つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

デカドロン・サイコシス

偶然にも職場で年末年始の日当直当番に当たらなかったものだから、年末は人生初の透析バイトに手を出しつつも、穏やかな年明けを期待していた。結果としては、まったく穏やかでない形で2024年がはじまってしまった。というのも、1月6日~8日の連休あたりから風邪をひいてしまい、声がほとんど出なくなってしまう災難に見舞われた。

 

ただの風邪なので、実際のところは災難というほどのものでもないのだけれど、普段からスケジュールを過密にしていてまったく休めない仕事の仕方をしていたわけで、その間も内科外来やら救急外来やらの業務を継続せざるをえなかったわけだ。やがては副鼻腔炎を起こし、黒い鼻血が止まらなくなり、後鼻漏で喉の痛みが続き、さすがに参ってしまった。声もかすれてしまった。基本的に風邪程度であれば、薬のお世話にならない我輩も、今回ばかりは薬に頼らざるをえなかったわけだ。

 

いつもは患者さんに処方しているカルボシステインや半夏厚朴湯、自分で飲んでみると結構効いた気がする。嗄声に対しては、上司の勧めがあってデカドロン🄬。人生初ステロイドにして、人生初の免疫抑制剤。副腎不全が怖くてしょうがなかったので、数日でやめておいた。そんな感じで風邪と戦うこと2週間、ようやく9割くらいまで回復してきた気がする。

 

日本外史』はなぜか上巻だけ入手できていないが、中・下巻は読了

 

さて、今年は何を目標にしようか。ボトムラインとしては、心身の健康だ。医者は毎日がサバイバルであり、一日として同じような日はない。毎日が例外であり、個別対応であり、リスキーである。そんな状況なので、何はともあれ、生き残ることを第一の目標にするのは今まで通りだ。その上で、前に進むためにどうするかを考えていかないといけない。

 

そして、現状認識。数年内に確実に起こるであろうイベントから逆算する必要がある。我輩の場合は、1年後に博士号を取得して筑波大学附属病院の病院総合内科を再興するという予定があるから、それまでの間にできる限りの準備を外からでも行っておく必要があると思っている。要するに、2024年は飛躍に向けての準備期間の最終年と認識している。この期間で我輩がどれほどレベルアップできるかが、病院総合内科の将来のパフォーマンスに直結するものと考えている。

 

いまの職場で、更地から診療科が立ち上がって新規勧誘に成功するまでのプロセスをこの目に焼き付けてきたのだが、どんなに有能なリーダーがひとりいても、診療科を創業するのは相当に難しいことがよく分かった。我輩のように能力的に劣る人間であれば、なおさらであろう。すると、やはり右腕になる後輩をちゃんと育てて、自分自身の手元に置いておく必要がある。我輩には優秀な後輩が多いが、皆が極端に優秀で、それぞれの世界へと飛び出して活躍してしまっている。喜ばしいことではある……ただ、そういう人物ほど自分のところには残ってくれないものだ。もちろん、彼らを拘束してはならないこと、百も承知である。だから、2024年は自分のところに残って右腕候補となる後輩をちゃんと育てることに決めた。離れていても遠隔的に稽古をつけることはできる。あわよくば、後輩に実績を積んでもらって、いつでもポストに就いてもらえる状態にしておくつもりだ。

 

病院総合内科の方向性も考え始めなければならない。理念は「医師も患者もコメディカル三方よし」で変わりない。ただ、病院総合内科はまだ「何をするか」を確立できていない。病院総合内科が病院の「雑用係」のようになっている現状をどうにか変えなければ、外から見て魅力的な職場を築き上げることもできないだろう。もちろん、病院総合内科には社会調整などある種の専門性が存在するのであるが、これは周りからはなかなか見えてこない機能だ。既存の「いろいろな背景の患者さんの診療に携わる」という内容を越えた付加価値をいかにして病院総合内科に与えるか。いくつか案を作って病院総合内科の後輩と意見を交換し続けているが、それをこの1年で実現可能な形に落とし込む必要がある。あとは、我輩がいなくなった後に失われた病院総合内科の統率を取り戻すのも大きな課題だと認識している。外交的に複雑な立ち位置の診療科であり、何に対してYesと言い、何に対してNoと言うか、大学病院の全体最適とスタッフの意見を擦り合わせながら意思決定していく必要があると思う。

 

病院総合内科のブランディングもはじめたい。存在を認知してもらえなければ、存在していないのと同じだ。診療科のHPを作るのはボトムラインで、その方法を学ぶ必要がある――これについては、なにも我輩が病院総合内科に戻る時を待つ必要はないだろう。幸いにして、様々なステークホルダーの皆さんのお陰もあって、我輩個人についてはブランディングがある程度できつつあるように思う。執筆業に講演会と、仕事の依頼が飛躍的に増えている。こうしてブランドイメージを得られた暁には、それを病院総合内科に纏わせられればいいなと思っている。

 

最後に考えておきたいのは病院総合内科の運営資金。いまの職場でも診療科の運営資金の調達に躍起になって苦労しているところだが、これは病院総合内科に戻った後も問題になる。どう診療科をデザインすれば財団にとって資金を助成するに魅力的な場所にすることができるのか。科研費や財団からの助成以外の資金調達の方法が可能なのか。金脈というと聞こえは悪いが、その確立も決して避けることのできない課題なのだ。

 

こうしてみると、問題が山積みだが、なんだかワクワクする。もちろん、これはデカドロン🄬の副作用ではないぞ。