つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

買えない味と、買えない本

吾輩はケチである。肉を買うにもスーパーを何軒も梯子する。財布を開くのも苦痛な吾輩は、1円たりとも損したくない。だから、豚肉100 gあたりの値段に対してもかなりシビアなのである。自炊にかかるお金が200~300円くらいに落ち着くとガッツポーズして意気揚々と自宅に帰る。たらふく食べた後、外食だったら1,000円はかかるよなと回想しては満足感にしばし浸っている。そういうわけで、吾輩はすごくスーパーケチなのである。

 

だが、そんな吾輩にも欲はある。喫茶店の前を通ると美味しそうなラテの写真が飾られている。スーパーでカートを押しているとアイスクリームが視界に入る。駅前に行けば屋台の匂いに視線を持っていかれる。現代社会はあまりに誘惑が多すぎる。それでも吾輩は決して買わない。頭の中で味を想像し、幻想のラテやらアイスやらを食べるのである。味を完璧に想像できて、頭の中で食事を完了すると、欲望を断つことができる。刹那の満足に400円も払う気にはなれないと我に返るのである。かくして吾輩はいつも自身との戦いに勝ち続ける。しょうもないといえばしょうもないのだが、ケチ根性を極めることを心から楽しんでいるわけである。

 

外食することはある。ただ、外食するにはルールがある。なるべく頭の中で味を再現しきれない料理に限るというルールである(努力目標)。例えば、神田の「川中島」の雉焼重や神保町の「ミロンガ・ヌオーバ」のコーヒー。水道橋の「かつ吉」も良い。真に美味しいものは、味付けが単純でなく、その日の気分などによって微妙な変化をみせる。想像だけでは味を細部まで再現できず、足を運ぶたびに何度でも口を楽しませてくれる。こういった一筋縄ではいかない料理なら、多少お金を払ってでも食べる価値がある。自宅から近いところだと、つくば駅前の「樓外樓」のじゃがいもと牛肉の煮込みが気に入った。この老舗は日本人の味覚とズレており、味が強過ぎて辟易することも多いのだが、この味覚のズレがテコとなってか、稀に会心の一作を生み出す。ここのじゃがいもと牛肉の煮込みには何度食べても奇妙なバランスを感じており、「この店はカレーに挑戦した方が良いのでは?」と感じるのである。ちなみにつくば市のカレーであれば、吾輩は「ポステン」の欧風カレーに一票を入れたい。最近少し値上がりしたが、甘受する。

 

じゃがいもと牛肉の煮込みは、昼限定の隠しメニューにして「樓外樓」最高傑作

 

吾輩のケチ根性は食事に留まらない。読書が最大の趣味だが、その割に本すら滅多に買わないのである。なにしろ、本を1冊買うと1,000円くらいする。これは日給の10%くらいだ。「五公五民」の補正をかけると、場合によっては日給の20%くらいになってしまうかもしれない。だから、迂闊に本を買う気になれないのである。しかし、知識に飢える吾輩にとって、本は貪るように読みたいものである。そこで発想を転換する。吾輩の財布の中にある「五民」ではなく、国や自治体に捧げた「五公」の方ならいくらでもお金を払うことができるではないか。そこで図書館に行くという発想に至るのである。絶対に解約できないタイプのサブスクは使い倒すに限る。図書館に入り浸れば、2日に1冊、年に200冊くらい本を読んでも実質的に無料なのである。

 

吾輩が本を買うことはもちろんあるのだが、そこにもルールのようなものがある。それは、読んで理解しきれないけれども、読み続けることで何かを学べそうな本に限るというものである。すぐに思いつくのは、オルテガの『大衆の反逆』やイリッチの『脱学校の社会』。木田元の『反哲学入門』や長沼伸一郎の『現代経済学の直観的方法』も、頻繁に読み返すので手元に置いている。座右の書として講談社学術文庫版の『言志四録』。中野孝次のファンなので、『清貧の思想』、『自分らしく生きる』、『生き方の美学』。専門書だと、チャンドラ・セカールの『移植・免疫不全の感染症』や『傷寒論解説』、『金匱要略講話』。あとは『常用字解』や『三国志正史』、『中国名詩集』、『名将言行録』といった、執筆業に必要な資料をいくつか。こういった書籍は、一周読むだけでは理解が追いつかない。何度も繰り返し読み、そのたびに新しい発見があるのである。図書館で借りてそれで終わりとならないだけの魅力がある。逆に、書店の店頭に並んでいるようなキャッチーな新書は基本的に買わないようにしていて、図書館にリクエストして読むようにしている。そういった大衆的な本も読んだら読んだで面白い……が、大抵は一周読めば十分なのだ。買うには値しない。

 

本を読むために喫茶店に入る人もいるとは思うが、吾輩はよほど集中したい時以外は喫茶店には入らない(もし喫茶店に入ったら、仕事を終えるまで絶対に出ないと決めている)。その点、つくば市は非常に恵まれていて、静かな環境で読書したければ、自宅か図書館ですれば良いし、少しだけ騒がしいところで読書したければ、つくば駅前の広場ですれば良い。つくば市は頻繁にビアフェスを行っていて、駅前がいつも活気に満ち溢れているのだ。少し寂しい気持ちになったら、ほろ酔い気分の喧噪の中でベンチに座って読書するのも悪くないものである。そう考えると、わざわざ喫茶店に入ってお金を払うこともあるまいて。

 

結局、吾輩は消費と投資を厳密に区別しているということになるのかもしれない。その場限りのものにはお金を払えないが、長く楽しめる付き合いにはお金を払うことができる。消費したくなると心の中で我慢のカウンターが起こる。少しひもじい気持ちにもなるのだけれども、母親から散々聞かされた「武士は食わねど高楊枝」という言葉がひもじさを忽ち高揚に変えてしまうのである。この高揚に任せて想像力を発揮し、一気に心を満足させる。いやはや、我ながらとんでもないケチ根性に苦笑いするほかない。