つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

静嘉堂の曜変天目

朝起きては論文を読み書きし、昼は患者を診察し、夜はレクチャーの準備や撮影をする。そんな生活ばかりをしていると、気がつけば生活のすべてが仕事に占拠されてしまう。そのこと自体は大きな苦痛になっていないものの、少しばかり疲れを感じることもあるし、なにより家族サービスが足りていないことに後ろめたさを感じるものだ。

 

そんなときに偶然手に入れたのが、静嘉堂文庫美術館のチケットである。三菱財閥の宝物館といえば分かりやすいだろうか。妻は東京散策が大好きなのだが、交通費は安くないし、時間もなかなか捻出できないということで、都会に物見遊山に行くだけのインセンティブが我が家にない。しかし、チケットに有効期限があるというのは、東京に出るに十分な口実だ。そこで、ある週末に夫婦で無理矢理スケジュールを合わせて東京に行くことにしたのだった。

 

思いのほか、色々と考えさせられる場所だった……

 

特設展で、岩﨑小彌太邸のお雛様が展示されていた。妻は民俗学的なものも好きだから、大はしゃぎである。ただ、ひとつ目を引いたのが静嘉堂文庫美術館の客層である。「ここに来ているのは……人生の成功者? だよね?」—— 妻が囁くように言っていたが、これは自分もまったく同じ感想だった。年配のladies & gentlemenに混ざるように美術品を見物している間、僅かばかりの不思議な緊張感をずっと感じていたのである。

 

「ここのお雛様、生きているように見える。いまにも動き出しそう」「わたしが今までみてきたお雛様はお雛様じゃなかったのかも」と品評していく妻を横目に、吾輩は吸い込まれそうな惑星群に目を奪われていた。音に聞いた曜変天目である。2022年末にぬいぐるみが高額で取引されたニュースは記憶に新しく、是非一目見たいと思っていたのだった。実物はやはり心奪われるものがある。不吉なまでの魅力から、中国ではかえって評価されていなかったという説もあるようなのだが、これほどの魔性を秘めた芸術品ははじめてである。曜変天目を再現しようという陶芸家もいるようなので、もし結実した場合には手に入れるのもやぶさかではないなと迂闊にも思ってしまった。人生で一度くらいは、ここに濃い抹茶を注いでみたいものだ。

 

ところで、この美術館で少しショックなことがあった。入り口で背筋が曲がっていることを指摘されたのである。なるほど、自分が写り込んでいる過去の研修会の写真などをみると、それこそ奇妙な姿勢をしていて分かりやすいのだが、頭がやや前方に張り出してしまっていて、背筋が一直線になっていないのだ(父親も祖父も似た姿勢なので、遺伝なのかもしれない)。周囲のladies & gentlemenの姿勢があまりにもelegantだったことも相まって、お恥ずかしく感じたわけである。昔から母親に姿勢が悪いことを言われ続け、諦め呆れられていたところでもあった。一念発起して、美術館から帰ってきてからは姿勢を意識的に正すようにしているのである。

 

姿勢を正すと、不思議と気分も前向きになる。一流を目指すのであれば、ちょっとした所作などの身近なところから少しずつ改善を重ねていくのが良い。一日一善。そう繰り返していくうちに、自ずと付き合いや物使いも洗練されたものになっていくのであろう。単なる美術館見物に留まらず、どこか心の奥底に学びを埋め込まれたような、そんな体験であった。