つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

心の奥底に一杯の茶

「怠慢」といえば、自分ほどこの言葉が相応しい人間は他にいないだろうと常々思う。生まれてからずっと怠慢な生き方を続けてきていただけに、このことには自覚的であり、新しい職場に赴任する際には「自分は怠慢である」と繰り返しアピールすることを忘れないようにしている(自分の極度の怠慢を受け入れる度量のない職場には絶対に就職しないと決めている)。実際、ともに働いたことのある同僚から「この男は怠慢である」と言われることも珍しくはない。もちろん、自分が他の人間に対して怠慢だと感じることもなくはないのだけれど、そんな相手に対しては心の中で怠慢勝負を仕掛けてみて、毎回空想上の勝利を収めてしまっているひどい有様だ。

 

なぜ自分が怠慢なのかの理由もある程度はハッキリとしている。生まれも育ちも、サラリーマン的な勤勉と完全に無縁だったからだ。もっと言ってしまえば、芸術家的な価値観の中に生まれ、芸術作品に囲まれながら育ったということが少なからず影響しているのだと思う。なにせ片方の実家は美術館だ。「創る」というキーワードはあっても、「働く」というキーワードが完全に欠落してしまっている。従って、自分の根本的なところには「勤勉」という価値観があまりないのかもしれない。斎藤兆史『努力論』(中公文庫)に書かれている逸話はとても好きなのだが、この感情も自分が本質的なところで持ち合わせていない要素への憧れから来ているような気がしている。

 

こんな価値観のせいで、自分はどうしても「働く」ということに慎重になってしまいがちだ。「働く」のはとりあえず良いにしても、この行為が10年後、20年後、いや、50年後にはどう結実するものなのか —— たった一歩を踏み出すだけでも、そんなことを考えてしまう性質だ。まことに困った性分で、毎日をニヒリズムを羽織るように生きている。おまけに、この黒ずんだ白衣はなかなか重たいもので、油断すると簡単に鬱に押し潰されてしまう。下手をすると、総合診療科の医局で潰れたまま朝のカンファレンスに出席できなくなる危険性すらある。そう、自分にとって医者であることは、常に鬱との戦いなのだ。

 

かようなメンタリティの人間が、喧騒と焦燥の医療現場で働き続けるにはどのような心持ちで過ごすべきなのだろうか。例えば、この少子高齢化社会においては医師求人も多いわけで、アルバイトの機会には非常に恵まれている。お金を稼ごうと思えば、体力の許す限りはいくらでも稼ぐことができてしまう。そういうわけで、ゾンビのように荒稼ぎする医者も決して少なくはないのだけれど、自分だったらそこで敢えてお金を稼ぎにいくという選択肢を外してしまう。つまり、休日を余暇として扱う。そうするだけで、喧騒と焦燥から少しだけ距離を置くことができる。これによって、心の奥に沈着を蓄えるわけだ。もちろん、外界に臨機応変することは大切なのだが、内面を外界に振り回されるようなことがあってはならない。

 

この1週間は重量のある読書ができて心を満たすことができた

 

それに関連してか、最近 岡倉天心の『茶の本/日本の目覚め/東洋の理想』(ちくま学芸文庫)を読んだのだが、これがなかなか素晴らしい本だった。昔の本ということでハードルは高かったのだが、思ったほどには難解でなく、現代に至るまで読み続けられているだけのことはある。岡倉天心の生きた近代は、日清戦争前後の歴史から分かる通り、東洋が西洋から軽蔑を受けていた時代である。岡倉天心の一連の著作は学術的な要素を多分に含みながらも(注釈)、そういった価値観に対して痛烈な批判を行っているところに胸を打たれるところがあった。東洋発祥の茶の文化を、西洋は模倣したではないか —— 「東洋の人間は、西洋の猿真似ばかりをして、東洋を忘れることなかれ」という当時の岡倉天心のメッセージが心に響いてくるようだ。この力強い言葉は、令和の世でも決して色褪せることはないだろう。

(注釈)日本文化のあらゆる要素に東洋全体の要素が組み込まれているとのことで、「東洋はひとつ」というキーフレーズが導かれている。ただ、戦時中はこれが曲解されてしまい、「八紘一宇」のプロパガンダとして利用されてしまった。

 

