つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

回診1回、握り飯1つ

現在の職場における最大の問題点は、いうまでもなくベッドコントロールの不在である。総合診療科の患者数は今や40名に迫っている状況なのだが、その患者さんがあらゆる病棟に散在してしまっている状況だ。大英帝国は七つの海を支配したが、大総合診療帝国もまた、七つの病棟を制覇しそうな(というか、既にしている)勢いで正直なところ驚愕してしまっているのである。もちろん、ベッドコントロール不在の影響は他の診療科にも少なからず及んでいるものと見え、患者リストを見ているとあらゆる診療科が抱えている問題であることを再認識させられるわけだ。

 

ベッドコントロール不在が明らかに問題になっているはずなのに、なかなか言い出す人がいない。みんな薄々感じていても、「伝統」とか「歴史」とかがあるものに対しては、なかなか言い出すことができないというのもまた、人の世というものなのかなと思い巡らす。恐らくは誰かが声を上げれば動くのかもしれないが、言い出す人間は偉い人でないと難しいのだろうなとも感じるわけだ。

 

ただ、吾輩は理不尽に対して泣き寝入りしないことにだけは定評がある。「理不尽を受け入れて与えられた環境で素直に働く」なんて決してあってはならないことなのだ。怒れ! 怒れ! 怒れ! 「この病院にベッドコントロールを導入する」と心に決めている以上は、どうにかして成功させねばならぬのだ! 現在は入退院患者数のデータを集めていて、予定入院と緊急入院のデータと睨めっこしながら、どうすれば誰にも負担のかからない体制を築き上げられるかを机上で試行錯誤しているところだ(実現可能そうなものとして、2つばかりアイデアを温めている)。同時に、院内で新たに発足する予定の「働き方改革委員会」に入ることにした。ベッドコントロール問題の解消は働き方改革に直結する可能性が高く、相乗効果が期待できるかもしれないと見込んでのことだ(まぁ、この委員会は時間外に開催されるらしいので、その時点で色々と矛盾しているわけなのだが……汗)。

 

さりとて、ベッドコントロールの問題は一朝一夕に解消するものではない。ましてや、昨今のCOVID-19の流行状況。吾輩の職場の病床稼働率は90%を上回っている状態(この1週間は完全満床)が恒常的に続いているため、ベッドコントロールのアイデアを試行錯誤するに時期尚早な印象も拭えないわけだ。いまはまだ根回しの時期であり、大総合診療帝国の患者40名をひとつの海にまとめるのも当面は実現しそうにない。

 

そうすると、日々の苦労は回診だ。なんと毎日、七つの海を航海しなければならぬ。大航海時代と聞くとワクワクするかもしれないが、そんなビッグ・イベントも毎日繰り返されると流石にうんざりしてくるわけだ。かのコロンブスもきっと嫌がることであろう。当然のように研修医の先生方にも不評のこのビッグ・デイリー・イベント、どうにかして愉快なものにできないだろうか。そんなことばかり考えていた。

 

ある日(まぁ、2022年9月1日だが)、外来の合間にTwitterを眺めていたら、大変興味深いtweetがタイムラインに流れてきて目が釘付けになってしまった。

@kodaiGrow

今の時代、生活してれば誰でも稼げます。

①歩く→SweatCoin
②検索→Brave
③寝る→Sleep Future
④食事→Poppin
⑤音楽→PENTA
⑥飲む→Classcoin
⑦勉強→Let me Speak

(以下、略)

「歩けば稼げる」というキーワードを見た瞬間に、頭上の電球が光る。「これってもしかしたら、回診でお金を稼げるのではないか?」……なんとも吾輩らしいお下品な発想である。しかし、回診は必須業務であり、どんな手段を使ってでもモチベーションを上げにいく必要がある。そんなわけで、仮想通過をやっている知り合いにヒアリングしながら、ここで挙げられているSweatCoinを勉強してみることにしたのであった(これまで仮想通過を触ったことがなかった)。

 

スマホ歩数計の正確さのメカニズムも、調べてみると面白い

 

そもそも、「歩けば稼げる」(Walk2Earn)という考え方は以前からあったようだ。うろ覚えではあるが、ちょっと前にSTEPNという仮想通過があって、歩くことで仮想通過を稼ぐことができるという話があったように記憶している。まぁ、そのSTEPNは大暴落を起こしてしまったので、吾輩の中では「危ない何か」という認識なのだが……。そんなSTEPNとは違ってSweatCoinは自腹を切る必要が全くないようで、ひたすら歩いていれば仮想通過を稼ぐことができるらしい。ゆえにSTEPNよりも安全と判断した吾輩は、とりあえずSweatCoinのアプリを使ってみることにした。もっとも、”Walk2Earn” がどういうビジネスモデルなのかは吾輩の古びた脳味噌ではトンと見当もつかぬところで、誰かにご教授をお願いしたく存じる。

 

それで、早速SwearCoinを使って病棟回診をやってみると、これがなかなか面白い。病棟回診一巡で最低2,000歩くらいは歩くことになるので、その収益は 2 SCsだ。まだ 1 SCあたりの価値は不明確なのだが(再来週あたりレートが判明する模様)、予想としては30~100円くらいになるそうな。つまり、回診をすると握り飯代くらいは稼げる計算になる。当代一流のケチで名の通る吾輩にとっては、この僅かばかりのお金がマコトに有難い。加えて、吾輩はとにかくよく歩く。仕事が終わればジョギングもする。従って、1日あたりの歩数は平均12,000歩くらいになる。つまり、12 SCs ≒ 300~1,200円でそこそこの収入。それこそ、「あれ? 回診って実はサイコーなんじゃないか?」と一瞬錯覚してしまうのライフ・ハックであろう。

