つくばホスピタリストの奮闘記!

つくば市在住の感染症内科医・総合内科医によるブログ。臨床現場での雑感、感染症などの話題、日常生活について発信します。2019年は東大の感染症内科、2020~2022年は筑波大の病院総合内科に所属、2022年8月からは東京医大茨城医療センターの総合診療科で臨床助教をやっています。ここでの記載内容は個人的見解です。

師匠探しにはタイミングがある

人生は一生勉強。勉強という言葉に「面倒臭い」とか「だるい」とかネガティブなイメージを持つ人もいるとは思うが、実際に手を動かし始めてみるとドパミンが出てきて勉強する前の気怠さもどこかに飛んで行ってしまうものだし、新しい知識を習得して新しい考え方や技能ができるようになると、これまで当たり前のように暮らしてきた世界が、まったく別のものに見えてくるということもある。そういう意味で、やはり勉強は楽しいものである。逆に新しい世界を見せてくれない勉強は味気ないもので、勉強にネガティブなイメージを持っている人は、何を勉強するかとか、どう勉強するかとか、そういった根本のところで誤っているかもしれない(そんな勉強なんて、やるだけ時間と労力の無駄だからやめてしまえ!)。良い勉強の姿勢を教えることは、初等教育から高等教育に至る部分の責務、大学受験などの邪魔は入ってしまうけれど、そういった心得のある教育者が増えると、日本ももう少し良い国になるのかなぁと思ってしまうのである。

 

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とんかつ記事をみた後輩から勧められた「とんとこ豚」、なかなか "強め" です

 

少しだけ話が膨らんでしまったが、勉強する理由は「新しい世界を見るため」である。あるいは「生活の再発見」と言っても良い。ぼくの先輩に「勉強は自由になるためにやるんだ!」と言っている人がいるけれど、それはつまりは「頭の中にある凝り固まった常識のようなものから自由になるため」という意味なんじゃないかと勝手に解釈している。以前このブログの中で、ソシュール構造主義をざっくりと「名前があるから、それが存在する」みたいなことと説明したと思うが、知識がなければ世界を新しい枠組みで見ることは極めて難しい。もちろん、勉強した内容が枷になって、かえって視野が狭くなってしまうこともないとは言わない。視野が狭くなるのを防ぐためには、ずっと学び続けること、常に新しい知識を蓄積していくこと、分野に囚われないこと、そういった工夫とか努力が必要になってくるだろう。

 

新しい世界を見るために勉強するのであれば、新しい世界を見せてくれる先導役がいると、勉強ももっと楽しくなるし、もっと高みを目指すこともできるようになる。新しい世界を独学で、例えば書籍とかを頼りに探していくことも決して不可能ではないのだが(実際に自分も経済学をそうやって勉強したけど……)、やはり師匠がいるに越したことはない。師匠というのはどんな存在が良いのかというと、一言でいえば「自分の生きている世界とはレベルの違う世界に生きている」「その『レベルの違う世界』に自分も行きたいと思っている」の2点を満たしていて、なおかつ「人間として好き」であることが大事なんじゃないかと思う。はるか昔のブログ記事には「師匠を持つと勉強が捗るぞ」と書いたわけだが、最近になってどんな師匠を持つと良いのか言語化できるようになってきたわけだ。


師匠を持つことについて、最近気がついたことがもうひとつある。どうも師匠を得るに適したタイミングというものがあるようなのだ。というのも、師弟関係を学ぶからには優れた師匠に師事したいものだが、超越した実力の持ち主に気がつくためには、自分自身にもある程度の実力がないといけない(ということに最近になってようやく気がついた……)。師匠の些細な身のこなしに対しても、何が凄いのかが分からないと、勘所を模倣することもできないわけで、そんな師弟関係では大した実りもないだろう。だから、昔の記事に「将来のメンターのお眼鏡にかなうくらいの実力を備えておく」と太文字で書いていたけれど、実はこれ、自身に必要なメンターを上手く探し出すためにも必要な条件でもあるようなのだ。従って、師匠候補になるような実力者に1年早く出会うことが、必ずしも良い結果に結びつくとは限らない。要は、師匠探しに焦るなということだ。日々弛まず精進していれば、それ相応の出会いが向こうからやってくる。あとはそれに気づけるかどうかの問題。

※ 書店でビジネス書を読んでいると、「師匠はどんどん乗り換えろ」みたいなことを書いている著者が結構いるのだが、その主張の根拠も「師事する自分の実力に応じて適した師匠が変わる」というところにあるのだと思う。

 

新しいことを学びたいのなら、影すら踏ませてくれないほど傑出した師匠を持つこと。だけど、師匠を持ちたければ、自己研鑽をしっかりやってあらかじめ実力をつけておく必要もある。実力をつけて、それでもまだ学びたいとか、上を目指したいという謙虚さがあるのなら、不思議なことに自分を目一杯伸ばしてくれる存在が目の前に現れるものだ。その時点で自分自身に実力がある程度備わっているのであれば、弟子入りのチャンスを逃すこともきっとないだろう。