どんなに忙しくても、心の奥底に一杯の茶を湛えるようにしたい。なぜ自分が働くのかといえば、自己実現のためであり、自分と世界の幸せのためであることを忘れないようにしたい。働くことを自己目的化しないよう細心の注意を払うようにしたい。自宅で執筆活動をするときも、夜の虫の声を愛でるくらいの心の余裕を持ち合わせるようにしたい。かくして、「怠慢」な自分もはじめて「働く」スタートラインに立てるのである。

 

執筆中に気がつけば、我が家に迷ったクツワムシ(こう見えて意外とよく飛ぶ)

なぜ後進との学会準備が捗らないのか

医者の三大業務といえば、臨床・研究・教育である。このうち、自身の適性を教育 ≥ 研究 > 臨床と認識しているわけだが、比較的得意な教育においても悩みを抱えることがある。教育のどこが難しいかというと、もともとの士気が高い後進を育てて世界へと飛躍させるのは容易いことなのだが、士気の低い後進をどう育てれば良いかという点である。というか、この問題は教育者であれば誰しもが直面しているのではないかと思う。

なお、森有礼の生み出したこの「教育」という術語が本当は好きじゃないのだが、その話を始めるとキリがなくなるので、いったん脇に置いておこう。

 

土浦駅の油武で油そばを食べたが、清潔感のある店内だった

 

個人的な見解をいえば、自分自身の体力や時間にも限りがあるわけだから、士気が高い後進を優先的に育て上げて、それ以外は切り捨てもやむなしというスタンスである。……が、それでも士気の低い後進たちをどうにかできないものかと昼夜悩んでしまうことがある。なんというか、諦めたくないという気持ちが心の片隅にはあるのだ。

 

最近、自分の職場である東京医科大学茨城医療センターの総合診療科では、ローテートした研修医の先生たち全員に学会発表をしてもらうか、論文を書いてもらうか、最低でもどちらかは体験してもらうという方針を採っている。しかし、学会発表にしても論文書きにしても、なかなか研修医の先生たちの腰が上がらないところが歯痒い。臨床業務においては非常に頼もしい後進たちだが、その能力を少しでもアカデミズムに向けられれば巨大な化学反応を起こすことができるのに勿体ない!と感じるのである。

 

それはそうと、自分なりに学会発表や論文書きが進まない理由を考えてみるわけである。例えば、「はじめてやることは、どんなに簡単なことでもハードルが高い」というのはどうだろう。このことへの対策としては、診療科全体でバックアップすることを繰り返し明言しているのだが、どうも効果が薄いように感じている。うちの総合診療科には、茨城県最高クラスの教授がいて、おまけに茨城県最高クラスの兄貴分たちもいる。だから、新しいことにチャレンジするにこれ以上失敗確率の低い状況もないとは思うのだが、この状況でチャレンジしないというのはちょっと理解に苦しむ。ここまであからさまなボーナスステージなんて、今後一生訪れないと思うぞ。

 

他の理由としては、「学会発表や論文書きは偉い人が荘厳な雰囲気でやるものという誤解があるのでは」と感じることがある。いやいや、絶対にありえない。学会発表なんて気軽にホイホイやるもので、自分が初期研修医の時なんかは2年間で20回くらいやった記憶がある(20回やったら飽きて、以降はあんまり国内で学会発表しなくなったけど)。論文書きは、学会発表よりかはハードルが上がるけれど、それでも上級医が勝てると判断している時ってちゃんと勝てるものなのよ。学会発表にしても、論文書きにしても、やってみると案外拍子抜けすると思うんだけどな。

 

「上級医の時間をとるのが恐縮である」—— いやいや、全然そんなことない。むしろ、無反応なまま時間だけが経つ状況の方が先輩としてはしんどい。こちらのことはお構いなく、遠慮なくかかってきてほしいな。少なくとも教授と自分に対しては遠慮しないでほしい!