 

でもな……レジ部屋に出没して研修医の先生たちにそのことを得意げに話したら、みんなSweatCoinの存在を知っていたようで「なんだ、そんなことか」みたいなリアクションを賜ってしまったのだ。なんてこったい! 吾輩の卓越したナイス・アイデアを披露して驚かせようと思っていたのに、アテが完全に外れた形じゃないか! 結局のところ、「病棟回診でお金を稼ぐ」というアイデアも、みんな気付いているけど言い出されることのない発想なのかもしれない。

Taylor先生の思索:善き医療とは如何なるものであろうか

医者に限らず、医療従事者には様々な性格がある。医療従事者にとって「医療とは何か?」と聞かれたら、とりあえずは「仕事」ということになるのだろうが、医療従事者と医療との距離感も人それぞれではないだろうか。例えば、「医療とは自分の人生そのものであり、不可分の領域である」というスタンスの医療従事者は多いと思うし、「医療とは金銭的に自分の生活を支えるためのものである」というスタンスを(明言しないまでも)胸に抱いている医療従事者もいるだろう。こういったスタンスの違いは人の生まれや育ちにも左右されるところであり、そこに貴賤を持ち出すのは野暮というものだ。

 

300ページ強だが、内容は1,000ページの成書に匹敵する。外来の合間。

 

それはそうと、吾輩にとっての「医療」は「人生と不可分」な部分も多少はあるし、「金銭収入」としてみている部分もないわけではないのだが、実際のところはもっと別のものという認識だ。なんというか、吾輩にとっての「医療」というのは、言ってしまえば「眼鏡」なのだ……つまり、「医療」というものを通じてこの広い世界を自分なりに解釈してみたい、人生とは何かを考えてみたい……そんなことをいつも考えているわけ。「知りたい」という気持ちを原動力として日々を生きていて、そのひとつの方法として「医療」を使っているといえば分かりやすいだろうか。そう、吾輩にとっての「医療」は目的でなく手段なのだ。救急外来での業務をやっている時には、患者さんを見つめながら「生老病死とは何か?」を考えているような人間なのだ(もちろん、診断や治療のことも考えてはいるが……)。

 

少し極端なところまで話が飛んでしまったが、「医療」との関わり方には色々なスタンスがあるということだ。スタンスごとに受け入れやすい価値観や受け入れにくい価値観も様々だとは思うが、最近読んだ『医の知の羅針盤 良医であるためのヒント』(メディカルサイエンス・インターナショナル)はどんなスタンスの医療従事者が読んでも心にストンと落ちるものがあるので、是非購読をおすすめしたい。この本は、『テイラー10分間鑑別診断マニュアル』などでも有名な「家庭医学の父」ことRobert B. Taylor先生が歴史を紐解きながら「自分にとっての医療とは何か?」を思索し、そのプロセスを綴った一冊である(と自分は読み取った)。その目次は以下の通り。これらのテーマについて、Taylor先生が様々な過去の偉人を引き合いに出して論じている(引用の数が凄まじく、文字数あたりの内容が濃い)。

第1章 21世紀における医の知
第2章 患者に寄り添う
第3章 臨床対話とコミュニケーション
第4章 臨床診断の技術
第5章 疾患の管理と予防
第6章 死にゆく患者とその家族に寄り添う
第7章 臨床医として生計を立てる
第8章 医師の生涯学習
第9章 明日の医師を育てる
第10章 あなたの家族とコミュニティーについて
第11章 あなた自身を大切にしよう
第12章 倫理、信用、信頼
第13章 明日の計画を立てる
第14章 良医と21世紀の課題と医術
第15章 エピローグ

 

「自科の常識は他科の非常識」だが、「現代の常識は歴史上の非常識」ともいえる。いまでこそ当たり前のように言われるようになった「インフォームド・コンセント」や「エビデンスに基づいた医療」というのは、必ずしも昔の医療現場では "当たり前" でなかった。例えば、人間の根源的な優しさだけで「インフォームド・コンセント」が成立したわけではないし、プロフェッショナリズムだけで「エビデンスに基づいた医療」が成立したわけでもない……さもなくば、そういった概念は(実現しないにしても)かなり古くから存在していたはずである。つまり、こういった "当たり前" の価値観に至るまでの間に様々な問題が浮上していて、それに対する改善を繰り返していった結果、はじめて現代の価値観が成立している —— そのことを、現代を生きる吾輩たちは認識する必要がある。逆に「ジュネーブ宣言」に形を変えた「ヒポクラテスの誓い」は現代でも色褪せずに生きている考え方であり、改めてヒポクラテスが医の祖として偉大な存在であったことを痛感する。

 

抗菌薬を学ぶ時もそうなのだが、歴史を学んでオリジナルに触れると「医療とは何か?」に対する自分なりの考え方が漠然とでもまとまってくるのではないかと思う。そこまで学ぶと、むしろ問自体も「医療とは何か?」ではなく「医療とはどういうことか?」という内容へと昇華しているのかもしれないが……。いずれにしても、歴史を学んで「医療」を見つめなおすことは、「医療」そのものを深めることに繋がるし、人生を考察する新しい視点を得ることにもなるので、是非おすすめしたいところだ。また、Taylor先生は医療従事者が医療行為の対価として正当な報酬を手にすることを否定しておらず、むしろ医療従事者が健全に業務を続けられるよう健康管理や金銭管理の重要性を(簡潔ながら)記している。総じて、「医療」の扱う領域の広大さを再認識する一冊であったように思うのだ。なかなか読みごたえがある大作なので、定期的に読み返したいと感じた。そんな「思考する医療」というのも悪くないと思うのだが、この機会に諸賢も如何?

