つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

タイムカプセル

茨城県土浦市の小学校に通っていたが、6年生のときにタイムカプセルを埋め込もうという話がクラスで出てきた。タイムカプセルを埋め込むこと自体には当時の吾輩もまったく反対でなく、むしろ面白そうだと思っていたのだが、「いつこのタイムカプセルを開けるか?」という議論になったときにちょっと不機嫌になったのをよく覚えている。吾輩は「20歳になったら」が良いと思っていたのだが、多数決で「30歳になったら」ということになってしまったのだ。困った。小学生時代に埋めたタイムカプセルのことを30歳になってまで覚えている自信なぞ、全くといっていいほどない。そんなわけで、最後まで頑固に反対していた記憶があったのだが、当時は小泉政権の平成であり、民主主義。多数決の決定が覆ることはなかったのである。

 

そして18年後、30歳のオジサンになった。ココロの薄汚れたオジサンになってしまった。未だにオニイサンを名乗りたい気持ちで山々なのだが、もはや小学生時代に流行った「ハゲの歌」を気にするオジサンサイドの人間だ。幸いにして吾輩オジサンは小学生時代に埋めていたタイムカプセルのことをしっかりと覚えていた。そろそろ連絡が来るかなと思って身構えていたら、小学生時代の同級生からしっかりとLINEでコンタクトをいただけた。正直なところを言うと、タイムカプセルの開封式に行くには気が進まなかった。理由は幾つかあって、❶ タイムカプセルに碌なものを入れた覚えがなくゲンナリしていたこと、❷ 開封式が土曜日で勤務日と被っている懸念があった、❸ 私立中学校に進学して長らく地元コミュニティとの関わりが途絶えていたために旧友の中に改めて入り込める自信がなかった、などなど。

 

それで、これらの問題のうちの❶は見事に的中してしまうのであるが、それ以外についてはノープロブレムであった。まず、❷については、国民の祝日と被ったために例外的に外来も閉まっているという幸いに恵まれた。❸については、自分の母親が地元コミュニティでの交流を続けてくれていたお陰で、自分自身も辛うじて地元コミュニティの中で認知されていたという幸いに恵まれた。身内を褒めるのは変な気持ちになるが、吾輩の母は偉大だと嘆息するのである。

 

当日は親に車で小学校まで送ってもらった。現地まで送ってもらうつもりだったのだが、「30歳にもなって親に車で送ってもらっているなんて恥ずかしいでしょ!」なんて言われて途中で降ろされてしまった。しょうがないので、1キロくらいトボトボと歩いて現地に向かった。途中で見覚えのある貴婦人2名。一瞬「担任だった○泉先生と○田先生かな?」と思ったのだが、あまりにも昔と変わっていなさ過ぎて、「いや、さすがに18年経って容姿が変わらないなんてあり得ないし、人違いであろう」ということで、挨拶もせずに通り過ぎてしまった。後にこの判断を反省することになるのだけれど。

 

小学校の校舎前には人だかり。よぉ!とばかりに早速ふたりの旧友に絡んでもらえたのは涙ものである。なにしろ、それまで地元コミュニティから完全に断たれてしまっている状態だったのだから。しかし、周囲の名札を見渡してみると、これがまぁ、ほぼ全員覚えているんだよな。小学生時代に誰が何でやらかしていたのか、しょうもない細かいエピソードまで思い出してくるから笑ってしまう。こうして安心してくると、自然とフットワークも軽くなる。そこからは手あたり次第に旧友に絡んでいくポジティブスタイルだ。吾輩はもともと極度の陰キャで若干の引き籠り系人間なのだが、この半年ばかりは世間様に鍛えていただいてお陰でだいぶ外向的になっているのである。

 

旧友たちと近況を交換し、その活躍を聞くのがとても楽しかった。国家公務員として霞が関に勤めていたり、市役所でマイナンバーカードの手続きなどを取り扱っていたり、企業人としてスマートシティ構想の研究をしていたり……。みんながおのおのの持ち場で活躍している。特に感慨深く感じたのが、みんなが地元コミュニティに何らかの形で貢献しているということ。話を聞いていると、旧友みんながインフラそのものになっているように感じられて、とてもありがたい気持ちだった。吾輩は大きな夢を抱いている身ではあるのだが、同時にインフラを担う一員として地元の医師として日々の業務を蔑ろにしてはいけないなと改めて思うわけである。また少し時間をおいて旧友と近況を交換する場があればいいなとしみじみと感じた。

 

小学校6年生の吾輩は思った以上の悪ガキであった。鉛筆と落書き。

 

家に帰ってからタイムカプセルに入っていた封筒を開けた。よく分からないタラコ唇のモンスター。「ハイ!ヘリコプター 3プン100エン」とのこと。何なんだ、これは。あまりにもひどいものが出てきたものだから、クスッと笑ってしまった。そういえば最近はCOVID-19の患者さんを多く受け持っていた。この数週間で失った患者さんの数も決して少なくない。ちょっと塞ぎ込んでいたのだ。しかし、あまりにも謎すぎるこのメッセージが閉塞感を吹き飛ばしてしまった。このタイムカプセル、なかなかやりおるな。旧友と同じように、前向きな気持ちでちょっとずつ地元に貢献していこう。育ての親の恩に報いよう。そう思わせてくれる素敵な1日であった。