 

「わざわざ学会発表や論文を書くメリットがない」—— 残念ながらメリットは少なからずあるんだよな。まず観察眼や調査スキルが身につくというメリットがあるし、歴史に名前を刻めるというメリットもあるし、地味ながら昇進にも響くので収入にも関係する。デメリットは、数時間だけ人生を消耗すること。まぁ、たったそれだけなんだけどね。

 

……そんな感じで、研修医の先生方が学会発表や論文書きを敬遠する理由を考えるだけ考えてみたのだが、それでも後進とは世代が異なっていることもあって、理解の及んでいないところもあるとは思うんだ。自分だってそろそろ30歳になるわけだし、24歳の後進と価値観が大きく違っていたって全く不思議じゃないのよ。そういうわけで研修医諸君、どんなにしょうもない理由でもいいから本当のところを教えてくれーぃ! 対策くらい真面目に考えるからさ。

新鮮なる古習慣

東京医科大学茨城医療センターに赴任してからの大きな変化をひとつ挙げるとしたら、1週間が異様に短く感じられるようになったことだろうか。どうしても創業期の診療科だから、マンパワー不足による予測不可能な事態も度々生じるわけで、日々ピンチに直面しては踏ん張りでそれを乗り切るような、そんな生活をしている。赴任最初の2週間はこの状態が本当にキツかったのだけれど、最近はピンチこそ平常運転ということで少し慣れてきた。どうすれば目の前の問題を、手間をかけることなく解消できるか? そんなことを考える日々がライフハックの連続だ。

 

仕事が忙しくなると同時に、不思議と読書習慣もエスカレートした気がする

 

1週間が短くなった他の要因としては、「新しいこと」を新天地で続々とはじめていることも影響している気がする。「新しいこと」の中にはYouTuberのように完全にゼロから始めたような事柄も含まれているのだけれど、それ以上に、いままで自分がやってきた事柄に新風を吹き込もうと集合知を重視するようになったというのもある。

 

例えば、「抗菌薬物語」と称される一連のレクチャー。その原型は自分が大学5年生の時に既に出来上がっていたわけで、それを学生さんや研修医の先生方を相手にしながら、8年間ずっと改善し続けた結果、いまの「抗菌薬物語」が成立しているわけだ。しかし、Dr.'s Prime Academiaで開業医の先生方を相手にすることで、「抗菌薬物語」の限界に気づくことができた。この気づきをもとに、「逆・抗菌薬物語」を構想し始めていて、そのプロトタイプを各市町村の医師会主催の講演会で試しているところである。対面式のライブを何回か試したのだが、今のところは好評で講演後の質疑応答が大変なことになっているくらいなので、恐らく方向性は間違っていないだろうと確信を強めている。先日なんて、県南の某地区で40分レクチャーしたら、質疑応答コーナーが20問くらいあって、+ 40分もの白熱タイムと化していたし……(汗)。

 

他には、Letter to the Editorの執筆。出版された論文に対して批評を書いて出版社に送るのだが、これは自分が医師4年目の時にひとりで始めたものだ。100%独学なので、誰からも教わらずに徒手空拳でやってきた。自分が筆頭著者のものだと累計で50本くらいはPubMedジャーナルに載せているはずで、Letter名人を自称しては学生さんたちにその方法論を教えているところなのだが、最近になって新しいやり方を取り入れるようになった。というのも、いまの自分の上司は茨城に並ぶ者のいない名将である(臨床・教育・研究の全てが超一流)。そのやり方を模倣しない手はないと思ったのだ。だから、最近自分がLetter to the Editorを執筆する時には必ず上司に見てもらって、その手法から自分にない技を学ぶように努めている —— この際、"5人目の師匠" ということで弟子入りしようかな。

 

要するに、レクチャーにしてもLetter to the Editorにしても、十八番・お家芸の類だからこそ、敢えて他の人(素人も含む)の意見を取り入れてみるというのを試しているわけだな。既にある程度はできる自信があるのだから、意見を聞かずに自己流で続けていても当面は問題はないのだろうけど、敢えてそこに揺さぶりをかけてみたいなぁと思っているのだ。

 

そんな感じで、筑波大学の時から自分の習慣はほとんど変わっていない。毎朝論文を読んだり書いたりしてから出勤するし、読書習慣も疎かにしていない。しかし、このルーチンひとつひとつに新しい何かを取り込むことで、日々を新鮮な気持ちで過ごすことができることを知った。そういう意味では、いったん筑波大学から出て環境を変えたことにも意味があったのではないかと感じられるのである。

久しぶりの対面LIVE!

バイキン屋さんは(バイキン屋さんを名乗るだいぶ以前から)オンラインでのレクチャーをたくさんしてきたのだが、やっぱり一番好きなのは対面式のレクチャーである。というのも、「抗菌薬物語」の原型だったレクチャーは(しつこいかもしれないけど)東大病院にクラークシップに来てくれている学生さんを相手にはじめたものだったのである。対面式こそ本領発揮の場、むしろオンラインだと威力が半減しているのではないかと思うこともザラなのだ。

 

農家の方からジャガイモをたくさんいただいた! 甘くてホクホクで美味かった!