 
補足:この本に書かれているのは、あくまで「良医であるためのヒント」であり、「良医であるための答え」ではない。考えるきっかけという意味で至高の一冊。

生ワクチンの奇妙な副効果

【注意】本記事は副効果を期待しての生ワクチン接種を推奨するものではありませんので、その点はご注意ください!

 

Lancet Infectious Diseasesを普段から読んでいるのですが、なかなか興味深い記事を見かけたので紹介したいと思います。COVID-19流行の割と初期の頃(2020年初頭)に「BCGがCOVID-19を予防する」という噂が流れて、それを信じた人が小児科クリニックにBCGを打ちに行くという事案があったと思うのですが、それ関連のまとめがPersonal Viewの形でまとめられていました(doi: 10.1016/S1473-3099(22)00498-4)。なお、この論文が世に出てからまだ2日なので、まだPubMedにも収載されていません。

 

「BCGがCOVID-19を予防する」なんて聞くと、理屈で考えると「いや、流石にないでしょ」ってなるとは思うのですが、やはり実際のところどうなっているのかは気になりますし、そもそもそういった噂が流れるにしても理論上の背景が何かしらあるのではないかというふうにも勘ぐってしまうわけです(まぁ、BCG接種国でのCOVID-19の患者数や死亡者数が比較的少なかったという連想だけだったのかもしれませんが)。

 

実は以前から生ワクチンには、標的となる病原体による感染症を予防する効果の他に、「謎の死亡率減少効果」がたびたび観察されてきていることがこの論文には記載されています(知らなかった!)。機序は不明ながらも、生ワクチンによって何らかの免疫が惹起されることが背景にあるのかもしれないと語られています。そういった効果の観察された生ワクチンとしては、BCG、麻疹ワクチン、経口ポリオワクチンが挙げられるようで、繰り返し接種することでそういった「謎の死亡率減少効果」が見られたとする報告があるらしいのです。もっとも、それぞれの研究論文を読んでみてもこの死亡率減少効果の理由まではしっかりと追究されていませんでした……。つまり「謎」のままです。

 

doi: 10.1016/S1473-3099(22)00498-4

 

doi: 10.1016/S1473-3099(22)00498-4

 

「BCGがCOVID-19を予防する」というのが本当かという話題もこの記事の中でまとめられていますが、それは否定的という結論です。噂が流れるとちゃんと検証されるのがアカデミズムの面白いところで、ランダム化比較試験までしっかりとなされているのが凄いですよね! さて正直なところ、生ワクチンによる「謎の死亡率減少効果」を知ったところで臨床に生かしようがないよなぁと思うわけですが、基礎医学的な視座からはなかなか興味深い話題なのではないでしょうか。

 

doi: 10.1016/S1473-3099(22)00498-4

キノロン系の中で自分が使ったことのないやつ

はじめに

参加者の皆様に大感謝!

2022年8月26日に「抗菌薬物語 III」(復習編)をDr.'s Prime Academiaで行いましたが、120名もの方にご参加いただき、とてもありがたいことだなと思いました。初回の「抗菌薬物語 III」の参加者数が750名で、その後の「抗菌薬物語 I + II」(復習編)の参加者数が850名だったので、その差にあたる100名の方にご参加いただければと思っていましたが、少し予想を上回る人数でした。抗菌薬は身近でありながら、意外とインプットの難しい領域であり、そこに向けての関心の高さをひしひしと感じております。次回は2022年9月8日に「抗菌薬物語 IV」を行う予定ですので、よろしくお付き合いいただければと思います。

キノロン系にまつわるご質問

ところで、質疑応答の際に「トスフロキサシンやガレノキサシンはどう使えば良いのか」というご質問を繰り返し頂いております。白状すると、バイキン屋さんはこれらのキノロン系を使ったことが一度もありません。シプロフロキサシン、レボフロキサシン、モキシフロキサシンの3種類だけで臨床上は間に合ってしまうことが大半で、これらの抗菌薬の使い方を解説するのも筋違いかなと考えるわけです。しかしながら、全く知らないまま通り過ぎるのも何だか気分が悪いと思い、少しばかり勉強してみようと考えて今回の記事を書かせていただこうと思います。例えば、災害医療の時なんかは、使い慣れていないキノロン系抗菌薬しか手元にないという状況に陥るかもしれません。そういう意味では、ここで勉強することが自分自身の成長にも繋がるのかなと考えています。なお、バイキン屋さんが使うキノロン系抗菌薬(シプロ、レボ、モキシ)に関しては以下の記事をご参照ください。

 

Contents

 

どの病原体に効くのかという観点から

知らない抗菌薬は歴史からアプローチするべし

抗菌薬にはスペクトラム(病原体のカバー範囲)という概念があるわけですが、そのスペクトラムの範囲内でも得意な病原体とちょっと苦手な病原体というものがあります。抗菌薬を歴史に則って系統的に学んでいくと、「その系統が最初からカバーしている病原体」と「その系統が進化することではじめてカバーできる病原体」というのがあるわけです。そういった歴史的な話を踏まえると抗菌薬全体の見通しが良くなるというのは、βラクタム系抗菌薬も非βラクタム系抗菌薬に共通する要素かと思うのです。

