陰には何倍ものリジェクトがある(最終的に上振れアクセプトに至った研究の中には20回リジェクトされたものも……)。運よく major revision までたどり着けば、今度はそのわずかなチャンスを逃すまいと、死に物狂いでもがくことになる(査読者への返信コメントで50ページの英文を書いたことも……)。臨床でも、診断が分からないことは珍しくないし、患者さんの急変に振り回されることも少なくない。要するに、何事もスタイリッシュに運んでいるわけではまったくない。常に泥沼の中で足掻いているような感覚がある。まあ、はっきり言ってキツイ。

 

当事者として眺める日々の景色は、だいたいこのようなものである。それでも、ときどき少し距離を置いて自分の歩みを振り返ってみると、必ずしも「キツイ」だけではなかったことに気づく。一度 accept された論文は、よほどのことがない限り消えてなくなることはなく、少しずつ積み重なっていく。その過程で、使わせてもらえるデータが増えたり、共同研究をする相手が増えたりもする。臨床でも、患者さんが最終的に回復したり、感謝の言葉をもらったりすることはもちろんある。ただ、それだけではない。ほかの診療科の医師や、別の病棟・部門で働く医療者とつながる機会が生まれ、関係が少しずつ蓄積されていく。自分の診療プロセスにはやや独特なところがある。検査や治療を必要最小限に抑えようとする。検査値をそのまま信じず、患者の文脈の中で読み直そうとする。言葉で意思を表出できない患者さんについても、表情や反応から、本人が何を望んでいるのかを可能な限り汲み取ろうとする。最初は「どうしてそこまでする?」と思われるのだが、積み重ねているうちに「この人はそういう医療をする人間だ」という理解や信頼が徐々に形成されているのは感じる――要するに「覚えてもらえる」とか「困ったときに顔を思い浮かべてもらえる」。

 

こうして考えると、日々ただ "消費" されているように見える仕事も、実際には何らかの形で蓄積されているのである。自分自身の経験値も、ぼけて忘れてしまわない限りは失われない。目の前では徒労に見えたことも、振り返れば必ずしも無駄ではなかったりする。

 

珈琲問屋。その場で焙煎してもらえるので美味しいけど、仕入れも多いからか安い

 

局所的、短期的に見れば、アップダウンは激しい。けれども、少し引いた場所から長期的に眺めてみると、完全に横ばいだったということはこれまでなかった。それこそ「大暴落」と呼びたくなるような出来事にもこれまで何度か遭遇した。それでも結局は、それらもまた、順調なときに得られるものとは質の異なる経験として自分の血肉になっているように思う。そう考えると、目の前にエンドレスに広がっている苦しい状況も、人生の流れの中ではごく自然なものなのかもしれない。いちいち意味を求めたり、成果を急いだりせず、ただ粛々と目の前のことをこなしていく。そうしているうちに、気づけば何らかの結果に結びついている。人生とは、案外そういう類いのものなのだろうという一種の悟りにもつながっている。むしろ、短期的に不調だと感じることが一切ない状態こそが、長い目で見たときの不調を作っているのかもしれない。

超一流

十勝帯広での講演会の後、現地の指導医の先生方と美味しい料理を堪能することになった。その席に「ぜひに」ということで、二人の初期研修医も同席していた。なかなか見どころがある……などと偉そうに言う立場でもないのだが、それでも初対面の指導医たちの会食に飛び込んでくる度胸は素直に頼もしい。チャレンジ精神が萎みつつあるこの国においては、その心がけだけでも相当に有利に生きられるというものだ。

 

会食中、話題は「そもそもなぜ我輩が十勝帯広に呼ばれることになったのか」というところに及んだ。学会で育まれた指導医同士の友情がきっかけ――ということになるのだが、話はそこで終わらず、やがて「初期研修医の先生方にも学会へ参加してほしい」という方向へつながっていった。なぜなら、学会に参加すると、一流、時として超一流に触れる機会を得られるから。自施設の中だけで診療を続けていると、どうしてもガラパゴス化しがちなところがある。そればかりか、その診療分野における共通言語を身につけられないという、致命的な問題も生じてしまう(というか、これが致命的だと認識されていないのも非常にマズイ)。

 

加えて、学会に参加すると、一流ないし超一流のあり方にも多様性があることが分かる。これも大きい。人生は決して一様ではない。そのことを知るだけでも大きな収穫になるのではないか。

 

かくして、この会食の後半は指導医たちが初期研修医にそんなことを力説する会と化していた。本当に初期研修医の先生方にはお疲れさまと申し上げたいところだが、会食の席だけの話で終わらせることなく、ぜひ学会に参加してみてほしい。このブログでも重ねて圧力をかけておく次第である。

 