 

Dr.'s Prime Academiaでたくさんレクチャーできたのは嬉しかった。同時に、見に来ていただいている皆さんの顔を直接見ることができず、その消化不良感が心残りだったようにも思う。自分のレクチャーでは多くの参加者の先生方からリアクション・マーク(拍手やハートなど)を飛ばしていただいていて、これがレクチャーする自分の心の拠り所だったところも少なからずあったのだが(このことには甚く感謝!)、逆にこのリアクション・マークがなかったら相当しんどかったのではないかとも思うのである。

 

それはそうと、対面で行うLIVEレクチャーに飢えていたバイキン屋さんに朗報が2報ばかり舞い込んできたのだった。Dr.'s Prime Academiaをご視聴いただいている茨城県の先生方から、医師会でのレクチャーをご依頼いただけたのである! しかも、なんと2エリアの医師会から独立にご依頼いただいていて、これは非常に光栄なことだと思う。こんな若造にチャンスを与えていただいた茨城県の先生方の顔に泥を塗らないためにも、いや、むしろ自分に声をかけていただいた先生方の誉れのためにも、しっかりと質の高いLIVEをやらないといけないなと気持ちを引き締めている。

 

さて、どんなレクチャーをやるか。当初は「抗菌薬物語」の内容をうまくサマライズしてやろうと考えていたのだが、少し立ち止まってみた。実は、Dr.'s Prime Academiaでレクチャーしている時に「『抗菌薬物語』は開業医にとっては難しい」という批判もあったのだ。確かに、「抗菌薬物語」は学生さんや初期研修医の先生方であれば持っているであろう微生物の知識をある程度は前提にしている。逆に開業医の先生方は、細菌検査室との接点がなかったり、グラム染色をする機会や余力がなかったりと、微生物ベースの解説だと難易度が高くなってしまう可能性があるとも思った。

 

医師会でのレクチャーは、開業医の先生方が参加者の多くを占める。ということは、「抗菌薬物語」をそのままやるのは回避した方が無難なのでは?と自分の中で疑問が湧いてきたのであった。開業医の先生方のハートに刺さるレクチャーというのは、一体何なのだろう? —— 臓器別感染症でざっくりと第一選択薬を紹介していくレクチャーとか? いや、それだと内容がスカスカで面白味に欠ける。「ガイドラインを読んでねー」で事実上は終わってしまうではないか! しかし、それ以外の方法が思い浮かばない。❶ 即効性が強くて、❷ 微生物の知識が不要で、だけど ❸ 知的好奇心を少しくすぐってくるようなレクチャー。さて、どうしたものか。

 

実は最近、マーケティングの勉強と称して、USJ再建で有名な森岡毅さんの本を図書館で片っ端から借りて読んでいるのだが、その中で「ジェットコースターを後ろ向きに走らせる」という話があった。財政難の中で、既にある設備を使って最高の成果を挙げるにどうしたら良いかという文脈でジェットコースターを後ろ向きに走らせる発想が生まれたようなのだが、その話を読んでから数日後にふと思ったことがあったのだ。「抗菌薬物語」を後ろ向きに走らせればよいのではないか??? —— 押してダメなら引いてみよ的な安直な発想ではあるが、「抗菌薬物語」を逆再生すれば開業医の先生方のハートに刺さるコンテンツを作れるのではないかとちょっと考えたわけである。

 

それで「逆・抗菌薬物語」を試作してみたら、これはこれでありだなと思える内容になった。微生物学の知識がなくても理解できるが、抗菌薬を一度も使ったことがないと全く理解できないであろうコンテンツが出来上がったわけだ。「逆・抗菌薬物語」は、恐らく学生さんには全く刺さらない。初期研修医1年目の先生方の心には刺さらないかもしれないが、2年目以降の先生方には多分通用するのではないかと予感している。

 

「逆・抗菌薬物語」の前身のつもりでショートレクチャーを構想

 