キノロン系の始祖はナリジスク酸

キノロン系抗菌薬そのものは、実は偶然の産物です。というのも、「クロロキン」というマラリアなどに使われる薬剤があるのですが、それを生合成する際に副産物として出現するのがキノロン系抗菌薬のはじまりなんですよね。ほら、"chloroquine" という綴りを見てみると、後半部分が "quinolone" と似ていませんか。そういうわけで、この副産物がキノロン系抗菌薬の始祖「ナリジスク酸」にあたるわけです。さて、このナリジスク酸は、ウイントマイロン®(第一製薬)という名称で日本でも使われていたことがあったのですが、現在は販売中止となっております。細菌の耐性化スピードがはやい、消化管からの吸収率が低い、副作用として消化器症状(悪心、嘔吐、下痢)や神経症状(頭痛、めまい)が出現しやすいなどの理由で、新しく開発された他キノロン系抗菌薬に対する優位性がなくなってしまったという事情によります。

キノロン系の世代

そうすると、ナリジスク酸はキノロン系の中でも「第一世代」という位置づけになりそうです。実はキノロン系もセフェム系と同じで、(便宜上)世代による分類がなされることがあるのです。その分類を大雑把に表現すると、以下の通りです。

第1世代:もっぱらグラム陰性桿菌
第2世代:グラム陰性桿菌 + ブドウ球菌
第3世代:グラム陰性桿菌 + グラム陽性球菌* + 非定型菌
第4世代:グラム陰性桿菌 + グラム陽性球菌* + 非定型菌 + 嫌気性菌
* グラム陽性球菌の中でもStreptococcus pyogenesの耐性化傾向に注意! 第2から第3世代にかけての進化は主に肺炎球菌のカバーを指向しています。

それで、臨床で使われるキノロン系を上記に従って分類すると……(剤形不問で)

第1世代:ナリジスク酸、シノキサシン
第2世代:シプロフロキサシン、ノルフロキサシン、オフロキサシン、ロメフロキサシン、パズフロキサシン
第3世代:レボフロキサシン**、トスフロキサシン、ガチフロキサシン
第4世代:モキシフロキサシン
???:ガレノキサシン、シタフロキサシン
**『レジデントのための感染症診療マニュアル』(医学書院)では第2世代に分類されていました。まぁ、この分類も恣意的なものなので……

というふうになりそうです。そう考えると、例えば「ノルフロキサシンの使い方は?」とバイキン屋さんが聞かれたら、基本的には「シプロフロキサシンと同じです」と答えることになるのでしょう。

なお、ガレノキサシンやシタフロキサシンは(Mandellを含め)海外での文献が少なくてスペクトラムも一部よく分からないのですが、添付文書やインタビューフォームを見る限り「少なくとも第3世代相当」という印象でした。なので、暫定的にはレボフロキサシンと同じように使っていただくのがよいかと思うのです。

 

副作用などデメリットの観点から

小児への使用

これは小児に適応のあるトスフロキサシンにも言えることなのですが、キノロン系を小児に使う場合には関節毒性に注意する必要があります。ただし、この注意喚起はラット実験に基づくところが大きく、「ヒトの場合は動物ほどには発症しないのではないか」「発症したとしても可逆性だった」などの知見もあります。嚢胞性線維症が多い海外では、緑膿菌感染症キノロン系を小児に使わざるをえない状況がしばしば発生するようなのですが、想定されるメリットがデメリットを上回る場合には小児にキノロン系を使ってしまうこともあるようです(日本の場合は保険適応を考慮して、トスフロキサシンを使うことになると思います)。

薬物相互作用

この記事を書くにあたって各キノロン系抗菌薬の薬物相互作用を添付文書ベースで調べているのですが、抗菌薬ごとに異なったプロファイルでなかなか面白いですね。キノロン系抗菌薬を使う時にはワーファリンの効果増強に要注意と伝えているのですが(よくよく調べてみると個人差が結構あるみたいですね……)、トスフロキサシン、シタフロキサシン、ラスクフロキサシンなどに関してはワーファリンとの併用注意の記載がありません。そう考えると、エビデンスの集積次第ではレボフロキサシンなどに勝るメリットになるかもしれません。

もっとも、現時点では海外文献が少ないことがネックですし、トスフロキサシンについては僅か1例ですが、過去の内科学会地方会でPT過延長からの頭蓋内出血を報告されているので、過信してはいけません。キノロン系抗菌薬ごとに明記される薬物相互作用が異なっているのは非常に興味深い点で、自分も製薬企業の方にヒアリングしてみたいなと思いました。

QT延長症候群

これもキノロン系の種類によって明記されていたり、されていなかったりです。具体的には、ノルフロキサシンとトスフロキサシンではQT延長症候群が明記されていない点がなかなか興味深いと思いました。ただ、症例報告レベルでは両薬剤ともQT延長症候群の報告があるようなので、やはり過信は禁物かと思います。

大腸菌の感受性

基本的にはシプロフロキサシン、レボフロキサシン、モキシフロキサシンを扱った文献が多いため、結論を急いではいけないような気がしますが、それ以外のキノロン系の文献は中国や日本から出ているものが多いようです。それらを見ていると、どうもシタフロキサシンに関しては他のキノロン系と比較してグラム陽性球菌・グラム陰性桿菌いずれに対しても活性が強くなっているように見受けられます。このことは、大腸菌の感受性に関しても当てはまりそうです

……ただ、いくら大腸菌に活性が強いからといって、膀胱炎などに対してシタフロキサシンを乱用するのも考えもの。仮に使うにしても、「ある抗菌薬を乱用すると速やかに細菌が耐性を獲得する(Use it, lose it.)」という警句を考えながらにしたいところです。自分だったら、まずは代替薬を探します。だって、こんな便利な抗菌薬は温存するに限りますから。災害医療の時とかのために。

Otani T, et al. Antimicrob Agents Chemother 2003;47(12):3750-9.

松本ら. 日本化学療法学会雑誌 2010;58(4):466-82.

