つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

ひとくぎり

突然ですが、最近やって面白かった腸球菌の研究のお話をさせてください。腸球菌は、名前の通り人間の腸の中に生きている丸っこい細菌です。人間の腸の中にはほっそりとした大腸菌など他の細菌もたくさんいて、腸球菌は比較的マイナーな方の細菌ではあるのですが、例えば抗菌薬を使うなどしてお腹の中にいた他の細菌(競合者)が駆逐されてしまうと、その隙を見て腸の中で一気に繁殖する類の細菌でもあります。ちょっとしたたかな奴なんですね。

 

さて、この腸球菌。普通にしている分には割と穏やかな細菌ではあるのですが、時折、何かの拍子にお腹の中や腎臓・膀胱まわりで感染症を起こして人間に悪さをすることがあります。そんな時、人間としては対抗手段として腸球菌に効く抗菌薬を使わなければいけません。腸球菌にも色々な種類がいて、歯医者さんで出されるような抗菌薬でも割と簡単に駆除できてしまうフェカリス菌(E. faecalis)と、もっと高度で腎臓に負担のかかるような抗菌薬を使わないと駆除しきれないフェシウム菌(E. faecium)というのが有名です。

 

誤解を恐れずに簡略化すれば、「簡単に駆除できる "優しい" フェカリス菌、駆除が難しい "厄介な" フェシウム菌」というのがこれまでの常識だったわけです。ところが、面白いことに茨城県には「比較的簡単に駆除できる "優しい" フェシウム菌」というのが少なからずいることに前々から気がついていて、自分としては「なんで茨城県産のフェシウム菌はこんなにも "優しい" んだろう」と疑問に思っていました(都会産のフェシウム菌は全く "優しく" なかったです)。そこで、臨床研究の一環として、筑波大学で検出された "優しい" フェシウム菌と "厄介な" フェシウム菌の感染症症例を集めて、何が違うのかを比較してみたわけです。

 

そうすると、面白いことが分かりました。"優しい" フェシウム菌が検出された患者さんの多くが、抗菌薬を(直近半年で)使ったことのない患者さんでした。逆に、1回でも抗菌薬を使った患者さんでは "厄介な" フェシウム菌が検出されることが殆どでした。ここから言えそうなのは、「フェシウム菌は元から "厄介な" 細菌なのではなく、むしろ抗菌薬に曝される中で "優しかった" のが "厄介になった" のではないか」という仮説です。要は、フェシウム菌が "厄介" なのは、抗菌薬で半殺しにあってパワーアップしてしまったからなんじゃないかということです。この仮説をもう少し正確に検証する方法はあって、いま計画中なのですが、仕掛けが大がかりになりそうなので今後数年の課題になりそうです。

 

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茨城のインドカレーでは、守谷のアイキッチンが手頃で美味い

 

ここから少し話題が変わりますが、これまで臨床研究を自力でやってきて、「いまの自分にできる研究のレベルはこのくらい」というのが段々と分かってきました。具体的には、「論文を書けば採用されることもあるが、毎度確実に採用されるというレベルではない」「超一流誌に論文を載せるにはパワー不足」といったところでしょう。独力でのアウトプットを繰り返していると、残酷なまでに現実を突きつけられるものです。数多くの論文を書いてきたとはいえ、その背後にはその3~4倍もの没論文があります。そろそろアウトプットを一度収めて、また師弟関係のもとで新しい技術をインプットしはじめる潮時かなと感じていたわけです。

 

そのような状況下で耳に入ってきた情報が、お隣にある病院で改革の機運が高まっているというお話。同院は都内の某病院のスタッフを集めて総合診療科を新たに立ち上げようとしているらしいのですが、その中核のメンバーが疫学のエキスパートという話でした。彼らからのお誘いや東大感染症内科の仲介などもあり、来年度の半ばから移籍して疫学修行をはじめることにしました。もともとは筑波大学にもう1年間残って、病院総合内科の地固めをもう少ししていきたいと感じていたのですが、「チャンスの扉が開いている時間は短い!」という師匠からの叱咤もあり、予定を繰り上げさせていただいた次第です(突然のアナウンスになってしまい、病院総合内科スタッフの皆様にはご迷惑をお掛けいたしました)。

 

翻って、病院総合内科。筑波大学における自分の役割は、病院総合内科を「救急・集中治療科の支配下にある小集団」から「ひとつの独立した診療科」へと発展の礎を築くことだと認識していました。一部からは「反抗的」だの「独裁」だの言われていた気がしないでもないのですが、2年間の格闘を経てようやく筑波大学の中で「病院総合内科」という言葉が使われ認識されるようになったことを嬉しく感じています。論文を血反吐を吐きながら(だけど楽しみながら)せっせと書いていたのも、"Division of Hospital Medicine" という診療科名をどさくさ紛れに定めたのも、やたらstewardship事業にこだわっていたのも、病院総合内科が「ひとつの独立した診療科」に飛躍する道筋をつけておきたかったからです。ちょっと身勝手だったのは、素直に認めます(そうでもしないと診療科が潰れそうだったので……)。

 

最近携わった大きめの仕事は、病院総合内科と救急・集中治療科との距離の見直し・再確認でした。病院総合内科の母体は救急・集中治療科の一般病床チームなので、結構繊細な問題でもあります(例えるなら、日米関係の超ミニチュア版でしょうか)。具体的には、患者さんを2つの診療科の間でどうやり取りしていくかという話からはじまっているのですが、この仕事はかなり荒れましたし、バッシングもそれなりに受けました(初代科長の時代は、やっぱり守られていたんだなぁと痛感)。ただ、この仕事は立場上自分以外にやれる人間がいないという認識があったので、胃をキリキリさせながら強行しました。毎週会議を重ね、その後2か月かけてじっくりとコンセンサスを築き上げていき、ようやくプロトタイプともいえる仕組みが出来上がったところです。これを実行に移してみて、不都合があれば継続的に改善していけたらとも思っています。

 

ここまでやって、ようやく病院総合内科の基礎も固まったのではないかと感じています。病院総合内科における自分の役割も終わりつつある —— そんなふうに感じるわけです。ここから先は、優秀な後輩たちに世代交代して、病院総合内科をさらに盛り上げていってほしいなと願っています(ベンチャー診療科に既得権益者の存在は似合わないですから、古参は身を引いた方がいいんです)。自分は病院総合内科に「医者・患者・コメディカルの全員が幸せな医療現場」「正規ルートから外れた人間の救済の場」という願いを託していましたが、別にこの意志は引き継いでもらわなくても構わないと思っています。後輩たちには後輩たちなりの理想があると思いますし、それが社会の善になるのであれば、自信をもって突き進んでもらいたいというのが正直なところです。

 

もっとも、年度変わりに自分がフッと消えてしまうわけではないのでご安心ください(逆に「まだいるのかよ!」って感じですかね……?)。年度が変わってもしばらくは病院総合内科に残って、後輩たちが身一つで意思決定できるようサポートしていきたいと考えています。あんまりうるさいことは言わず、じっと後輩たちを見守っていようと思っています(禁忌など危ないと思った時、アドバイスを求められた時だけコメントするようにします)。また、病院総合内科が筑波大学の中で5年・10年と生き残り続けられるよう、自分にできる搦め手の役回りを引き続き担っていければとも考えております。病院総合内科の中で2年間好き勝手に暴れさせていただいたお礼をさせていただければ幸いです。

 

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話題作ということで読んだものの、脱成長と社会主義の違いは結局分からず……

 

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今週鑑賞したDVD、破天荒な白洲夫妻の人生はカッコよくて憧れます