そういうわけで、近々開催予定の医師会の勉強会では、この「逆・抗菌薬物語」のプロトタイプを試してみようと思う。開業医の先生方のリアクションを直にみて、それで改善点を少しずつ探っていき、数か月かけて磨き上げていく。そして、その経験を生かす形でDr.'s Prime Academiaの新しいシリーズを作ってみたり、YouTubeコンテンツの形にしてみたり……。そんな感じで、自分のレクチャー能力ももう二段階くらいレベルアップできるような気がしてならない。

 

なんだか妄想しているうちに、久しぶりの対面LIVEが楽しみになってきた! 説明能力だけでなくて、パフォーマンスやアドリブ、あとは発声とか滑舌とか……そういったものの全てを試されるわけで、数年ぶりに良い汗のかけるレクチャーをやりたいものだ。これをきっかけに、地域の感染症屋さんとして認知してもらえたら嬉しいな。まだ30歳にもならない若造なので鼻につくところがあるのかもしれないけれど、それでも精一杯やらせていただこう。

くわがた

騒騒しい夏が終わった。それでも朝が忙しいのは秋も変わらずだ。普段通りに論文を読んで、遅刻ギリギリで玄関を蹴破るように家を出ると、目の前に虫が腹を見せてジタバタしている。ゴキブリか、それとも季節外れのカナブンか。なんとなくカナブンっぽいと思って、「やれやれ」と思いながらひっくり返すと、まさかのクワガタ。種類は分からないが、とりあえずメスだ。カナブンだったら、そのまま虚空に放り投げれば勝手に翼を広げてどっかに行ってくれそうだが、クワガタだとそうもいくまい。急な冷え込みゆえか、ちょっと弱っているような気もした。

 

なんのクワガタなんでしょう? 玄関先で

 

我が家では弱っている動物が玄関先にいる時は、手厚く保護するのがシキタリだ。カメを保護したこともあれば、カナヘビを保護したこともある。我が家に両生類や爬虫類がやってくると、1年後にどこかで大輪の花が咲くみたいなジンクスがあってだな。20年以上そうしてきたわけで、このクワガタを放置するという選択肢は最初からない。そんなわけで、クワガタが生きられる環境がどこか思いを巡らすのであるが、いかんせんつくば市の中心部だ。カブトムシやクワガタに相応しい雑木林など、あろうはずがない。そんなことを考えている間にも時計の針は回っている。仕事に行かねばならない。

 

家に戻ってクワガタを飼育容器に入れている時間もなかったものだから、致し方なくクワガタと一緒に出勤することにした。とりあえず自転車にまたがる。左手でクワガタを包み込んで、右手だけで自転車を漕ぐ。走り出しがしんどい中、ヨレヨレしながらも自転車を漕ぐ。左手を中途半端に浮かせた奇妙なフォームに道行くサラリーマンたちの視線が集まるが、そんなことなどどうでもよろしい。通勤路の途中でクヌギとか、コナラみたいな、いわゆる広葉樹林の定番の木が1本でも見つかれば、そこに放していけばいいじゃないか。そんな甘い見通しで出勤した。

 

しかしまぁ、困った、困った。クヌギもコナラも見つからない。家の近くの公園でクヌギっぽい木を1本だけ見つけられたのだが、スズメバチの巣が大量にあるようで、立ち入り禁止のゾーニングがされている。それでも「スズメバチが好きな樹液があるということは、クワガタにとっても福音ぞな」と思いながら、少しその木に近づいてみると、5匹くらいのスズメバチが怒り狂ったように飛んでいる。どうもつくば市が粘着トラップを木に仕掛けているようで、そこに捕まった大量のスズメバチを見て、捕まっていない取り巻きのスズメバチが激昂しているような、そんな状況だ。とてもじゃないが、そんな木には近寄れない。クワガタの救命で殉職するのはさすがに御免被りたい。そんなわけで「クヌギの疑い」の木に近づくのをとりあえずは諦めた。

 

つくば市の良いところは緑の多いところだ。気を落とすことなく探し続ければ、コナラくらいはあるだろう。少なくともコナラのドングリが落ちていたのには見覚えがあるぞ。割と楽観視してはいたのだが、同時に「このまま見つからない場合はクワガタと一緒に仲良く出勤して看護師さんに叱られるのかぁ」という危機感もあった。それでも探すこと10分、コナラという確信は持てなかったが、広葉樹林に生えていそうなそれっぽい木を見つけられたのでそこにクワガタを放すことにした。木の匂いが分かったのか、指にしがみついて大人しくしていたクワガタが一目散に木肌に抱き着いて、そのまま樹皮の裏へと隠れていったのにはホッとした。