 

薬物動態の観点から(素人目線)

バイオアベイラビリティ

ここまで色々調べてきて、個人的に興味深いと思ったのがトスフロキサシンとシタフロキサシンの2剤ですが、これらの薬剤のインタビューフォームを調べてもバイオアベイラビリティについては「該当資料なし」で不明確です。シタフロキサシンに関しては、第一三共がPMDAに別の資料を出していて、それによると「累積尿中排泄率からバイオアベイラビリティは約70%と推定した」との記載が見えます(約70%というと、イメージとしてはシプロフロキサシンと同等で、レボフロキサシン以下ということになります)。残念ながら、海外文献にもあまり良い情報を見つけられませんでした。

臓器移行性

モキシフロキサシンはもっぱら肝代謝されるキノロン系ということで、腎機能による調整不要な反面、尿路感染症に使えないという問題を抱えています。そういった問題がトスフロキサシンやシタフロキサシンに該当するかも調べてみましたが、特にそういった制約はなさそうに見えました。また、髄液移行性や前立腺移行性についても調べてみましたが、インタビューフォームを見る限りでは「該当資料なし」で不明確なので、髄膜炎前立腺炎に安全に使用できるかも不明です。

 

まとめ

やっぱりシプロ・レボ・モキシが基本

ここまで調べてみて、なぜ感染症医がシプロフロキサシン、レボフロキサシン、モキシフロキサシンばかりを使用していて、他のキノロン系抗菌薬を使わないかが自分なりにもよく分かってきました。端的にいうと、以下の理由です。

① データが少なすぎるせいで信頼して使用できないから。
② シプロ・レボ・モキシで大体間に合ってしまうから。

抗菌薬の各細菌に対する活性に関しては文献があるのですが、副作用に関する報告の集積が不十分な印象があるのがだいぶ気になりました。加えて、バイオアベイラビリティ不詳なのもさすがにお粗末だと思うのです。そういった意味で、自分はこれからもシプロフロキサシン、レボフロキサシン、モキシフロキサシンを使い続けようと思いました。

強いていえば、トスフロ・シタフロに光るものを感じる

ただし、データがもう少し集積すれば、トスフロキサシンやシタフロキサシンに関しては使いどころがあるかもしれません。

トスフロキサシン:小児可、薬物相互作用が他キノロン系と異なるかも?
シタフロキサシン:他キノロン系に耐性の細菌に効くかも??

なお、海外ではdelafloxacin(まさかの抗MRSA活性あり)が話題になっているのですが、これによって妙な薬剤耐性菌が増えないものか、戦々恐々としています。やはり薬剤耐性をとられやすいという意味で、そもそもキノロン系抗菌薬を使わないで済むなら使うべきでないという本音があるのです……(セファレキシンやアモキシシリン・クラブラン酸があれば、市中感染症はそれなりに戦えるはず)。

昭和時代の二人の賢人

図書館にほぼ毎日通っては本を借りて、故人を含むいろいろな人の考え方を学んでいるのだが、個人的に読んでいて爽やかな気持ちになれる著者を挙げるなら、小倉昌男さんと中野孝次さんだと思う。小倉昌男さんは、ヤマト運輸で「宅配便」を生み出した伝説的経営者で、運輸省既得権益と戦いを繰り広げたことで有名だ。中野孝次さんは、ドイツ文学の翻訳に功績のあった作家・評論家で、バブル経済の時代の真っ只中において「清貧」の思想を唱えたことで知られている。

 

人にはそれぞれ心の根本的なところから共感できる相手というのがいるものである。こういった相手に人生の早いうちに巡り合えれば幸せなものだが、自分の場合は(故人ではあるけれども)小倉昌男さんと中野孝次さんがそれに該当する。人生には戸惑いがあり、喜怒哀楽があり、周りに振り回されては疲労困憊して何もかもが嫌になってしまう状況があるのだけれど、そんな時に一旦立ち止まって大先輩の言葉に触れてみると、自分の背中を後押ししてくれるような気がして、明日への活力を得ることができるものである。ある意味、信仰に近いものがあるのかもしれないが、そうやって励ましてもらいながら世知辛い現世を生き抜いていくのである。

 

さて、最近『「なんでだろう」から仕事は始まる!』(PHP出版)という小倉昌男さんの本を見かけたので借りて読んだわけだが、自分がどうして小倉昌男さんや中野孝次さんにここまで強いシンパシーを感じるのか、この機会に少し考えてみた。自分が魅力を感じるのがどんな人物かが分かってそれを目標に自己実現をしていけば、言行と価値観に齟齬のない人生を歩むことができるのではないか。そんな期待があったわけだ。

 

個人的には、昭和時代の二大賢人だと思っている

 

小倉昌男さんと中野孝次さんの共通点は、まずは優しくて穏やかなところだと思う。人間に対する愛情が非常に強くて、目の前の人が何を考えているのかを絶えず考えているようなところがある。小倉昌男さんは組合員の心をガッシリ掴んでその支持をもとに「宅配便」をはじめていたし、中野孝次さんも若者から人生相談を持ち掛けられた際にその心の底にあるものを明敏に察しようと努力されているところがあった。なんというか、ふたりともどこか気弱なところがあるからこそ、相手を弱者として労わるメンタリティを持っていたように見えるのだ。ただし、ふたりとも弱者のための自己犠牲という発想はそこまで持っておらず、むしろ自分も含めて全ての人が幸せであるにはどうしたら良いかを模索していた節がある。考え方に無理がなくて、バランスが良いのである。

 

