つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

人生どう歩むべきか、少しばかり思案

割と最近ですが、知人の結婚式に参加しました。COVID-19流行下での結婚式。新郎新婦の新たな門出を心の底から祝いつつも、感染対策が上手くいきそうかを客観的に分析している自分に気づいては苦笑していました。テーブルどうしの距離は保たれているし、催し物もかなりシンプルになっていて、マスク着用は徹底されている。濃厚接触が生じうるのはブーケトスと会食くらいしか考えにくいな、なんて……野暮、、ですよね。

 

本当に野暮な人間で大変申し訳ありません (感染症屋さんなので仕方ないです)。ですが、結婚式がシンプルだったことで、色々と良かった部分もありました。周りの目を驚かして楽しませるような仕掛けがなくなった分、祝辞の言葉に温かい心がこもっているような気がしました。盛大なパフォーマンスがなくなった分、参加している人々の感動がとてもよく伝わってきました。形式的な挨拶が減った分、新郎新婦の立ち居振る舞いを思いをはせながら見守ることができました。むかしの結婚式はとてもシンプルで今とは比べ物にならないと、中高齢を迎える先達からはよく言われてきたものですが、今回の結婚式は「モノ中心」の結婚式ではなく「人間中心」の結婚式で、本質的な部分が大切にされていていいなと心を温かくした次第です。

 

新郎新婦の明るい未来を想像しながら、人生について少し考えていました。会食禁止の情勢の中で、せっかくテーブルを囲んで色々な人たちと話すことができるんだ。この機を逃さず信頼している人に聞いてみたわけです。「僕は今後どう生きるのがいいんだろう? 上を目指して駆けるのはいいとして、上って何のことなんだろう?」と。そうしたらシンプルに、「偉い人は2種類だよね。教授みたいな『偉い人』と、中村哲さんみたいな『偉い人』」と言われました。「世のため人のために大きく貢献していれば、仮に肩書きがなくても恥じることはないんじゃないかな」と言われたわけです。

 

専門医資格をとらないといけないのはポストのため。博士号などをとらないといけないのもポストのため。でもポストって何なんだろう。食いっぱぐれないためにポストに就くという話であれば、個人的にはあまりピンと来ないわけです。医師不足地域でアルバイトしていれば、食いつなげる程度のお金は稼げてしまうから。それに、いったんポストに就いてしまうとヒエラルキーの上を常に目指さないといけなくて、そうすると常にややこしい人間関係とかもこなさないといけないわけだから、少なくともItoのメンタル的には無理。体力的にも多分無理。ポストに就けば学会の座長とかはやらせてもらえるかもですが、そのことに果たして魅力があるかどうか…… (そして、その対価も法外に高いときた)。肩書きがなくてもPubMedに多く名前を刻むことくらい、容易いですし。Itoが内科専門医資格の取得になかなか腰を上げなかった理由が、これなのです。

 

かといって、中村哲さんのような「偉い人」……そっちを目指すのも難しい。筑波の医図書に『アフガニスタンの診療所から』が置いてあったので読んだこともありましたが、あの信念は到底常人に真似できるものではありません。けれども、肩書きよりも信念で生きている人はとても魅力的で、自分もそちら側の「偉い人」を目指したいと強く感じているわけです。そして、そんな「偉い人」の存在を認めている人が自分の身近な場所にいることは、Itoにとってとても幸せなことなのかもしれません。

 

体力的にもメンタル的にも劣る自分にできる世のため人のための道って何だろうと改めて考えるわけです。もちろん、もともとロールモデルとしてリスペクトする歴史人物はいました。幕末の長岡藩家老だった河井継之助 (詳しく知りたい方は司馬遼太郎の『峠』をどうぞ)。吉田茂の側近だった白洲次郎 (青柳恵介『風の男 白洲次郎』がおすすめ)。自分の手本としたい人物は何人か挙がるものの、現代というセッティングの中でどのように生きればよいのか上手く考えがまとまらない……このあたりに苦悩があったわけです。

 

そんなふうに自分の人生設計に鬱々としている中、偶然、自分の本棚にあった『現代の帝王学』(プレジデント社) を手に取って5年ぶりに再読しました。この本は書評を見ると難解と言われていることが多いのですが、中国古典や近代日本の経営者の逸話などが多く引用されているだけなので、言われているよりかはだいぶ読みやすいです。それで、ある一節を読んで、目から鱗が落ちました。

「幕賓」とは、その帝王を心から好いてはいるが、官に仕えて裃をきる窮屈さを嫌い、野にあって帝王にいろいろと直言してくれる人物である。

 

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経営学に近いが、経営学とちょっと違うところが好き

 

「そうか、そんな生き方があるのか。明らかに自分らしい生き方だな」と、その前後に引用されている逸話を見ながら感じ入るわけです。普段は悠々自適な暮らしをしながら自分を磨いているが、自分と理想を同じくするリーダーが立ち上がる時に、その要請に応じて自らも立ち上がって腕を振るう存在。そして、目的が達せられたら未練を残さずに元の悠々自適な生活に戻っていく。……まさしく、理想の生き方です。もし自分を招くリーダーが現れず、世に出る機会が一生なかったとすれば、それはそれで自分自身の運や実力がその程度のものだったということなので素直に諦めるだけの話ですしね。

 

そこまで分かってしまえば、後は逆算するだけ。人生設計も少し見えてきた。まずは自分と同じ理想を持つリーダーが側近に欲しい人物を想像して、それに相応しい実力をつけるべく修行すればいいわけですから。具体的には、色々な場所に行って武者修行に励むのがベストなのでしょう。肩書きを意識しない分、ノーポジションで技能を習得できる良さがあるし、何より楽しそうだ。……さて、結婚式の話からだいぶ吹っ飛んでしまいましたね。新郎新婦の未来はとても明るいですが、自分もそれに負けじと上を目指して進んでいかなくちゃなと思いを新たにした次第です (まとめたようでまとまっていない?)。