 

その場で時計をみる。15分のタイムロス。あぁ、電車はもうないな。今日は遅刻しよう。そう割り切ると、悪いことをしているくせに顔から妙な自信のようなものが漲ってくるものだ。普段より遅れて出勤したら看護師さんに咎められたので、こう言ってやった。「救命していました!」—— 嘘は言っていないぞ。ほら、吾輩の顔をよくみてみろ。もっとよく見るんだ、凝視しろ。吾輩の顔は嘘をついていないぞ! —— 顔面でひたすら自己主張した結果、「こいつはダメだこりゃ」といわんばかりの看護師さんの諦め顔とともに、晴れて無罪放免となった。

The Lab:研究倫理講習会に見るリーダーの激務

自分は大学病院ばかりを梯子しているようなキャリアになっていて、意味の分からない経歴になってしまっているわけだが、こうやって色々な大学病院を転々とするのもなかなか面白いなと思い始めている。というのも、例えば研究倫理講習会ひとつをとっても、大学ごとに方式が異なっている。大抵の大学病院では独自の研究倫理講習会の教材を作成しているわけだが、東京医科大学の場合は国立研究開発法人科学技術振興機構JST)の開発した教材である "The Lab" という教材を用いている。なるほど、そういったアウトソーシングもありなんだな……と思いつつも、この教材を開いてみると、これがなかなかに上手く作られていてなかなか面白いのだ。

 

研究不正を題材にした選択肢・分岐付きドラマ

 

研究不正が起こったラボを題材として、時を遡ってハッピーエンドへと未来を変えていくような主旨なのだが、登場人物を4人の人物(研究室主宰者、ポスドク、大学院生、大学の研究公正責任者)のうちから選ぶことができる。それぞれの人物ごとにシナリオが用意されているのだが、途中で選択肢がいくつか用意されていて、どの選択肢を選ぶかによっても結末が分岐するという仕様だ。そういえば、『2030年』に「視聴者の表情などによってシナリオが変わる映画が実現していく」みたいな話が載っていて、ちょっとそれに近い感じかなぁとも思った。いずれにしても作り込みが細かくて、それなりに予算が投入されている印象だった。

 

自分は大学院生のシナリオで(途中でラボの同僚から村八分にされつつも)ハッピーエンドに達したわけだが、なかなか面白い教材だなぁと思ったので妻にもやってもらった。妻は研究室主宰者のシナリオをなぜか選んでいて、それでうまいことハッピーエンドに到達していたのだけれど、途中の選択肢がなかなかえぐかった。というのも、疲労困憊している時に「相談に来たポスドクの話を聞きに行く」とか、大事な手技をしている最中に「相談しに来た大学院生と面談する」とか、仮想の世界ならともかく、現実の世界だとそうはいかないよなぁと思う場面が多かったわけだ。リーダーの仕事って過酷だなぁ、と。そういえば、米国では日本と真逆で、立場が上がれば上がるほど忙しくなるものだと聞いたことがある。

 

リーダーといえば、いまの自分の直属の上司である教授も非常に多忙な御方だ。いまの自分には全く想像もつかないほど多くの仕事を(涼しい顔をしながら)されておられる。日中はお互いに忙しくてコミュニケーションをとる時間もあまりないのだが、帰りのバスは一緒になることが多いので、職場から土浦駅までの20~30分ばかりは普段の仕事で感じているあれやこれや(悩みとか、閃いたアイデアとか)を共有するようにしている。教授はいつも強気で完璧超人にしか見えない御方ではあるのだが、それでも多忙ゆえに実現できていない理想というものがたくさんあるわけで、そのあたりをオープンに打ち明けてもらえているのは有難いことだと思っている。

 

そんな中で、自分にできることは一体何だろうか。もちろん、臨床業務の分担も大切。だけど一番重要と思われるのは、お互いの得意領域で仕事をカバーし合うことだと思うのだ。例えば、自分の場合は教育と外交が最も得意で、その次に得意なのが臨床研究といったところだろうから、これらの領域では積極的に仕事を買って出るつもりである。まぁ、そう思えるくらいには今の職場に慣れてきたとも言えるわけで。己の持ち場で、己のベストを尽くさねばな……。

YouTuberとしての技量を上げねば!