他の共通点としては、自分自身に対して素直で正直なところが挙げられると思う。疑問に思ったことに対しては胸にしまっておかずに声を上げて、時には既得権益や時代の価値観に戦いを挑んでいくところがあるわけだ。心穏やかで優しいこのふたりが戦うなんて……と思うところがあるかもしれないが、実はそれは間違った認識である。心穏やかで優しいからこそ、戦うのである。というのも、このふたりは人間愛が尋常でなく強いので、弱者が既得権益や時代の価値観に毒され苦しんでいるのを見ていると、どうしても見ていられなくなってしまう性分なのだ。「義を見てせざるは勇無きなり」を地で行ってしまうような感じ。見方を変えれば、時の権力者から非常に煙たがられるタイプの人間とも言えるかもしれない。穏やかだが、物凄く頑固なところがあるわけだ。

 

自分の周囲を取り巻く環境(人間や自然界)に強い関心を抱きながら、少年のような心で「なぜ?」と問いかけ続けていく。そして「なぜ?」という問いかけの先にある答えが人間を苦しめる理不尽であった時に、見て見ぬふりをできず、どこまでも戦いを挑んでいってしまう。これが、小倉昌男さんと中野孝次さんの本質的な部分ではないかと、彼らの著作を読んでいると感じられるのである。マザーテレサガンジーにも、ちょっと似たところがあるのかもしれないけれど。

絶望の国の絶望の時代のミドルマネージャー

新しい職場でどうにもならない医療現場をどうにかしようとジタバタしている今日この頃、昔からお世話になっている大先輩からメッセージをいただいた。なんでも、茨城県で自分なりに今の医療に問題意識を抱いている若手を集めて「地域医療構想調整会議」なるものをやってみたいとのお話だ。実際のところ、日本の未来は非常に暗い。日本全体の未来が暗いのだから、茨城県のような(コロナ禍以前からの)医療崩壊地域の未来は推して知るべしである。この絶望感と戦うためには、あるいはダメージコントロールを担ったり、あわよくば再生の道筋を歩んだりするためには、確かに現時点で若手とされるメンバーでの横のつながりは不可欠のように思う。実際、「失われた30年」のツケは孤軍奮闘でどうにかなる問題ではないだろうし、自分一人の能力にも限りがある。

 

絶望感なんて言うと大袈裟なというリアクションが返ってくることが多い。しかし、いまの若手にとって、日本の現状はハッキリ言って絶望的だ。というのも、エコノミストによる未来予測の多くは外れるが、人口予測だけは当たるという経験則がある。2020年の人口ピラミッドの時点で老年人口と生産年齢人口のバランスが歪になっているのだが、2040年になると後期老年人口がより一層増加して生産年齢人口のボリューム・ゾーンも一部が前期老年人口へと入り込んでしまうので、ピラミッドの歪さがより一層増した形になってしまっているのだ。そして、いまの初期研修医が大体24歳くらいで、後期研修医が30歳弱(自分もこの層)になるわけだが、2040年だと大体45~50歳くらいになる計算だ。つまり、日本が最も辛いであろう時代に「体が動く人間」としてミドルマネージャーをやっているということになる。これが絶望でなくて一体何なんだ。

 

2020年でもバランス崩壊している人口ピラミッドが2040年には……

 

しかし、絶望的な未来と戦うためには絶望しないことが何よりもの出発点だ。最近、図書館で偶然見かけて手に取った本に安宅和人さんの『シン・ニホン』(NewsPicksパブリッシング)という本がある。この本は、いまの日本が置かれている絶望的な状況を言語化した上で、それに対抗する処方箋を提示してくれている。この国の未来に関わる人は全員読んだ方が良いのではと思ってしまうくらいなのだが、簡単に紹介しよう。なお、フェルミ漫画大学サラタメさん中田敦彦さんなど色々なYouTuberがこの本を紹介しているので、興味があればこういった動画であらすじをさらってみるのもよいかと思う。

 

絶望しかない日本が生き残る勝ち筋が示されている

 

まず、いまの世界のルールに日本が全く対応できていないことの説明からこの本ははじまる。むかし(1950~1980年くらい)は質の高いモノを大量に生産していれば世界を席巻できる時代だったわけだが、いまの世界はAIとデータの組み合わせが価値を生み出す時代だ。かつてはトヨタソニーが世界を席巻していたが、いまはこういったAIとデータの掛け合わせをできるGoogleAmazon、Baiduなどの企業が富を集める時代へと変貌を遂げている。しかし、日本には(1)そもそも活用できるデータが少ないし、(2)電気代が高すぎてデータを処理するにもコストがかかり過ぎるし、(3)データを処理できる人材も稀少である。従って、いまの世界で日本が勝つことは不可能である。

 

ただ、安宅さんがいうには「絶望するにはまだ早い」とのこと。日本は古来から海外の技術を受け入れて換骨奪胎して新しい価値を生み出すことに長けている国なのだから、これから巻き返しを図れば良いのではというのだ。確かに、英国での産業革命の時、日本は鎖国をしていて科学技術との縁が薄かった。しかし、明治維新とともに文明開化した途端、海外の技術を驚くべきスピードで吸収していった。そして、第二次世界大戦を挟んでの高度経済成長である。従って、いまは世界に置いていかれて一人負けしている日本ではあるが、今後「AI × データ」を応用する段階になった時に巻き返しを図るという勝ち筋が辛うじて残されているのではないか —— 要約すると、これが安宅さんの主張である。

 

さて、ここまでの話を踏まえて、自分たち20代の若手、「絶望の国の絶望の時代のミドルマネージャー」候補がいまやるべきことは一体何だろうか。多施設の若手で集まって、それこそ「地域医療構想調整会議」で共有してみたいテーマではあるが、まずは自分なりに考えてみた。