ところで、我輩はこれまで、いろいろな一流、超一流を見てきた。そして時折、一流と超一流の境界とはどのようなものだろうと考えている。先ほど多様性という言葉が出たが、思うに、超一流とは唯一無二である。一流は技を極めてはいるが、必ずしも唯一無二ではない。つまり、一流のうちはまだ「どちらが better か」を比べられる世界にいる。しかし、超一流は better とか best とかいう甘ったるい尺度の問題ではない。超一流が立っているのは、different の世界なのである。

 

……まぁ、これだとちょっと抽象的すぎるので、もっと具体的にいうと、「この人はたぶん知識量が多いだけではなく、そもそもの世界の見え方が違っている」「どうすればこの域に達するのか、皆目見当もつかない」と感じる相手がいるということだ。

 

このことを理解するには、超一流を実際に目に焼き付けるしかない。そういう意味で、後輩たちには学会へ一度行くだけでなく、何度も足を運び、学ぶチャンスを増やしてほしい。そんなふうに欲張りに思うことはある。

 

記憶に残る至高のフライドポテト@ふく井ホテル(会食会場)

 

これまで半年ほど寄席に通ってきて、我輩が超一流だと直感した噺家は、柳家花緑、柳家さん喬、柳家喬太郎、五街道雲助である。ほかにも、うまいと感じる噺家は何人か思い浮かぶ。それでも、このあたりの大看板はやはり別格だ。彼らの場合、正直、演目が何になるかはどうでもよい。「この噺家の話芸に酔いに行きたい」と思わせてくれるほどのレベルなのである。落語は噺の筋を追うためにある程度の集中力を必要とする。ところが、彼らの場合、集中しようなどと思う間もなく、気がつけばその世界へと誘われてしまっている。

 

もっとも、こうした大看板の落語を生で聴く機会は、そう多くない。最近になって、半年ぶりに花緑師匠の落語を聴くことができた(なお、人生初の寄席で聴いた花緑師匠の「寿限無」も印象に残っている)。今回の演目は「頭山」という、ちょっと摩訶不思議な噺。ケチな男が、落ちているサクランボを大量に食べたところ、頭から桜の木が生えてきて満開になってしまう。そこへ人々が集まって花見を始め、さらにはさまざまなレクリエーションまで催されてしまうという、なんともシュールな内容である。しかし、現実にはあり得ない光景を観客の頭の中にありありと浮かび上がらせ、しかも自然と笑わせてしまう花緑師匠の話芸には、ただただ驚かされた。久しぶりに「そうだ! 超一流って、こんな感じだったよな!」と思い出させていただいたのである。

 

まぁ別に、超一流を直に知らなくたって生活にまったく不自由はしないだろう。実際、そういう人間の方が圧倒的に多いのだ。ただ、感動のない日常はマンネリ化する。瑞々しい感性が失われ、少しずつ日々が渇いていく。

 

時が経てば、人間は老いていく。しかし、我輩は枯れたいとは思わない。むしろ、時間とともに円熟し、しなやかになっていく。そんな歳の取り方をしたいと思っている。そう考えると、やはり定期的に超一流に触れる機会を持っておこう——あらためて、そう強く思うのであった。

十勝帯広での講演会

講演会で出張する機会が増えてきた。頻度としては1〜2か月に1回ほど。勤務先の出張休暇の制約もあるので、基本的には1泊2日である。「出張と称して観光しているのでは?」という声に対しては、「できる範囲では満喫しているけれど、実際にはそこまで時間的な余裕はない」と答えることにしている。観光地まで足を延ばす時間がないぶん、なるべく宿泊先のホテル環境を充実させるようにしている。街を歩くにしても、コンビニやスーパーマーケットに立ち寄り、品揃えがつくばとは違う様子を楽しむといった具合だ。温泉付きのホテルに泊まり、風呂上がりに地元のスーパーで買ったご当地コーヒー牛乳を飲み比べる。それが、だんだん自分なりの型になりつつある。こんなことをしているうちに、観光に観光名所は必須ではないという認識に達するのである。

 

2026年6月は膳所から琵琶湖を眺め、京都大学にいる友人を訪ねた。足を運んだいわゆる観光名所は、友人イチ押しの南禅寺とインクラインだけだった。それでもこれはこれで十分に充実した1泊2日であった。そして7月は北海道の十勝・帯広に来ている。実は北海道を訪れるのは初めてで、距離感も時間感覚もいまひとつ掴めていなかった。そのため今回は2泊3日と少し余裕をもたせたのだが、おかげで街並みを楽しむだけの気持ちの余裕も生まれた。セイコーマートのホットシェフでポテトを買ったり、真鍋庭園で植物を眺めながらアイスクリームを頬張ったりした。いかにも「北海道観光」という華々しさはないけれど、これはこれで実に楽しい。