「バイキン屋。」としてYouTuber活動をはじめて3週間。毎週土曜日 or 日曜日に「抗菌薬物語シリーズ」を投稿し、その合間に定期的に「質問箱」を投稿するようになったわけだが、段々とAviUtlでの動画編集作業にも慣れてきたし、少しずつ集めてきた効果音のストックも十分なレベルになってきた(他のYouTuberさんの動画でよく使われる効果音と相当ダブっているけれど)。YouTuber活動をはじめて何が厄介かって、思った以上にフィードバックがないこと。つまり、YouTube動画作成を自己流でやると失敗するものと相場が決まっている中で、自己流でやらざるを得なくなっていること。そうなってしまうと、なかなかYouTuber活動をどう続けていけば良いものか、悩んでしまうものだ。

 

それでも、何名かの方からはアドバイスをいただいていて、少ないながらもそういったアドバイスを活動に反映させていきたいと思っているわけだ。例えば、とある企業で動画編集に関わっていた方からは、「四の五の言わず、とにかく動画を投稿しなさい!」「ひとつのテーマで継続してYouTubeアルゴリズムに引っ掛けること!」とアドバイスをいただいた —— 視聴回数が伸びないなりにコンスタントに「質問箱」を投稿している最大の理由がこれである。何をすればいいか分からず悩んでいたが、分からないなりにやってみるしかないという勇気をいただいたわけだ。なお、この方からはアカウントのアイコンやヘッダーについても詳細なアドバイスをいただいていて、感謝感激であった(アドバイスを受け入れて改善したのは最近の話だけれど……)。

 

某企業の方からいただいた撮影時の模式図。これはさすがに感激!

 

ただ、動画をむやみやたらに投稿しまくっていたら良いわけでもないのではとも思い始めている。例えば、機材の問題。「バイキン屋。」のコンテンツを見に来る人の目的はあくまで情報であって、バイキン屋さんの顔を見ることではない。従って、高性能なカメラは優先順位が落ちる。しかし、音声に関しては割と死活問題で、ある先輩に飲みに連れて行ってもらった時に「あのねぇ……さすがにマイクくらいは買った方がいいよ!」と(ちょっと言いづらそうに)助言をいただいたわけだ。動画投稿初期はゲーミングマイクを使っていたが、どうもこれは最低限の情報伝達のためのもので、投稿動画作成には不向きらしい。そういうわけで自分は情報収集の上で、JBL Quantum Streamを使うことにしている。ただし、音量設定が上手くいかないことがあって、マイクのテストをせずに動画撮影していたことを割と反省している。これも改善の余地というやつだなぁ。

 

親しく優しく教えてくれるありがたい御仁が何人かいるとはいえ、YouTube動画改善に向けてのアドバイスとしては不足している面もあるように感じる。特に、YouTubeコンテンツを作成する技術面でのアドバイスが入りづらいのは結構痛い(図書館で借りた書籍にもあんまり詳しく書いてなかった……)。そんなわけで、著名なYouTuberの動画を見て少しずつでもいいから技を盗むのもこのところは意識的にやっている。「抗菌薬物語」のサムネイルに関しては特に反省していて、最近全てのサムネイルを差し替えた。「動画のサムネイルは、見た瞬間に何の動画か分かるものでないといけない!」って中田敦彦さんがYouTubeの中で仰っていて、それを見て「なるほど!」と思ったわけだ。「チャンネルの名前も一瞬で内容が分からないとダメ」とも言っていたから、チャンネル名も「バイキン屋。」から「バイキン屋。感染症診療チャンネル」に変えておいた(もっと良い名前がありそうだけど、今のところはこれで)。「マニアックなテーマは再生数が伸びない」というところは、まぁ、意識はするけど完全克服は困難かなぁと思っている。

 

そんなわけで、ナイスなYouTuberへの道は非常に遠そうだ。しかし、この道のりを楽しむためにも、単純作業として動画を投稿し続けるのではなくて、むしろ改善のプロセスを織り交ぜながら楽しむようにしていきたい。継続は力なり。塵も積もれば山となる。そんな感じでまずは1年間、精力的に取り組んでいこうかなー、と。

 

最初のサムネイル。いま見返すと文字は小さいし、ゴチャゴチャしているかも

改良後サムネイル。文字を大きくして、袋文字を改良するだけで見違えた!

バイキン屋。の中期計画