 

ひとつは、様々な個性を持つ後輩たちの才能を認めて、守ることなのではないかと思う。間違っても優秀な後輩たちの進む道を邪魔してはいけない。というのも、自分の周りには以前から筑波大学の学生さんが集まってきてくれていて、ここ最近は他の大学の学生さんも集まってきはじめている状況なのだが、彼らには自分よりも遥かに大きな才能があるような気がしてならないのだ(自分にはAIもデータサイエンスもよく分からなくて、ちょっと眩しい気持ちになる)。いまの日本社会には、才能を持っていると嫉妬を受けて迫害されやすいところがどうしても残っているのだが、彼らが居心地悪くならないようしっかりと守ってサポートするのが自分の役目なのではないかと思う(サポートすると言いつつも、助けてもらう立場なんじゃないかとも感じているし)。そして、こういう形で築き上げた多彩な人脈が、どこかで日本の反撃の原動力にきっとなるのではと考えるのだ。

 

ふたつめは、新しいものにたいするリテラシーを高めること、自己投資である。医学知識であれば、MKSAPを解いたり、最新論文を常に読み続けたりということになるのだろうが、同時に少しでもいいから後輩たちのやっていることを真似して最新技術へのリテラシーを高めておきたい。もちろん、最新技術をバリバリにやれるのは必須でなくて(少なくとも自分には無理っぽい!)、むしろそういった技術を操れる後輩たちをリスペクトして生かせるようなミドルマネージャーになるというのが一番の目的だ。後輩たちを邪魔しないためには、後輩たちの強みを理解することが大切だと思う。

 

みっつめは、金策である。日本は対外純資産を多く持っていたり、国債を日本国民が多く保有していたりするのでそう簡単には財政破綻しないと信じているのだが、それでも円安が進んで輸入品をはじめとする物価が上昇していることには不安を感じている。来たるべき2040年時点で日々の生活だけで精一杯ということになってしまうと、日本を勝ち筋に乗せようという話どころではなくなってしまう可能性がある。まだ日本の政治に不満を言えるだけの余裕がある2020年代のうちに可能な限りの金策をして、後顧の憂いなく2040年を戦える家計にしておきたい。あと、お金に余裕がなくなるとイライラするものだが、イライラしているミドルマネージャーに優秀な後輩たちが集まってくるわけないから、そういう意味でも金銭的余力は大事。むしろ後輩たちを支援するためにも、可能な限り軍資金を集めておく必要があると考えている。もちろん、集めたお金はドルなどに替えておくつもりだ。

 

最後に、先にもチラッと書いたが、とにかく絶望しないこと。戦闘不能にならないこと。2040年時点(45~50歳)でファイティングポーズをとれるくらいには心身健康に過ごすことが大切だと思っている。従って、いま若手に属している人が2040年にミドルマネージャーとして生きる覚悟をしているのであれば、2020~2030年代は無茶して命を擦り減らしてはいけない。とにかく2020~2030年代はほぼ無傷の状態で生き延びて、万全の状態で2040年を迎えないといけない。だから、ストレスがたまっても暴飲暴食してはいけない。喫煙、飲酒で体を傷つけてもいけない。鬱になるほど過労してはいけないし、体を程よく動かすのも忌み嫌ってはいけない。

 

怖い表現を繰り返してきたが、自分にとっての2020~2030年代は、絶望の2040年に向けた準備期間だと思っている。司馬遼太郎の『峠』の前半部分で描かれている河井継之助と同じようなメンタリティだ。「2040年時点で管理職としてまともに戦える状態でいる」というところから逆算して、2020~2030年代はどう振る舞えばいいのか……そればかりを考えている。歴代師匠からは「日本を変えようなんて決して考えてはいけない」と繰り返し警告されているが、それでも少しは夢を見たいから。

Prolonged infusionでの抗菌薬投与

はじめに

2022年8月19日の「抗菌薬物語 I + II」(復習編)で幾つもご質問をいただき、そのうち「低アルブミン血症ではセフトリアキソンの効果が減弱するのか?」「セフトリアキソンは1 g, 12時間毎 点滴静注と2 g, 24時間毎 点滴静注のどちらが良いのか?」に関してはブログで解説して参りました。今回は抗菌薬のprolonged infusionに関して、「ピペラシリン・タゾバクタムの持続静注投与には肯定的な研究論文がある」というご意見に関して文献的にサポートしてみようと思います。なお、この記事では便宜上、「静注時間の延長」と「持続静注」をまとめて「持続投与」と呼んでしまっておりますので、その点だけご注意ください。

 

Contents

 

「抗菌薬の持続投与」はペニシリンGが元ネタ

βラクタム系抗菌薬は半減期が短い

通常、βラクタム系抗菌薬というものは、腎機能に応じて8時間毎とか6時間毎とかに点滴静注するのが一般的で、これを「間欠投与」と呼びます。これは、βラクタム系抗菌薬の多くの半減期が1時間前後に過ぎず、セフトリアキソンを除くと1日1回投与では有効血中濃度を維持できないという問題があるからです。しかし、これらのβラクタム系抗菌薬の中でも際立って半減期の短い抗菌薬があるのです。それこそが、ペニシリンG —— 半減期が僅か30分しかないので、4時間毎に投与しないと血中濃度を維持できないというなかなか厄介な性質となっております。

