つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

いわゆる「主治医感問題」について思うところ

病院総合内科には数は少ないながらもローテしてくれる初期研修医の先生方がいるので、どう教えるのが良いものか日々悩みながら格闘するのも専攻医以上の仕事です。ここで最も悩ましく思う問題が「主治医感問題」というもの。どういうことかというと、本来は初期研修医の先生方が患者さんにとって最も身近な存在であってほしいのですが、実際には初期研修医の先生方が患者さんのことを意外と分かっていないということが割と頻繁に生じます。恐らく、この記事を読んでいる指導医の先生方の全員がうんうんと画面越しに頷いているのではないかなと推察いたします。

 

f:id:TsukubaHospitalist:20210618232034j:plain

「主治医感問題」は、臨床教育においてタブー視されている?

 

このように書くと「今どきの若者は……」的な論調にも見えてくるのですが、実際のところは今に始まった問題ではなく、我々(いまの専攻医世代)も数年前は主治医感ほぼゼロの人間だったので、この「主治医感問題」で怒られる初期研修医の先生方の気持ちがある程度は分かってしまうんですよね。試みにいくつか挙げてみます。

 

初期研修医目線のネガティブ臨床風景

1.患者さんのアウトカムに関わらず給料は変わらない。また、多くの患者さんを受け持ったところで給料は変わらないので、受け持った分だけコスパ的に損だ。

2.治療方針を考えたが、結局は上級医の方針が全て。勉強して考えても結局は患者さんのアウトカムに関われないので、働き損だ。

2’.治療方針を提案したら、カンファの場で公開処刑されて恥をかいた。若輩者ゆえに周囲から侮られているのが悔しい。

3.次から次へと患者さんが押し寄せてくる。だんだんと患者さんが敵に見えてくる。気がついたらテキパキ捌く、単純作業ゲーと化していた。

 

パッと思いつく範囲でこんなところでしょうか。その背景としては、初期研修医の先生方を守る仕組みが施設レベルでガッチリ固められ過ぎていることが挙げられると思うのですが、我々(現・専攻医)の世代とは異なり、今の初期研修医の先生方は単独で注射箋をオーダーしてはいけないことになっています(主に大学病院で)。「注射箋をオーダーできない状態で一体全体、何をどう学べと!?」とこの制度を聞いた時にはItoも困惑したものです。つまり、今の初期研修医の先生方は、我々が初期研修医だった頃以上に「主治医感」を持ちづらい環境にあるわけです。……このように考えていくと、初期研修医の先生方の間で「主治医感」が薄い問題についてはあまり強くは追及できないと思います。何しろ、巨視的には体制側の問題なのだから。

 

こういった背景事情があって、初期研修医の先生方の士気は一般的には低いと感じています(もちろん、例外は少なからずあります)。多少の偏見もあるとは思いますが、これまでもそこそこ強かった安定志向が、コロナ禍を境に一気に強まってしまったような……そんな印象です。士気が低い中でもある程度の指導は可能なのですが、やり過ぎると簡単にハラスメント(勉強したくない時に勉強させられるなど)のレベルに引っ掛かってくるところもまた、難しい要素で頭が痛い。

 

さてさて、この状況にどう対処したら良いものか。

 

色々な指導医の先生方が悩んでいる問題でしょうし、様々な方法論が提唱されているかと思います。水平的平等に基づいた教育を提唱する先生方もいらっしゃるとは思いますが、Ito的には、初期研修医の先生方については「なるようになる」で自然な流れに委ねてしまって、なるべく臨床に熱意を燃やしている学生さんに集中して指導を行うのが良いのではと感じています。初期研修医向けのレクチャーを組むと何故か学生さんの方がたくさん集まってくることを東大時代から何度も経験しているのですが、医学部の座学に角を矯められて(?)、新しい物事にチャレンジしたがっている学生さんって結構いるんですよね。目線がまっすぐ上に向かっている感じで。

 

つまり、積極的にアタックしてくる初期研修医の先生方や学生さんにはしっかりと教える。消極的な初期研修医の先生方に対しては、しょうがないので放っておく。放っておくとは無責任な……と言われそうですが、放っておいても案外大丈夫なものです。責任意識の薄い初期研修医の先生方も、医師3年目になって責任をとらないといけない立場になれば、おのずと「主治医感」のある医師になりますから。イメージとしては、「ダイの大冒険」に出てくるポップでしょうか(アバン先生は理想の教師像です)。ただし、そういったハイポ系の初期研修医の先生は、主治医としての役割を全うするにあたって必要なスキルが身に着いていない状態で専攻医になるわけなので、助言を求められたら(全てを教えずに)上手にヒントを出すことが指導医に求められているのかなとも思います。

 

……色々と考えを詰めていくと、「主治医感問題」には指導者の自惚れやパターナリズムも一部含まれているのかもしれません。『孟子』に「人の患いは好んで人の師になるにあり」というという言葉がありますが、上級医サイドも「教えてやっている」という意識から離脱していくことが大切なのでしょうね。

 

これからも、月日とともに若手の気質が変わっていくと思います。そういった変化にどう対応していくか、柔軟に若手の気質を吸収していくこともまた、リーダーの務めなのでしょう。