つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

澤口書店

茨城県に長く留まっていると、時々東京に遊びに行きたくなる。東京に観光スポットなんてあるかと言われそうではあるが、茨城県からしてみれば東京は結構楽しめる。では、東京のどこで楽しむか。埼玉県民なら距離の近い池袋が妥当なところで、我輩も大学生時代に和光で寮暮らしをしていた頃は池袋のタカセ洋菓子の喫茶室に入り浸っていたものだが、茨城に住んでいると池袋はあまりに遠くて、どうしてもハードルが高い。長らく池袋に行っていないものだから、最近の池袋駅周辺の発展などもアド街ック天国を見る他に知るすべなどない有様だ。

 

茨城県民にとって、比較的アクセスのよい場所としては、まず上野と浅草であろう。JR常磐線つくばエクスプレス線が通っている。次点として秋葉原。あとは東京 & 有楽町と本郷 & 御茶ノ水といった具合だろうか。新宿や渋谷、六本木などに行くことはまずあり得ない。行くだけで昼になってしまうし、そこから少し物見遊山して夕方になってしまうと、その後の帰路の長さを思っても辟易としてしまう。連休に都営地下鉄のフリーチケットを買って、妻と一緒に2日かけて都営大江戸線を一周回って遊んだことがあったが、それくらい大がかりにやらないと山手線の西半分に足を運ぶのが億劫なのだ。なお、茨城県民にとってアクセスのよい場所としては、他に北千住もあるにはあるのだが、喫茶シャンティに立ち寄る場合を除けば、我輩は基本的には行かない。

 

我輩と妻の聖地はどこになるだろう。外せないのは、堅牢な感じのする歴史と伝統。この時点で秋葉原は脱落する(ただし、オタク文化は割と好きである)。上野は博物館や美術館が魅力だが、少し離れると治安が悪い。浅草は人が多すぎて気疲れする。東京や有楽町は物価が高いのと土地勘がない。土地勘がないとハイセンスな料理屋を見つけるに難渋してしまって、決まってハラペコ妻の恨みを買ってしまうのだ。そういうわけで、我輩と妻の聖地は本郷 & 御茶ノ水に落ち着く。本郷はいうまでもなく東大の所在地なので土地勘があるし、煉瓦造りの壁沿いに散策するだけでも伝統の匂いを感じられてよい。御茶ノ水は12歳の頃から通っていた塾の所在地だから、やはり土地勘がある。世界最大の古書店街として神保町を擁しており、古書の少し埃被った匂いが素敵な場所だ。本郷と御茶ノ水のどちらに行っても、妻を満足させる料理屋や喫茶店を選ぶ自信があるから、タイムスケジュールも安定しやすい。

 

こういった事情で、東京に出る時はほとんどの場合、一瞬は本郷か御茶ノ水に立ち寄っている。どちらかというと、古書店街のある御茶ノ水の方が頻度としては多い。これまでは、すずらん通りを漫然と歩いて古書店街の雰囲気を味わい、旧・三省堂書店文房堂にお邪魔して目を楽しませた後、ミロンガ・ヌオーバかラドリオのどちらかでお茶してから帰っていた。ところが、最近になって「これでは神保町の魅力をちゃんと満喫できていないのでは」と思うようになり、すずらん通りや周辺の古書店の一軒一軒に入店して、古書を手に取って眺めるようになった。なぜこれまでそうしてこなかったかというと、古書店の店長から話しかけられるのが何となく怖かったからだ。しかし、実際には店長から話しかけられることはほとんどなく、ゆったりと過ごすことができる。

 

古書店めぐりを何度かやっていると、古書店ごとの特徴もだんだんとつかめてくる。売っている古書のジャンル別に分かれているといえば確かにそうなのだが、むしろ古書店ごとにセンスが異なっているというのが表現としては妥当なのかもしれない。我輩と妻は古書店の好みが一致していると見えて、澤口書店がお気に入りである。澤口書店は歴史や哲学の書籍に強いのだが、専門書というよりは一般向けの教養書を多く扱っている。門外漢の人間にとってはハードルが低い。明治時代から昭和時代までのベストセラーで、今は絶版になってしまっているような書籍も探してみるとちらほら見つかるのが素晴らしい。小泉信三森有正の本が集まっていそうなイメージである。

 

2023年12月の古書店街散策では、中村正直の『西国立志編』を見つけたので購入した。明治時代のベストセラーは、いまは「超訳」で出版されていることが多いのだが、我輩から言わせてもらえば「超訳」など無用の長物である。「超訳」ではもとの出版物の息遣いを感じることができないし、言葉の選び方に品がない。だから、可能な限りもとの文章で読むようにしているのだ。『西国立志編』も、「超訳」であれば容易に手に入るが、残念ながら元の文章を読む機会がなかなか得られない。そういうわけで、購入した次第である。千円もしなかったが、保存状態は極めて良かった。他には、ハマトンの『知的生活』も見つけたので購入したかったが、一度に買いすぎると積読になってしまうので控えた。

 

学問のすすめ』と並ぶ明治時代のベストセラーだが、内容はストイック

 

澤口書店では、500円以上購入すると飲み物を1杯サービスしてもらえるらしい。我輩は『西国立志編』で1杯、妻もキリスト教関係の建築物の書籍を購入して1杯。書店の2階で「007」の古いポスターと神保町の街並みを眺めながら温かいカフェオレをいただいた。思うに、古書はよいものだ。最近は読者の質が下がったと見えて、先の「超訳」とか刹那的な娯楽としての書籍ばかりが出版される。出版社も経営が苦しいだろうから、そこは致し方ない。しかし、かような書籍が読者の心を奮い立たせることはないのだ。その点、昔の学者の執筆した書籍は傑出している。講談社現代新書の最初期の出版物を見よ。とにかく日本語が美しい。知識の披露に留まらず、魂が込められている。一冊読むと、知識だけでなく洞察まで得られるような傑作が多い。翻って、いまの新書本は、一冊に詰め込まれた知識量こそ多いものの、知的な雰囲気を感じにくくなっているのが残念である。知識を並べれば知恵に昇華するというわけでもないのだ。

 

我輩が想像していた以上に、アカデミズムにおける古書店街の果たす役割は大きそうだ。知識人層の心を満足させされる書籍は、通常の書店よりも古書店にこそ眠っているものなのかもしれない。古書店街があと何十年存続するかが日本の知識人層を測るバロメーターになるといったら、さすがに言い過ぎであろうか。