ペニシリンGの持続投与

「1日に6回の点滴静注をお願いします」なんて、看護師さんに頼めないですよね。ペニシリンGを真面目に4時間毎に投与していると、病棟の負担が尋常ではありません。加えて、患者さんを夜中に2回くらい起こすことになるので、患者さんも気の毒です。そういうわけで、ペニシリンGを持続投与しようという発想が生まれるわけです。ペニシリンGは溶媒に溶かした後もなかなか物質としては不安定で、例えば「2,400万単位を輸液 500 mLに溶かして24時間かけて持続投与する」というのはNGなのですが(誤解している人が多いので敢えてコメント)、東大感染症内科では「800万単位を1号液 500 mLに溶かしたものを、1日8時間毎に繋ぎ変えて持続投与する(合計2,400万単位/日)」という方法を採用していました(患者さんが結構むくんでしまって、これはこれで大変でした……)。

気がついたらガイドラインでの公式見解に

それで、ペニシリンGの持続投与が現場で使われているうちに、気がつけばAHAの感染性心内膜炎ガイドラインでも公式に持続投与が認められるようになりました。本文中でなく図表の中にしれっと書いてある感じで、特に引用文献があるわけでもないです。ただ、このような権威ある場所に掲載されることで、倫理的ハードルもクリアしやすくなり、抗菌薬を持続投与するという考え方が急拡大していくことになります。

Baddour LM, et al. Circulation 2015;132(15):1435-86.

 

βラクタム系抗菌薬の持続投与は有効性を示し切れていない

持続投与が良さそうだと考える理論的背景

βラクタム系抗菌薬は時間依存性に抗菌活性を示す薬剤です。つまり、血中濃度が標的となる細菌の最小発育阻止濃度(MIC)を上回っている時間が長ければ長いほど抗菌薬としての効果が強くなると考えられているので、βラクタム系抗菌薬を持続投与してその血中濃度をMICの少し上で維持できれば、過量投与に陥ることなく抗菌活性を維持することも期待できそうです。そういうわけで、βラクタム系抗菌薬を持続投与すると間欠投与するよりも感染症に対する治療成績が良くなるのではないかという考え方のもとで、βラクタム系の持続投与が研究されるようになりました。

重症敗血症の研究が主

研究というものは、やるからには成果を出さなければいけません。βラクタム系抗菌薬を持続投与した時に期待するアウトカムは「死亡率の減少」になるわけですが、そもそものアウトカム(死亡)の発生頻度が少なすぎると、研究で有意差を示すのは極めて困難です。従って、βラクタム系抗菌薬の持続投与に関する論文の多くが死亡率の元々高い重症敗血症の症例を対象としています。そこで有名なのが、25の多施設ICUでの重症敗血症に対する研究(βラクタム系の持続投与 vs. 間欠投与)なのですが、ここでは持続投与が死亡率を減らすことを示せていません。

Dulhunty JM, et al. Am J Respir Crit Care Med 2015;192(11):1298-305.

ピペラシリン・タゾバクタムは持続投与での成績向上が期待できる

βラクタム系の持続投与によって死亡率が減少するかはその後も追究されましたが、単一の研究で死亡率減少効果を示せたものは殆どありません。ただ、そうすると当然の流れとしてメタアナリシスを行うグループが現れるわけです。それで実際にメタアナリシスをやってみると、βラクタム系の持続投与で重症敗血症の死亡率が減るというデータを示すことができてしまうのです。で、どの抗菌薬が死亡率減少に寄与しているのかを見てみると、ペニシリン系が大きく寄与しているらしい……。そして、重症敗血症に使うペニシリン系というのは、概ねピペラシリン・タゾバクタムのことなんですよね。

Teo J, et al. Int J Antimicrob Agents 2014;43(5):403-11.

ここまで調べて、ようやく「ピペラシリン・タゾバクタムを持続投与すると案外良いのでは?」という発想に辿り着くことができるわけです。実はピペラシリン・タゾバクタムの持続投与は重症敗血症患者さんの死亡率を減らす可能性があります。ピペラシリン・タゾバクタムだけに限定して、持続投与と間欠投与を戦わせたメタアナリシスがあるのですが、それによると臨床的奏効率や死亡率の面で持続投与が有利という結果が導かれています。もっとも、ランダム化比較試験だけでなく観察研究も多く含まれている点には注意が必要です。また、敗血症の原因微生物としては緑膿菌をはじめとするグラム陰性桿菌が多い点にも要注意です。

Yang H, et al. PLoS One 2015;10(1):e0116769.

実際にピペラシリン・タゾバクタムをどう投与するか?

持続投与群の内容を細かくみていくと、各研究でピペラシリン・タゾバクタムは以下のプロトコルで投与されていたみたいなので、ご参考にしていただければと思います。

腎機能正常者における投与レジメン

1.ピペラシリン・タゾバクタム 13.5 g, 24時間かけて持続静注

2.ピペラシリン・タゾバクタム 4.5 g, 8時間毎に3~4時間かけて点滴静注

 

おわりに

自分の中ではβラクタム系の持続投与が敗血症症例の死亡率を減らすという認識がなかったのですが(この認識自体も大きな誤りではなさそう)、今回しっかり調べてみると、ピペラシリン・タゾバクタムに関しては結構有望そうだという結論に達しました。他にも、今回は紹介していないのですが、緑膿菌感染症などを対象としたβラクタム系持続投与の研究論文が色々出てきているようです(セフトロザン・タゾバクタムなど、比較的新しいβラクタム系含む)。一般論として「持続投与はありか? なしか?」と考えるのではなく、抗菌薬ごとに注視する姿勢も大事なんだなと今回学ばせていただいた次第です。

感染症治療のコントロバシーは岡先生の『感染症クリスタルエビデンス』(金芳堂)にも詳しいです。今回も記事を書きながら整合性の確認のために読ませていただきましたが、この本は網羅性が凄くて驚いています。ご参考まで!