つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

誰とは言わぬ、プリンシプルのある人々

アカデミズムに身を置く立場ゆえに、様々な人々のレクチャーを聴く機会がある。各業界の新進気鋭の若手によるレクチャーには、新しい知見が数多く散りばめられており、これはこれでなかなか楽しいものだ。「明日の診療に生かせるトリビア」を学ぶと、ちょっと賢くなった気がする。しかし、本当によいレクチャーだと思うのは、やはり業界30~40年レベルのベテランによるもの。ベテランによるレクチャーに新しい知見はさほど多く散りばめられていないことが多く、むしろ昔から同じことを繰り返し言葉にされているケースの方が多数派のように見受けられる。しかし、なぜか新しいもの以上に新しさを感じられるのだ。本当は、決して新しいものなんかじゃないのに。

 

たまにはコート・ダジュール以外のケーキを。果物は苦手だが、これは美味。

 

こういうのをプリンシプルがあるというのだろう(他にも形容できる言葉がいくつかあるのだが、嵩張りそうなのでやめておこう)。どっしりとしていて、判断が単一の好材料や悪材料に振り回されない。例えば、感染症診療。発熱やCRPの乱高下に応じてテキパキ治療を切り替える若手の同業者のバイタリティーに舌を巻く一方で、どこか軽佻浮薄さを感じてしまうことがある。チャラチャラしていて、見ていてちょっと気持ち悪い。なんというか、こんなことを言うと怒られそうなのだが、振る舞いが動物的でお下品なのである。むしろ、そういったひとつやふたつの悪材料に動揺せず、診療の初期段階からひとつのプリンシプルを打ち立て、その大方針のもとで治療を続けるベテランのやり方に格好良さとか清々しさを覚えてしまうのが吾輩の感性だ。太い幹が見える診療の有様が好きなのだ。

 

半年ほど前になるが、いつもよくしていただいている先輩医師の仲立ちで感染症の大御所の先生と食事をともにさせていただいたことがあった(こんな若造の同席を許していただけたことに、まずは感謝)。その大御所先生、カンファレンスなどで雰囲気を事前に存じ上げていたものだから(失礼ながら)何となく苦手に思っていたのだが、実際に世間話などを交わしてみると、やはりプリンシプルの御方なのだと感銘を受けたわけである。こういった大御所先生の前に出ては、知識豊富なちょっとした売れっ子医師なんぞ、所詮は小童に過ぎぬ。真に優れた人物のオーラのようなものを再確認でき、僅か2時間、されど濃厚なひとときであった。

 

2022年夏以降、寿司処やぐらで後輩と食事する機会が増えた。美味なのである。

 

感染症診療だけに限らない。例えば、いくさであれば、局地戦の勝敗に一喜一憂するのではなく、外交なども含めてトータルな勝利を冷静に目指していく指導者に凄味を覚える。金融市場であれば、金利政策などに慌てふためかずに、冷静に企業価値を見極めて価値あるものに賭ける投資家に頼もしさを感じる。売れずとも自身の感性を信じて作品を生み出し続けた大雅やゴッホも素敵だ。結局のところ、一流はいつでも泰然自若として、軽々しくは振る舞わないものという感覚がどの分野でも確実にあるように思われる(かといって、わざと重々しく振る舞っている連中は凡そ偽物)。そう考えていると、自分の振る舞いにもプリンシプルを打ち立てなければならないと反省するに至るのである。……否、既にプリンシプルはある。しかし、それを現行の資本主義にどう適合させていくのかが案外難しくて悩んでいるというのが実際のところだ。そして、この問題は自分にとって大切な人生の宿題なのかもしれない。