 

十勝・帯広については、普段の生活のなかで「十勝」の名を冠する食料品をよく見かけるという程度のイメージしか持っていなかった。ところが、実際に現地で食べてみると、食べ物に関しては突出してレベルが高いように感じた。もちろん、洗練された味付けという点では東京の名店に分があるのかもしれない。しかし、十勝・帯広は素材がよい。そして、豚丼を極めている。「豚丼など、所詮は豚丼ではないか」などと侮ってはいけない。豚丼を極めると、簡単には再現しがたい味わいに到達するのだということを思い知った。

 

炭火焼きの旨味、ぱんちょう。帯広の豚丼はバリエーション豊富らしい

 

そういうわけで、我輩の出張の楽しみ方は、かくのごときものである。遠くの観光名所を目指さずとも、身近なところに面白さを見いだすのは悪くない。もしかすると、20代の自分には絶対にできなかった楽しみ方なのかもしれない。

 

だんだんと出張講演が増えてくると、考えることがある。いろいろな土地で講演するべきなのか。それとも、講演する場所をある程度しぼるべきなのか。自分の性格に合っているのは、おそらく後者である。「友達は少なく、深く」という人間なので、なるべく場所を固定し、そこでの付き合いを少しずつ深めていくほうが性に合っている。もちろん、さまざまな場所からオファーをいただき、全国を飛び回るというのも華々しくて魅力的である。ただ、あまりに数が増えると、一回一回の仕事が雑になりやしないかという警戒心もある。なお、日本全国を飛び回っている講演の名手もいるが、彼らは何度講演しても雑にならず、一定以上のクオリティを保っているからすごい。我輩にはちょっと真似できそうにない。

 

落語家にはそれぞれのテリトリーともいうべき場所がある。たとえば緑也さんであれば、流山。場所を決め、そこで定期的に落語を演っている。緑也さんだけでなく、㐂三郎さんや緑助さんにも、それぞれ大切にしている土地がある。そこで繰り返し落語を演じ、土地の人たちとの関係を育てている。翻って医師の講演会では、どうしても「どれだけビッグネームを呼べるか」という考え方に陥りがちである。そこには当然ギャラの問題も発生する。しかし、もう少し「ご縁」のようなものを軸にして講演会がつくられてもよいのではないかと我輩は思う。講演会は知識を伝達する場である。それは間違いない。しかし同時に、知識以上のものが伝わりうる場でもある。知識以上のものが伝わるためには、コンテクストが大切である。同じ言葉であっても、誰が、誰に対して、どのような関係性のなかで語るかによって、その意味は変わってくる。そう考えると、土地や人との信頼関係を少しずつ構築していかなければ、本当に伝えたいものまでは届かないのではないかとも感じるのである。

 

今回訪れた帯広厚生病院は、十勝医療圏を支える三次救急病院である。北海道の教育病院といえば、我輩のなかでは手稲渓仁会病院という認識だった。しかし今回の講演を通じて、帯広厚生病院もかなり教育に力を入れていることがよく分かった。どこまで正確な理解なのかはもう少し吟味する必要があるけれど、手稲渓仁会病院は全国的なブランド力があり、道外出身者が多いのだという。一方、帯広厚生病院は地域医療の最後の砦として、道内出身者からの人気が高いと聞いた——なるほど。茨城県でいうところの、水戸協同病院と茨城県立中央病院との関係に少し近いのかもしれない。茨城県立中央病院のOBである我輩が、帯広厚生病院の雰囲気に魅力を感じたのも、偶然ではあるまい。研修医の先生方を見ていると、どこか自分たちの研修医時代と重なるところがあったのである。

 

もしご縁があるのなら、それを少しずつ耕していきたいと思った。食事もおいしいし、モール温泉も気に入った。それに、いろいろあってまだ名物のインデアンカレーに行けていない。帯広を再訪すべき理由は十分にある。こうして土地とのご縁を意識し始めると、講演も生半可な出来では決して許されないなあと、あらためて気持ちが引き締まる。それぞれの地域に、自分自身を育ててもらっているような感覚にもなってくる。我輩はまだ医師10年目である。広い意味ではまだまだ駆け出しといってよい。そんな段階で評価していただき、講演に呼んでいただけるのだとすれば、それは一種の「青田買い」ともいえるだろう。青田買いには、当然ながらリスクがある。そのリスクを冒して我輩を呼んでいただいた以上、期待された水準をただ満たすだけではいけない。少しでも期待を上回り、呼んでよかったと思っていただける仕事をしたい。それぞれの土地とのご縁を大切にしながら、少しずつアウトパフォームしていきたいと思っているのである。